第11話 乳母から愛妾へ(SIDE 愛妾ウラリー)
ウラリー・ド・ベキュ伯爵夫人。
没落した男爵家に生まれたウラリーが、自分の才覚で手にした新しい名前だ。
ウラリーの父マルリー男爵は、才能も気概もない愚図でどうしようもない男だった。先祖伝来のわずかな財産のほとんどを手放して、手元にあるのは地方の小さな領地と荒れ放題の屋敷だけ。毎日食べるものさえろくになくて、ウラリーと幼い弟は栄養失調でいつもひどい顔色をしていた。
このままではダメだ。無能な両親に殺されるか売られてしまう。なんとか縁を切らなくてはと思いながら、家出はできなかった。家出したのでは、名ばかりとは言え男爵令嬢の身分さえ失ってしまう。マラーク王国では、平民が貴族に成り上がることは絶対にないのだ。爵位の売買は厳罰に処せられるから。
どうしたものかと悩んでいるところへ、王太子誕生のおめでたい知らせを耳にした。
王太子には乳母がつくのだそうだ。そしてその乳母は、求められる役割によって異なる二人の貴婦人が採用されるらしい。一人は母乳を与える者で、もう一人は乳離れ後の養育係。養育係の方には、特に容姿端麗の条件がつけられている。
双方に共通した条件がある。必ず既婚者でなければならず、しかも夫の身分は伯爵以上でなければならないのだそうだ。
その時ウラリーは十歳だった。養育係がつくのは二年の後だというから、十二歳までに結婚すれば王太子の乳母になれるかもしれない。
もしウラリーが乳母になれば、幼い弟とふたり、誰にも頼らずに生きてゆける。名ばかりの貴族ではなく、正真正銘の貴族として。
芋の皮をさらして煮込んだ水っぽいスープや、干し草を刻んで焼いたパンケーキもどき、継ぎはぎだらけのドレスに黄ばんだ下着。そんなものを二度と見ないで済む生活を、必ず手に入れてみせる。
そう決意したウラリーは、領地にある小さな神殿の神官に願い出る。
「ここの領民を救いたいのです。どなたか高位の貴族で、わたくしと結婚してくれる方をご存知ないでしょうか」
年齢も容姿も性格も、一切文句は言わないと言った。
十歳の少女の悲壮な決意を憐れんだ神父は、直接の知り合いはいないが知っていそうな貴族ならと紹介状を書いてくれた。
そこで曾祖父ほど年の離れた老人の妻になる。特殊な嗜好がある彼は、ウラリーを人形のように着飾らせかわいがった。
老人は伯爵位を持っていて、かなり裕福な暮らしをしていた。夜の閨の相手は気持ち悪かったが、そのかわり夫はウラリーの願いをなんでもかなえてくれた。貧しい男爵家ではとても受けられなかった教育を、受けることができたのもそのひとつ。貴婦人としての教養は多岐にわたって複雑で、分量も多い。けれど乳母になるためにはどうしても必要で、だからラウリーは必死に学んだ。教師も使用人たちも、財産目当てと侮って陰に日向にあからさまな意地悪をしかけてきたが、それにも耐え抜いた。
そして二年後、十二歳になった時、ウラリーは王太子の乳母の一人に選ばれる。
ようやくこれで幼い弟とふたり、上位貴族の仲間入りができると心から嬉しかった。
王太子の乳母には、乳児期をみる者、その後の養育をするものの二人が選ばれる。事前に聞いていたとおりだ。
乳児期には母乳を与え、王太子が健やかに育つよう見守るのが、一人目の乳母の役目。二歳になって乳離れした後は、王太子に相応しい教養と情操を育成し、跡継ぎを作るための性教育の教師を務めるのが二人目の乳母の役割だった。初めての性を経験させる役のため、二歳以上につく乳母には見目の良い貴婦人が選ばれる。但しマラークでは一夫一婦制をしいているため、既婚女性であることが乳母の条件とされた。王太子、乳母のどちらからにせよ、恋に浮かれて後に来る王妃を蔑ろにできないようにと決められたルールである。
ウラリーが担当するのは、二歳からの養育係だ。教養と情操を育成し、初めての女を教える。
ならば王太子が精通を迎える前に、どうしても解決しておかねばならない問題があった。
処女を捨てること。そしてさらに性技を磨くことである。
特殊な嗜好を持つ夫は、毎晩のようにウラリーを閨に呼んだ。けれど夫には既に男性機能がなかったので、ウラリーはいまだ
王宮に上がったウラリーは、注意深く周囲の男たちを観察した。後腐れなく、性だけの付き合いと割り切れる男でなくてはならない。間違ってもウラリーに執着して妻や愛人に迎えたいなどと、寝言を言い出すような男では困る。性技の練習台になってくれて、できれば王宮での地位もそこそこにある男が理想的だ。
そしてみつけた。理想どおりの男。
二大権門家のひとつ、バルト侯爵家の当主だった。
初めてを教えた王太子シメオンは、毎晩のようにウラリーを求めた。
「ウラリー、もうダメだ」
「まだダメですわ、殿下。もう少しお待ちになって」
未熟なシメオンは、すぐにダメだと言う。初めての夜ならそれも仕方ない。けれど何度も重ねた夜であれば、もっと深い歓びを教えてやらねばならなかった。
「辛抱なさいませ、殿下。わたくしが良いと申し上げるまで」
「ごめん、ウラリー。もうダメだよ」
恥ずかし気に頬を染めるシメオンが、ウラリーに抱きついてくる。
「ウラリー、私にはウラリーだけだ。ウラリーがいれば、妃なんか要らない」
それが初めてを知った少年の、幼い勘違いであることを知っていても嬉しかった。いずれ迎える高貴な王妃より名ばかりの男爵令嬢であった自分の方がいいと、そう言ってくれたから。
「愛しているよ、ウラリー」
その言葉を初めてくれたのも、シメオンだった。
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