第13話 拒絶する

 アングラード侯爵家から派遣された使用人は、男女合わせて20人ほど。

 王妃宮を回すにはせめて50人は要る。侯爵家から何度か奨められたが、オルガが首を縦に振らなかった。

 あまり人を増やしたくないのだ。人が増えればその数だけ面倒ごとが起こる。どんなに厳しく選別しても、抜け落ちは出てくるものだ。数が多ければ、目が行き届かない分リスクも高くなる。


「ラウラ様にはご不自由をおかけしないよう務めます」


 申し訳なさそうにオルガは頭を下げる。

 気にすることはないとラウラは首を振った。

 王妃の格式を保たねばならない場面など、実はそれほど多くない。謁見の場、それから滅多にはないが王妃宮での晩餐会、パーティくらいか。謁見を除いて、後は一年に一度あるかどうか。どうしても人手不足なら、その時だけ手を貸してもらえばいい。王太后かアングラード侯爵に前もって頼んでおけば、まず大丈夫だろう。

 幸いなことに、ラウラはいまだ手つかずの清らかな王妃だ。つまりここで国王シメオンのお世話をすることもない。ラウラ一人のためであれば、20人いれば十分だと思う。10人ずつ2つの小集団に分けて、休憩や休暇も順番にとれるようにできるはず。この人数で手に余るようなら、無駄に広い宮の一部を閉鎖しても良いのだ。


「騎士も増えたの?」


 宮の中に仕える使用人とは別に、ラウラの身辺警護のためにと騎士も派遣するとアングラード侯爵が言っていた。

 テオとルトには十二才の頃から側についてもらった。だから彼らが身近にいることに、ラウラは抵抗がない。どんな場面、どんな時でもだ。考えたくもないが、あの愚かな夫と閨を共にすることがあったとして、その時でさえ夫より彼らの方がずっと信じられる。その彼ら以外の誰かが、新しくラウラの身辺を護るという。


(早めに慣れておいた方がいいわね)


「テオ、新しく入った騎士を呼んでくれる?」


 綺麗な敬礼を残してテオはいったん下がり、複数の足音を引き連れてすぐに戻って来た。


「陛下、ご身辺をお護りする者たちでございます」


 主に私的な居間として使う部屋だから、そう広くはない。六名の騎士が横一列に並ぶと、なかなかに圧迫感がある。

 テオもかなり背の高い方だが、それと同じかさらに高いか、皆かなりの長身で鍛え抜かれた身体をしている。なるほど、アングラード侯爵が精鋭を送ると言っただけのことはある。

 ふと、違和感を感じたのは、彼らの髪色だった。

 揃って濃茶、しかも色調までほぼ同じ。テオやルトと同じなのだ。

 珍しくない髪色ということなのだろうか。

 それぞれ一人ずつの挨拶を受けた後、ラウラは「よろしく頼む」と鷹揚に微笑んで見せた。




「ラウラ様、何か気になることでも?」


 さすがに敏いオルガは、ラウラの怪訝な思いに気づいたらしい。

 騎士たちが退出するとしばらくして、控えめに口にした。


「うん、そうね。大したことではないのでしょうけど……」


 扉近くで控えるルトの髪に視線をやった。


「同じ色の髪をしていると思って。あの騎士たち六人が六人とも、テオやルトと同じ濃茶の髪だったから」

「そうですね。濃茶の髪は、そう珍しい色ではございません。特にヴァスキアでは一般的な色かと」


 さらりとオルガは答えてくれた。いつもどおり、ラウラの話し相手をしてくれている、そんな調子で。

 アングラード侯爵の亡くなった妻は、ヴァスキアの辺境伯家の娘だった。ヴァスキア滅亡の際、その家臣を密かに引き受けたとしても不思議ではない。

 けれどもし本当に彼らがヴァスキアの騎士だったとしたら、アングラード侯爵の心底がちらと垣間見える。先王や今の王シメオンに対して、思うところが多そうだ。


「オルガ、お茶を淹れてくれる?」


 今日の予定は特になかったから、この後の時間はラウラの個人資産管理にあてようと思っている。

 と、扉の向こうから声がかけられた。


「国王陛下がお待ちでいらっしゃいます」



 シメオンはラウラの私室で待っているらしい。

 なにしに来たと言えないのがつらいところだ。ラウラは一応、彼の妻ということになっている。夫が会いたいというのなら、会うのも今のところは義務だ。

 けれど会いたいだけならば謁見の間でも用は済んだだろうに。公務とプライベートを分けるつもりなのだろうか。

 笑わせてくれる。国王の執務室は、愛妾の出入り自由だと誰でも知っているのに。

 できれば私室で会いたくはなかったが、仕方ない。

 あきらめて三階にある王妃の私室に戻った。



「私の王妃は今日も美しいな」


 淡い紫の花のような、艶な微笑でシメオンはラウラを迎えてくれた。

 ラウラの右手をとって、唇を落とす。


「陛下にはご機嫌うるわしく」


 深く腰を落として最敬礼で応えると、シメオンはさらにふわりと微笑の色を柔らかくする。


「私のことはシメオンと。あなたは私の妻なのだから、そう呼んでほしい」


 まるでこの世にただ一人の、愛する女に向ける言葉のようだ。政略結婚の妻に向ける礼儀だとしたら、言葉だけは満点だった。

 けれど実際にやっていることは違う。零点より酷い。

 初夜をすっぽかし愛妾の寝室に入り浸った。さらにいやがらせをしてくる愛妾をかばいさえする。

 この事実の前には、どんな甘い言葉も戯言にしか聞こえない。乾いた笑いを浮かべなかっただけでも褒めてもらいたい。


「今夜はこのままここで。あなたとご一緒に」


 それでもシメオンがそう続けた時、ラウラは「それは嫌だ」と反射的に思った。

 政略結婚である以上、いつかは済ませなければならない儀式だとは承知している。けれど理性でどれほど抑えつけようと、身体が拒絶反応を示す。

 どうしようと身を固くするラウラの腰を、シメオンの腕がさらう。

 その瞬間、ラウラの嗅覚が知った香りを捕らえた。

 涼し気で妖しげな香り。

 憶えがある。これは……。


「放して!」


 シメオンの胸を突き飛ばした。

 切れ長でやや目尻の下がった瞳は薄い青。よほど驚いたのだろう。見開いて信じられないと、ラウラを見つめている。


「どうなさいました、いきなり」

「移り香がいたします」


 これほど濃く染みついているからには、つい先ほどまで一緒にいたに違いない。腕に抱いて、あるいはもっと密接な接触で。

 ここにいない愛妾が、自分の存在を主張している。

 気持ち悪かった。いくら義務でも、身体が拒絶する。

 シメオンは腕を持ち上げて袖を鼻にあてた。そして慌てるでもなく、くすりと笑う。


「妬いてくれたのですか?」

「おそれながらこれは礼儀の問題かと。政略結婚であればこその気遣いは、お互い必要ではありませんか?」


 妬くなどと、勘違いされては困る。

 この際はっきり言っておきたかったから、飾らずにそのままを言葉にしてやった。

 愛などそんなものは最初から求めていない。けれど夫であり妻であることを約したのだ。王族ならばその義務も知っていようと。

 意訳すれば、「バカか、貴様は」というところだった。

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