第4話 護衛騎士をみつける

 鱗のなくなったラウラは、それまで禁じられていた外出を初めて許されることになる。

 どこに行きたいとか何かが見たいとか、そんな具体的な目的はなかった。とにかくなんでも見たり聞いたりしたいのだ。ばば様と過ごす離宮以外のどこかで、知らない空気を吸って知らない場所を見て、知らない人と話してみたい。

 もう鱗もなくなって他の人と変わらない外見になったのだから良いだろうと、ラウラはばば様にねだった。


「他の人と変わらない……か。おまえは相変わらずズレておるの。むしろ目立つかもしれぬとは思わんか」


 ばば様は苦笑まじりに相槌をうって、いいだろうと許してくれた。


「護衛の騎士とオルガを連れて行くように」


 オルガはラウラよりふたつ上の少女だ。エリアソン伯爵家の長女で、灰色に近い銀のくせっ毛と緑に近い青の瞳をしている。ほっそり見えて実は筋肉質で、ふくらはぎや腕をコンプレックスにしていると自分で打ち明けるような明るい気質の娘だ。

 ノルリアンの貴族には珍しくないことだが、エリアソン伯爵家もご多分に漏れず財政難で、オルガは半ば売られるようにばば様に差し出されたらしい。ばば様は彼女の容姿と気質を気に入って、将来ラウラが嫁いだ際に侍女として付き従わせようと直々に厳しくしこんでいるところだ。

 護衛の騎士はばば様直属の青年たちで、みなヴァスキアの出身だ。黒に近い濃茶の髪と同じ色の瞳をしている。揃って美青年であるのは、言うまでもない。ばば様は男も女も美しいものがお好きなのだ。



「では姫様、今日は王都の市場へお連れいたしましょう。ノルリアンで一番賑やかなところです」


 ばば様づきの騎士団長が、ラウラの馬車の窓辺に馬を寄せてにこりと笑った。

 市場、ものを売り買いする場所か。教本で読んだことがある。交易中継で成り立つノルリアンの市場には、この世にあるものでないものはないと言われるところだ。

 離宮に閉じこもっていたラウラには、きっと珍しいものばかりだろう。見たこともないものがたくさんあるに違いない。

 


 王都アグレルの街は、賑やかだった。

 どこから湧いて出るのかと思うほどの人の数だ。行き交う人々はみな、目的地があるのか急ぎ足で歩いている。

 海からの風が暖かく、離宮ではかいだことのない潮の香りがした。

 船着き場から運び込まれる木箱が次々に荷馬車へ載せられて、脚の太い馬がそれを引いて行く。

 車輪の音、人々の声。

 生きた暮らしはこうなのかと、ラウラは目を瞠る思いだ。


 でもなんだろう。賑やかなわりに、活気というか、嬉しさとか歓びとか、正のエネルギーが希薄であるような。

 粛々とやらなければならないことをこなしているような、そんな感じがする。


「あまり景気が良くないと聞いているけど、そのせい?」


 ばば様がラウラに課した育成カリキュラムには、将来大国の王妃を務めるにふさわしい帝王学もある。その中にノルリアンの経済の歴史もあった。

 ここしばらく、いやもっとはっきり言えば父国王の代になってから、ノルリアンの経済は落ち目の一途だという。

 よく注意してみれば、街の通りに並ぶ建物にも貸家が目立つ。雨除けのブラインドも下ろされたままだ。

 代々続いた商会の税制優遇を、父の代で改悪したことが原因だと教師は言っていた。

 先代王までは商会法人には課税しなかった。ただ登録しさえすれば、本店をノルリアンにおき税負担なく商売ができたのだ。それを父の代になって、少しずつだが課税を始めたらしい。加えて中継される商品にも、ノルリアンを通過するたびに課税する、通行税を新設した。

 そうなると旧ヴァスキアやマラークの商会が次々と撤退し始めて、残っているのはノルリアン王家と取引のある大手の商会だけだ。


(ばば様は両親を愚か者とおっしゃっるけど……)

 

 正のエネルギーのない街には、その代わりに負のエネルギーがはびこるものらしい。

 教えられたそのことを、ラウラは今目の前にしている。


「あれはなに?」


 異様な空気が目の前にある。

 広場の噴水の近く、薄汚れたテントが張られている。道端に引きずり出されているのは、人か。

 奴隷商。教師から聞いたその忌まわしい言葉をラウラは思い出す。

 下水整備の行き届いたノルリアンにあってさえ、吐き気をもよおすほどの悪臭をその界隈は放っている。


「ヴァスキアの元貴族だよ。読み書きも、剣術もできるから使い道には困らないよ」


 呼び込みのダミ声に、ラウラの吐き気はさらに増した。

 人身売買はご法度のはずだ。それがどうして大手を振って商売できるのか。

 

(組織は上から腐敗するとは、こういうことか)


