第12話 名ばかりの王妃のくせに(SIDE 愛妾ウラリー)

 マラーク国王、王太子シメオンの父が突然崩御したのは、ヴァスキアを滅ぼした直後のことだった。

 男女問わず閨に侍らせていた国王は、愛人の一人に刺殺されたのだとウラリーは聞いた。バルト侯爵からだ。


「陛下もお盛んだったからな。そして何事もやり過ぎたんだよ。恨みを買うのは当然、こうなるのも当然だ」


 処女喪失に協力してもらって以降も、バルト侯爵との夜は時折続いていた。

 肌の相性が良かったのもあるが、なにより侯爵はウラリーにとって使える男だったから。普通では知ることのできない情報を、彼はウラリーに与えてくれる。とても都合の良い男なのだ。

 五年ほど前にウラリーの夫が亡くなった時もそうだ。

 ベキュ伯爵家には跡継ぎの孫がいたが、それを脅して継承権を放棄させたのもバルト侯爵だ。

 マルリー男爵家を子爵に陞爵させてやる条件で、孫にそこを継ぐように言い含めた。子爵であったとしても、伯爵より格落ちだ。上位貴族ではない。不平を鳴らす孫に、社交界から追い出されたくなければ飲めと言った。孫は不満たらたらであったが、王太子の乳母に貸しを作っておくのは得策だとの言葉に納得してくれた。

 ベキュ伯爵家現当主は、ウラリーの弟である。ウラリーの称号は前伯爵夫人となるところ、そのまま伯爵夫人を名乗ることを許されたのも、バルト侯爵の力添えによるものだった。

 そして国王交代から八年、ウラリーとバルト侯爵は、国王シメオンが最も頼りにしている臣下である。



 シメオンの寵愛を独り占めして数年、穏やかで満ち足りた日々がついに崩れる。

 ノルリアンから王女が嫁いでくる。シメオンの王妃として。

 マラークの国王がノルリアンの王女を妃にすることは、代々続いてきた慣例だった。だからシメオンは五歳のころに、ノルリアン王女と婚約した。王太子なら当然のこととして。

 毎日毎晩シメオンと夜を過ごしていれば、シメオンに愛されているのは自分だと信じて疑うこともなかった。

 たとえ王妃がやってきても、幼い頃からシメオンを見てきた自分にかなうはずがない。

 名ばかりの王妃、お気の毒にとさえ思っていたのだ。


 それなのに。

 王妃として嫁いで来たラウラという女。あの女を初めて見た時の、シメオンの表情かお

 うっとりと見惚れるような、どこか懐かしむようなあの表情を、ウラリーは忘れられない。

 あの女ラウラは、シメオンの母ウルリカと同じ銀の髪をしていた。叔母と姪なのだから似ていて当然と予想していたが、似通っていたのは銀の髪だけで、全体的な印象はまるで違う。

 ラウラの瞳は紫、それも神秘的な透き通るように美しい紫で、白く滑らかな肌は淡雪のよう。銀の分銅ソルヴェキタの称号を持つ、ノルリアンでも超特級に貴重な姫だとの触れ込みは事実だった。この世のものではない精霊のような美貌だと、悔しいけれど認めざるをえなかった。


「ねえウラリー、ラウラ姫は何を好むのだろうか」

「ねえウラリー、ラウラ姫は私をどう思ったろうか」

「ねえウラリー、あんなに美しい姫を初めてみたよ」


 ウラリーと過ごす夜の間にも、あの女の名前をシメオンは幾度繰り返しただろう。


「高貴な姫と一目でわかるね」


 シメオンの一言が、ウラリーの胸にぐさりと突き刺さった。

 零落して名ばかりの男爵家に生まれ、なりふりかまわずのし上がってきた自分と、生まれながらに最も高貴な称号をもつあの女。

 どんなに着飾ろうと、しょせんおまえはまがい物だと言われたような気がして。

 

(負けたくない)


 明確に意識したのは、その時だった。

 あの女がどんなに高貴で美しくても、けしてシメオンの寵愛は渡さない。


(名ばかりの王妃、夫に見向きもされない憐れな王妃にしてやるわ)


 結婚自体をなかったことにはできないが、実質的な正妻はウラリーなのだと教えてやる。

 食べるものも着るものも、入浴に使う湯も汚物の処理も、快適な暮らしに必要なすべてはウラリーの匙加減ひとつなのだ。

 見るからにお高いあのお姫様に、空腹や不潔さ、情けない思いをとくと教えてやろう。

 あの女に頭を下げさせたら、どんなに胸がすくだろうか。

 黒い靄のかかった心が、ウラリーの唇に歪んだ笑みを浮かべさせた。



「おまえにしては露骨すぎる。やりすぎではないか?」


 ある夜、バルト侯爵がぼそりと言った。

 既に事は済ませた後だ。怠そうに半身を起こして、「そういえば」と男が切り出したのだ。


「相手は王妃だ。あまりなめていると、手ひどい反撃をくらうぞ?」


 男の言葉に理があるのはわかっている。わかってはいるのだ。

 けれどあの取りすました女の顔を思い出すと、ウラリーの胸がざわりと不快にざわめいてしまう。

 王妃だから?

 だからどうしたのだ。反撃できるものならしてみるがいい。

 ひと回り以上年下の小娘に、おくれなどとるものか。


「大丈夫よ。女の修羅場ならあなたよりわたくしの方がよく知ってる」


 そう言って腕を伸ばし、男の唇を塞いだ。

 もう黙れと。



 侯爵の理は正しかった。

 あの女、ラウラ王妃の反撃が開始される。次々と、ウラリーの放った矢は撃ち落されて、二倍三倍の矢が向かってくる。

 それでもウラリーはあきらめない。

 彼女には誰より大きな後ろ盾がある。

 国王シメオンの寵愛があるのだ。いったい誰が、大国マラークの国王に逆らえるというのだろう。

 王宮の差配権を奪われて、手駒のメイドを脅されても、大したことではない。寵愛さえあれば。

 次は何をしかけよう。

 満座でひどい恥をかかせるのも良い。

 二度と顔を上げて歩けなくなるような、そんな思いをするがいい。

 思惑どおり、満座で白い結婚を笑いものにしてやった。

 それなのに。

 

 数日後からぱたりと、シメオンの訪れが絶えた。

 

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