第25話 西風の兆し

 三年の間、国王シメオンは初夜どころか接触さえ拒まれ続けた。

 半年もたたないうちに愛妾ウラリーの元へ戻っていたが、彼にしてはよくもった方かもしれない。

 とにかくそうなると、愛妾の増長ぶりは想像にかたくない。渾身の猫なで声でシメオンの機嫌を取り結び、周りにはますます傲慢に振る舞う。いまや後援者であるバルト侯爵の忠告さえ聞かない。まして王太后ウルリカやアングラード侯爵の意向など完全に無視で、それならば王妃など放っておけばいいものを、相変わらずラウラにだけは執拗にいやがらせを続けている。

 その最たるものが、国王をラウラから離してしまうことだった。

 いまだに未練がましくラウラを気にしているシメオンが許せなかったようで、王宮の敷地内に派手な離宮を建ててそこへ彼を連れて行ってしまったのだ。

 完成までに二年を要した離宮は、当代きっての建築家、芸術家の粋を凝らしたもので、趣味人のシメオンをとても喜ばせた。が、同時にその費用も半端な額ではない。当然財務大臣は国庫から出すことはまかりならずと、厳然と首を振った。

 

「それでいいと、わたくしも思います」


 財務大臣と宰相はほとほと困り果てていたらしい。

 ラウラになんとかしてほしいと、泣きついてきた。

 バカもここまで突き抜けると、いっそ立派にさえ見える。

 苦笑したラウラは、全面的に大臣の判断を支持すると答えた。


「けれど陛下がどうしてもとおっしゃるのなら、王家の所領を売却して捻出するようにお奨めしてはどう?」


 アングラード侯爵にもちかければ、おそらく買いとると言うはずだ。

 王家所領の港町、それからノルリアンへ続く幹線道路周辺の土地。そこを手放せば、離宮の建設費用くらいなんとかなる。


「そ……そんな要所を手放しては」


 さすがに顔色を変えただけ、宰相と大臣はまともだ。けれど国王は喜んで話にのるだろう。


「陛下の持ち物です。ご自由になさればいい」

「王妃陛下がそうおっしゃるのであれば……」


 愛妾ウラリーがラウラからシメオンを離したいと思うのなら、むしろ好都合だ。三年の間、どれだけ冷たく拒んでも艶っぽい誘いを仕掛けてくるシメオンに、ラウラはほとほと困っていたからだ。

 気持ちがないのだと、何度かはっきり口にしてもみた。

 王族の義務を先に放棄したのは夫シメオンの方だ。乳母への情は特別で、むげにはできないのだと泣いて理解をもとめてきた。それならラウラが義務より情を優先したとしても、責められる筋合いはない。

 情がないから寝たくない。そう言ってやった。

 それなのにシメオンは懲りてないようで、いまだにラウラに言い寄ってくる。もちろん愛妾ウラリーは側に置いたまま。


「離宮にかかる費用、日々のかかりだけど。王宮の費用とは別にするように」


 離宮で生活するのなら、王宮のかかりとは別会計にすべきだとラウラは続けた。

 これまでは乳母への恩給という名目で、王妃から愛妾へそれなりの額を届けていた。王宮内に部屋を持ち、国王と共に過ごすこともあるのだから仕方ないとあきらめて。けれど離宮で独立した生活を営むとなれば話は別だ。言ってみれば国王の道楽なのだから、費用は国王の私財で賄うべきだ。妻以外の女のために贅沢な離宮を建て、そこで囲う。どう言い訳しても、国に必要な費用として計上できるわけがない。


「実は……。アングラード侯爵からも王妃陛下と同じことを提案されております」


 国庫に金がないのだ。ないならないように節約するしかないものを、贅沢三昧をあらためない国王から臣下の心はとっくに離れている。

 もはや節約だけではどうにもならないレベルの赤字なのに、国王シメオンはなんの手も打たない。いや考えることさえしていない。


「もはや陛下にご相談すべき時ではありませんな」


 思わずといった風にこぼした言葉は、宰相の本音だ。


「アングラード侯爵、バルト侯爵にはかりなさい」


 王妃の賢明な判断を、宰相と財務大臣はありがたく受け取った。




「神殿への寄付、今月は5割ほど増やしておいて」


 ラウラの指示にオルガは心得顔で頷く。


「承知いたしました」


 そろそろ頃合いだ。さっさと婚姻無効の証明書を出してもらおう。

 無効となれば結婚時に遡ってそもそも婚姻関係がなかったことになるから、本来ならノルリアンへ渡された支度金は残っているものだけでも返さなければならない。

 けれど今回の無効の原因を作ったのは夫だ。夫が妻以外の女に入れあげて、一夫一婦制を守らなかったことが原因なのだから、神殿は支度金の返還不要と厳しいことを言いそうだ。それどころか慰謝料の支払いすら認めるかもしれない。

 夫シメオンは神殿からの諫言を何度もむげにしている。心象の良いはずがない。


(たぶんもうすぐね)


 マラークの国王交代劇もだが、それに先立つ内戦がじきに始まる。

 オルガは変わらず側に控えているが、ここ最近ルトやテオ以外の護衛がラウラにつくことが増えている。

 それはルトやテオなくして進まない、があるということだ。

 証明書をとっておいた方が良い。

 あの愚かな夫の巻き添えになることだけは避けたいから。

 ぎりぎりまで秘密は守ってもらわなくてはならないが、それも寄付金の額でなんとかなる。


(できるだけ急いでとっておきましょう)


 

「ラウラ様、ルトが参りました」


 オルガが告げる名に、ラウラの心臓がどきんとはね上がる。

 最後に顔を見たのは何日前だったろうかと思いながら、通すようにと返した。

 

「ではわたくしは外で控えております。ご用があればお呼びください」


 オルガは護衛騎士を連れて部屋を出る。

 入れ替わりに入って来た騎士は長身で、漆黒の髪にきらめく黄金の瞳をしていた。


「エカルト・フォン・ヴァスキア、ノルリアンの王女殿下にご挨拶いたします」


 ああ、これがルトの本当の姿。

 ヴァスキアのエカルト、王太子の名前だった。

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