 国王が目先の金に走れば、臣下はそれに倣う。ご法度への目こぼしも出てくるということなのだろう。


 ひゅるんと乾いた音がした。

 あれは鞭の音。乗馬の鞭よりもっと太いものだ。

 人の肉をしたたかに打ち据える気配が続いて、たまらずラウラは馬車の外に出た。


「何をしているの」


 駆け寄って鞭をふるう男に詰め寄ると、男は薄ら笑いをうかべて悪びれることもない。


「お嬢ちゃん、商品が言うことを聞かないんでね。躾をしているだけでさぁ」


 躾をされているは、石畳の上に蹲り誰かを腕に抱えて鞭の痛みからかばっているようだ。

 商品と呼ばれたのは、ラウラとそう年の変わらないだろう少年で、彼がかばっているのはさらに小さな少年らしい。

 二人は鞭の下でただただ石のように身を固くして、鞭の衝撃を耐えようとしている。

 

 ヴァスキアの貴族だと、呼び込みは言っていた。ということはこの二人の少年も、そうなのだろうか。

 つい先ごろ、ヴァスキアはマラーク王国に攻め滅ぼされた。国王夫妻はマラークで殺されて、領土は散々に蹂躙されたと聞く。


「しつけとは、そうやっていたぶることを言うのですか」


 ラウラの口調に、男もなんとなくラウラが高位の貴族らしいことを察したらしい。途端に態度を変える。


「こいつらは兄弟でしてね、弟の方が特にいうことを聞かないんでさ。でも見てくださいよ、この身体」


 力任せに引きずり出した少年には、首から下の右半身にひどい火傷のひきつれがあった。


「こんな躾なんぞより痛い目にあってきてるんでね、少々のことじゃこたえやしませんって。こんなバケモノ、変わった趣味をお持ちの方にしかお引き取りいただけませんからね。この躾はこいつのためでもあるんでさ」


 バケモノ。

 嫌な言葉だ。つい最近まで、ラウラにも陰でこっそり向けられていたものだ。実の母、王妃が人目もはばからずそう呼ぶのだから、最初は戸惑っていた使用人たちも次第にバケモノと呼ぶようになった。

 その言葉の意味はわからなくても、嫌われているとか見下されているとか、そんなニュアンスは感じられる。その言葉を浴びせかけられる度、ラウラの心は縮こまりだんだんに固く冷たくなっていった。

 人に絶望するところまでいかなかったのは、ただひとえにばば様のおかげだ。

 この幼い男の子に、ばば様はいない。


「人身売買の現行犯ね。この者を騎士団に引き渡しましょう」


 ご法度を承知で堂々と店開きをした図々しさが、憎らしい。

 ラウラの護衛騎士がダミ声の男の両腕を拘束する。


「待って、待ってくれ。お嬢ちゃん。こんなこと、どこでもやってることだ。だいいち騎士団には、それなりに心づけを……」


 慌てて早口でまくしたてる男に、心の底から腹が立った。

 多分、男の言うとおりなのだろう。こんなことは珍しくない。ご法度も騎士団にほんの少し鼻薬をかかせれば、目こぼししてもらえるのだ。

 ノルリアンの、これが現状。男をこの場で捕らえても、何も変わらない。

 清濁併せ飲め。ばば様の教えは、きっとこういう時に思い出すことなのだ。


「オルガ、この兄弟のこれまでの養育費を支払ってやって」

 

 買うという言葉は、絶対に使いたくなかった。実質同じことだとしてもだ。


「承知しました」


 いつのまにか背後にぴたりと控えていたオルガが短く応える。即座に卑しい面相をした、ダミ声の男と交渉に入ってくれた。

 騎士の一人をオルガの護衛に残して、ラウラは俯いたままの兄弟に近寄る。

 

「わたくしと一緒に行こう」


 お忍び用の軽装で、手袋をしていない右手をラウラは差し出した。

 伸びきってぼさぼさの前髪の隙間から、濃茶の4つの瞳がラウラを見ている。じっと、伺うように。


「ここにこのままいるよりは、いいと思うけど」


 彼らがヴァスキア貴族の出だとしたら、ばば様の元へ来るのは良いことだと思う。たしかに国は滅んだが、仮にも太王太后だった方だ。ヴァスキア所縁の少年たちに酷いことをするとは思えない。

 もちろんばば様の目の行き届かぬところで、陰でこっそり侮辱するような輩はいるだろう。それでもこのままここにいるよりははるかにマシだ。少なくとも衣食住に困ることはない。


「名前は?」

「テオ……です。弟はルト」


 破れて、汗や排泄物で朽ちている衣服はひどい臭いがする。火傷の上にさらに鞭の傷までつけられたルトの背は、赤黒い血と膿でぶわりと膨らんでいた。五歳くらいだろうか。ラウラより小さな少年の身体に刻まれた酷い傷が、敗戦国の現実を見せるようで目を背けたくなる。

 

「口、開けて」


 思いついて、小袋からイチゴ飴をつまみ出す。ルトの小さな口にひょいと入れてやった。

 濃茶の瞳が大きく見開かれて、「あまい」と唇が動く。

 

「一緒に来る?」


 こくんと頷いたルトを見て、テオがラウラの前に跪いた。


「お連れください。どこへでも参ります」


 

 連れ帰った二人にばば様は「これはこれは……」と珍しく驚いた風だったが、すぐに十分な世話をしてやるようにと侍女に言いつけてくれた。

 しばらくして元気になった二人は、ばば様付き騎士団長から騎士になるための訓練を受けることになる。

 ラウラが嫁に行く時につける、腹心の騎士となるべく。


 そして八年が過ぎたv

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