第14話 覚悟を決める

「礼儀の問題ですか。それは残念ですね」


 微笑は消えていた。代わりに薄い青の瞳には、ほの暗い熱がある。


「ラウラ、私はあなたに惹かれています」


 じりっと数歩分間合いを詰められて、ラウラは後ずさる。


「はじめからではありません。ノルリアンの王女をお迎えするのは、私が生まれた時から決められていたことでしたから。けれど嫁いでいらしたあなたを一目見て、どこにいてもあなたのことを思わないではいられなくなった。こんなことは初めてなのですよ」


 少しだけ下がった目尻のせいか、泣きそうに見えた。嘘をついているようには、とても思えない。

 ラウラは戸惑った。

 あの妖艶なベキュ夫人と、ついさっきまで抱き合っていたに違いない男だ。離れた途端、こんな表情かおができるのか。


「こんな気持ちになるとわかっていたら、あなたに護衛騎士の同行など許しませんでした」


 苦笑して、シメオンはぼそりと付け足す。


「あなたにも息抜きは必要だと許したのですが、あの騎士たちとあなたが……。そう思うととても冷静ではいられません」


 何を言っているのか、すぐには理解できなかった。

 少しの間の後、その意味を理解したらさあっと血の気が引いた。


(テオとルトを、愛人だと思っているの?)


「陛下、おっしゃる意味がわかりかねます」


 違うと口にするのもバカらしい。そんな汚らわしい色ごとの対象に、あの二人を?

 自分を、テオとルトを、辱められた気がする。

 生の感情をそのまま出すなと訓練されていなければ、シメオンの頬に平手打ちを見舞ってやるところだ。


「控えているのであろう? 中へ入るように」


 扉の外に向って、シメオンが命じた。

 即座に開かれた扉からテオとルトの二人が姿を現して、シメオンに頭を下げる。


「名をなんと申したか?」

「テオと申します」

「……ルト……と申します」


 顔を上げるように命じて、シメオンは美しい眉を顰める。


「なるほど。整ったかおをしているが、平民か」


 家名のない名から判じたらしい。ふんと鼻先を鳴らして、シメオンは二人に近づいた。


「我が妃の閨に侍ってどのくらい経つか?」


 ラウラの忍耐が限界に達する。

 

「陛下、その者たちはわたくしの家族も同然でございます。これ以上の侮辱は……」


 十二才の時からラウラの身辺を護ってきてくれた二人だ。オルガと共に、ラウラの行くところならどこへでもついてきてくれた。親に捨てられたラウラには、ばば様とオルガ、ルトとテオの四人だけが、この世で最も大切な家族なのだ。

 それを愛人扱いとは、許せなかった。

 

『愚か者ほど、人は皆自分と同じと考える。自分とは違うものがいようとは、想像すらしない』


 ばば様の実践王妃教育で教わったことだ。なるほどこの男には、あの妖艶な愛妾のいるただれた生活が当然で、穏やかで優しい家族との関係を大切に思うラウラの心はわかるまい。

 わからないということは理解するが、だからといって家族への侮辱を許すほど寛大にはなれなかった。

 莫大な支度金を支払っての政略結婚だから何も言えないと侮っているのかもしれないが、その価値がラウラにあればこそ成立した結婚だ。

 ラウラが望まなければ、子供はできない。

 そうだ。お前の子など産まない、産んでやらないと言ってやる。

 瞬きするくらいの間、その直前に。

 

「我が主人がお望みであれば、いつなりとお応えいたします」


 ルトの冷ややかな声が、シメオンに返された。


「なんと言った?」


 あからさまに殺気立った薄い青の瞳にも、ルトは怯んだ様子もない。光の加減か。金色に見える瞳が、殺気立つシメオンの視線を正面から受け止めている。

 

「我が主人ラウラ様がお望みくださるのであれば、喜んでお応えいたします。そう申し上げました」


 嫌な沈黙が数瞬続いて。

 シメオンが男にしては薄い唇の端を、片側だけ上げた。

 

「おまえでは役者不足ということか。我が妃の初めては、いまだ無事であるような」


 当たり前だ。政略結婚で嫁いだ女が、既に処女でないとはあり得ないことだ。それをわざわざ口にするシメオンの真意がわからない。わからないが、ルトへの敵意は感じられた。

 確かにルトも悪い。一応はラウラの夫であり国王でもあるシメオンに、わざわざ挑発するような返事をすることはない。シメオンの態度に怒ってくれたのだろうけれど。

 それにしてもシメオンの器の小さいこと。

 自分のことを棚に上げて、ルトにやつ当たりか。


「かつては婚約者、今は夫のある身でございます。この身の初めてを、どうしてお疑いになりますか」


 わざと涙ぐんだ。本当は「あなたにだけは言われたくない」と詰りたいのだけれど、それは悪手だから。

 この高雅な貴公子風の夫には、弱々し気な風情の方がより効果的だ。

 ばば様の実践王妃教育に感謝しながら、そら涙を一筋流して見せる。

 そうしたら、ほらひっかかった。

 

「ラウラ、わかりました。わかりましたから。あなたを疑ったのではありません。ただ少し妬けたのです。泣かないで」


 シメオンはおろおろと言葉を重ね、腕を伸ばしかけて止める。


「ああ、今の私ではあなたをお抱きすることもできないのでしたね。あなたのお嫌いなにおい、もう二度とつけてはまいりませんから。機嫌を直していただけませんか」

 

 そら涙もこれ以上だとわざとらしい。

 返事の代わりに微笑んで見せた。


「またあらためて参ります。少しお時間をいただくかと思いますが……。どうかあなたの夫を信じてお待ちください」


 なにやら心に決めたらしいシメオンは、意味ありげな言葉を残して去った。

 


「太王太后陛下がご覧になっていれば、きっと良い評価をくださいますよ」


 テオは何とも言えない微妙な表情かおをしていた。


「ありがとう。なによりの褒め言葉だわ」


 少しは成長したらしいと、ラウラは自分を褒めてやりたい気分だ。

 けして愉快ではない時間だったが収穫もあった。

 わかったことがひとつ。

 跡継ぎを作るのは無理だということ。ああもはっきり拒否反応が出るのでは、とても閨など無理だ。

 シメオンは移り香のせいで拒まれたと思っているようだが、そうではない。あの香りに気づく前、シメオンが夜を共にと言い出した時、既にラウラは本能的に夫を嫌悪していた。

 そして夫の身体が触れた時、たしかにバチンと痺れるような音を聞いた。

 ラウラの身体が、夫に触れられることを拒む。どんな理性の制御もきかない。


「三年、逃げ続けるしかないわ」


 ぽそりとこぼれたつぶやきに、ルトの身体がびくりと揺れる。弾かれたように顔を上げた。


「きっとお守りします。だからあの男とはけして……」


 必死に願うルトの瞳は、今度こそ間違いない。

 てろりと艶めく、美しい金色だった。

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