5、女騎士シルヴィア・スワン

「ゴブリンたちの巣穴が分かったのですね、では、早速出立の準備を進めましょう」


 部下からの報告にそう答えたのは、麗しの女騎士だった。


 シルヴィア・スワン。

 スワン辺境伯家の長女であり、女だてらに騎士としての頭角を現した彼女はスワン辺境伯騎士団第二部隊長を務めていた。


 艶めいて波打つ金髪に白磁のような肌。精緻に整った美貌の持ち主であって、宝石のようなエメラルドの瞳が嵌っている。通った鼻筋にぷるんと潤った桃色の唇。見るからに高貴な顔立ちであって、その目つきには気の強さが宿る。騎士をしているだけあって女性にしては筋肉質だが、騎士服を押し上げる胸元はたいそう豊かである。


 十九歳という貴族としてはとうの立ち始めた年齢であり、彼女は結婚しておらず婚約者もなかった。父である辺境伯は常々頭が痛かったが、彼女は強情であって尚且つ腕が立った。辺境伯と言う地位に在って猫の手も借りたいが、信用できる者を選ばねばならない辺境伯としては、彼女が領内の治安維持を行う第二部隊の長とするには不本意ながら都合が良かったのである。


 その彼女のところに、最近ゴブリンの被害が増加しているという報告があり、ようやくその巣穴を突き止めたところなのであった。

 たかがゴブリンと言えど、されどゴブリンだ。どうやら騎士団が出る必要があるほどに群れは拡大していたらしい。問題は山積みである。


「はっ、承知いたしました」


 礼をして去ってゆく部下を眺め、彼女は思う。


 ――これでようやく領民の悩みの種を一つ解決できます。


 むろん大きな悩みは最近きな臭い帝国との話である。そちらには父と兄の第一部隊が当たっているため、自分は彼らの後顧の憂いを払拭するため、第二部隊で辣腕を振るっているのである。

 彼女が婿を取るか、或いは嫁いでその家の協力を得ることも一つの手段ではあるのだが、如何せんちょうど良い相手がおらず、無理をして探すよりも彼女自身が剣を振るう方に天秤は傾く。


 ――もっと味方がいれば良いのですが……。


 国内も国外もきな臭い。


 ――まずは私が出来ることから行うべきですね。


 そう結論づけると彼女自身も席を立つ。そこに、


「ゴブリンどもの巣穴が見つかったようで」

「キリム……、ノックをしてくださいと言っているでしょう?」

「おやこれは失礼。シルヴィア様」


 現われたのは大柄な男性であった。騎士服に身を包み、顔立ちは整っている方だがニヤニヤといやらしい笑みが張り付く。短く刈り込んだ金髪に、青い瞳。

 キリム・ベイリー。


「まさかとは思われますが、シルヴィア様が前に立って指揮を執られるので?」

「当たり前です。前に立たず何が隊長ですか」


 シルヴィアは毅然と言い放つ。が、


「嗚呼、なんと。私は心配で溜まりません」大仰な仕草で。「もしもシルヴィア様がゴブリンどもに捕まるようなことがあれば……嗚呼」

 シルヴィアはギロリと睨み付け、「貴方は私がゴブリンどもに遅れを取ると。そう仰りたいのですか?」

「いいえ、私はそのようなことは申しておりません。もしもの話ですよ。もしもの」


 ニヤニヤと嗤い、シルヴィアに舐め回すような視線を送る。不快感に睨んでも、彼はその眸(め)を止めない。


 ――こんな男、副隊長どころか我が隊に置いておきたくはありませんが、……貴族の政治とは厄介なものです。


 シルヴィアがうんざりとしていれば、


「ですので、シルヴィア様は是非とも私と結婚していただき、私が隊長として前に立った方が良いと思うのです。当然、シルヴィア様を追い出したりなどはいたしません。副隊長として、これまで通りに辣腕を振るっていただければ。そう、それが良いでしょう」


 ――はぁ。


 溜め息どころか怒鳴り散らしたいが、それでは父たちに迷惑がかかる。そもそも父たちも彼を受け入れることには否定的であったのだ。それを彼らが飲み込んでいると言うのに、自分がここで怒鳴り散らしては……しかし、


 ニヤニヤとする彼に一言でも言ってやらねば気は済まない。「……そのような戯れ言はまず私……いえ、私よりも先にゴードンに勝ってから言ってください。ゴードンにだって一度も勝てたことはありませんよね? 私はゴードンに負けたことがありませんが」

「ぐぬぅっ!」


 悔しそうに顔を顰めるキリムであったが、シルヴィアは気付いているのだろうか、間接的にゴードンを貶しかけていることに。だが、キリムをやり込められたことは良かったが、これは悪手に数えられよう。何故ならば、キリムと言う男は、  


「フンッ、私の妻となるまえにゴブリンの慰みものにならぬよう、精々気をつけることです」


 バンと無礼にドアを締めて出て行ってしまう。


「慰み者はごめんですが、貴方の妻となるくらいならゴブリンの妻になった方がマシです。……いえ、縁起でもないですね。……余計なことをしないと良いのですが……私もまだまだ精進が足りません」


 逆恨みで余計なことをする典型的な小悪党である彼の神経を逆撫でるなど、ゴブリン討伐の前に余計なことをしてしまった。それがシルヴィアにチクリと小さな棘のようなものを残すのである。



   ◇◇◇



「行きましょう! ゴブリンたちを討伐し、領民たちの安寧を取り戻すのです!」

『ハッ!』


 キリムのような者たちもいるが、大半の者は忠実で信頼の置ける騎士たちだ。

 シルヴィアは彼らを率いて意気揚々と出陣し、作戦通りにゴブリンたちを着実に殲滅し、追い詰めていった。今近隣に居る冒険者たちの手に余るとは言え、数が多いだけで所詮はゴブリンの討伐。上位種もいたが、騎士団としての数を揃え、丁寧にしらみつぶしに潰してゆけば事足りる。シルヴィアも騎士団員たちも、大規模なゴブリンの討伐ははじめてではない。


 だからであったろうか。

 否、それはあまりにもイレギュラー。


「くっ、ホブラックゴブリン!? このような特殊個体がいるなんて!」

「シルヴィア隊長!」

「大丈夫です! 確かに強敵ではありますが、抑えられないほどではありません! こいつは私が引き受けるので、皆は邪魔が入らぬよう、他のゴブリンの相手を頼みます!」

『はいっ!』


 ――まさかこんな珍しいゴブリンが混じっているなんて……、それに群れの規模も相当にデカい。上位種の数も多く、想定以上です。しかしこれほどの規模の群れが今まで見つからなかったとは……、まるで隠されていたような……いえ、それを考えるのは今ではありませんね。まずは!「はぁあッ!」

「グゲギャアッ」


 シルヴィアの裂帛の気勢と共に浅黒い肌のホブラックゴブリンが弾かれた。

 強い――が、相手取れないほどではない。油断は出来ないが、相対して倒せないほどではないのである。だが、下手をしなくともホブゴブリンの上位種よりは強い。それでも、


 ――流石にキングやエンペラーほどではありません。周りのゴブリンを抑えてもらえていれば、そうそう遅れは取りません。さっさと片付けましょう。


 それは慢心であったのか。否、極めて冷静な戦況分析であったと言えよう。だが戦場とは常として想定外が起こるのであって、況してやそれが人為的ときたならば――、


 ――え?


 それは流れ弾のように見えた巧妙な魔法だった。

 シルヴィアの足下に打たれたそれは彼女のバランスを崩させ、たたみ掛けるように次弾が撃ち込まれた。

 それを見逃すホブラックゴブリンではなかった。


「グゲギャアッ!」

「ぐぅっ!?」


 喜悦の声を上げてシルヴィアにぶちかました。ミシミシと鎧を軋ませ罅を入れ、シルヴィアの躰に甚大な損傷を与える。だがここには他の騎士団員たちがいる。彼らのうちの誰かがフォローに入る。それは魔法弾を撃ち込んだ者自身がそうしようと思っていた。

 しかし、


 ホブラックゴブリンはジロリと周りを睨め付けると、「ゲギャギャッ!」


「なっ!?」


 そのままシルヴィアを担ぎ上げると離脱しようとするではないか。


「シルヴィア隊長!」

「ゲギャアッ!」

「待て! それは私の女だぞ!」


 騎士団もゴブリンたちも彼の行動を咎め、しかしお互いに気が抜けなくては追い掛けることも出来ぬ。ホブラックゴブリンは腰布を大きく膨らませながら、シルヴィアを担ぐと戦線から離脱していってしまう。


 ――こいつッ! 味方も捨てて私を攫うとは、特殊個体であるだけではなく異常個体ですか! くっ、躰が痛んで……、もしもこのままこいつの慰み者になるくらいなら、私は舌を噛んで……。


 そうは思うが、連れ去られた先で殴られ、自害する前に彼女は気絶してしまうのである。

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