第3話 婚約者には愛妾がいる

 十二才になったと同時に、ラウラの王妃教育のカリキュラムは大きく改編された。

 銀の分銅ソルヴェキタの姫をむやみに人目にさらしたくはないと、特に銀の鱗のあるうちは必要最小限の人数しか彼女の周りにはおいていない。教師も置かず、ばば様自らが教鞭をとってくれていた。

 けれど銀の鱗がなくなって、ラウラの母の言う「バケモノ」ではなくなった時、ばば様はラウラに専門の教師をつけることにした。大国の王妃に必要な帝王学だそうだ。

 

 政治学、経済学に会計学、法学、自然科学、歴史に哲学と文学、芸術全般、それに護身術まで。これらには専門の教師がつく。

 礼儀作法と語学はこれまでどおり、ばば様が担当してくれるが、ばば様担当の科目に2つ追加があった。

 実践家政学と実践王妃学、ばば様の命名だ。

 

 つい最近大きな戦があって、ばば様の嫁ぎ先ヴァスキアが滅んだ。部屋にこもりがちになったばば様は、たまにラウラに会ってもいつもの闊達さがなりを潜めていたのだけれど、王妃教育を始めると言い出してくれた頃には、かなり浮上していたようだ。「いつまでもくよくよ落ち込んでいるのは性に合わん」なのだとか。

 

 その日もラウラは、朝食後ばば様の居間に呼ばれた。実践王妃学の時間だ。そこで口頭試問のような授業を受けている。ばば様のお教えくださることはいつも実学がメインだが、その時の内容はかなりシビアな現実を見せてくれるもので、後になってラウラはよくこの日の授業を思い出したものだ。そのくらい強烈な印象だった。


「王妃に肝要な能力とは、なんだと思う?」

「夫である国王を支える能力でしょうか」


 ざっくり粗過ぎる答えだと思いながら口にすると、即座に首を振られた。


「わたくしもそう思おておったわ。けれどそれではダメじゃ。考えてみよ、夫が必ずしも賢い人間とは限らんぞ」


 夫がいかにも愚かであった場合、支えるとは夫の代わりにすべてを仕切ることを意味するとばば様は言う。


「わたくしの夫には愛妾がおってのう、日がな一日夫はその女にべったりであった。その女が欲しいと強請るものを与え、女の身内を重職にとりたて、表向きへの差し出口を許し、それはもうひどいものだったぞ。だから、見てみよ。国が滅びたわ」


 忌々し気にばば様は、綺麗に整えられた眉を寄せる。本当に嫌な記憶らしい。けれどマラークに殺された王は、ばば様の夫ではないのではと思ったが、黙っていることにした。


「そんなグズグズの王宮に入った王妃が、どんな目にあうと思う? 王の妻であるわたくしに、あやつらがどんな仕打ちをしたか」

故国くにに帰れ、みたいな意地悪をされるのでしょうか」

「はっ! 帰れと言ってくれたらさっさと帰ったわ。やつらはもっと陰湿じゃ。ノルリアンからきた王妃を追い出すことはできない。それなら王妃の心を壊そうと、まああの手この手でしかけてくる」

「それはご苦労なさいましたね」

 

 そうとしか答えようがなかった。

 

「なにを他人事ひとごとのように言うておる。ラウラ、近い未来におまえにも起こることぞ。だからわたくしが、思い出したくもないことを話して聞かせているのじゃ」

「え?」

「マラークの新王、おまえの婚約者には、愛妾がおる」


 初耳だった。

 そうか。婚約者には愛妾がいるのか。

 愛妾がどんな存在なのかは、なんとなく察せられた。正式な妻ではないが、妻のように夫の側に侍る女のことみたいだ。

 ラウラは婚約者であるマラーク新王に、一度も会ったことがない。だから好意にせよ悪意にせよ、どんな感情も持ちようがなく、本当に名前だけの婚約者に過ぎない。それは多分、相手も同じなのだろう。


「それならばば様、わたくしが嫁がなくとも良いではありませんか。その者と結婚すればいい」


 王族の婚姻に身分や政治的思惑や、もろもろの制約が多いことは理解している。けれど何事にも例外はあって、そのいい例がラウラの両親だ。父は幼い頃からの婚約者を捨てて、母と一緒になったと聞く。

 やってできないことはないのではないか。ラウラだって、他に好きな女のいる男の妻になるなんて、できるなら避けたい。


「マラーク、そして滅んでしまったがヴァスキアの王家は、莫大な支度金を用意してまで我らノルリアンの王女を望む。それはの、ノルリアンの王女が必ず後継者の男子を産むからだ。我らノルリアン王族の女子は、自ら望めば必ず孕み、その能力は寿命の尽きる間際まで続く」


 ノルリアン王家の女子にだけ出る能力だ。彼女らは皆、体内の卵子を己の意思で子宮に送り受精させることができる。寿命こそ一般の貴族女性と変わらないが、寿命間近まで若い卵子を作り続けるため、肉体の老化の速度は極めて緩やかだ。だからばば様はラウラの母より若く美しいのだと、この秘密を知ってようやく腑に落ちた。

 けれど必ず男子を産むから、それがどうしたというのだろう。男子というだけで良いのなら、別にノルリアンの王女が産む必要はない。

 

「愛妾に男子を産んでもらえばいいのでは? それに女子しかいないなら、女王を認めればいいことでしょう?」


 国王が心から望むなら、かなえられないことはないはずだ。現に父だって母を娶っている。


「愛妾の子はどこまでいっても私生児だ。庶子の扱いも受けられない。どこの国でも王族は、妃以外との子をけして認めない。だから愛妾との間にできた子は、王位継承権を持たぬ」


 それも国王が心から望むなら……と思うが、ラウラが考える程度のことをこのばば様が考えなかったはずはない。愛妾の子を後継者にするのは、とても難しいことなのだろう。


「やつらは跡継ぎの王子だけが欲しいのじゃ。母である王妃から切り離しての。

 どうだ、ラウラ。このような王宮において、王妃に必要な能力は何か?」


 よく考えてみよと、ひたりと青い瞳でラウラを見つめる。

 

「力……でしょうか?」

「そうじゃ、力じゃ。力のない王妃は、己だけでなく支えてくれる大切な者たちをも守れぬ。ではその力、どうやって手に入れる?」


 ラウラは考え込む。


「よい。今日はここまでにしよう。次までに、その答えをよく考えておけ」


 こうしてばば様の、かなりリアルな体験談付き王妃教育が始まった。

 礼儀作法やマラークのしきたりや法などといった一般的なものでカバーできない、王妃サバイバル講座のようなもの。

 嫁いだ後すぐに必要になるとは、この時のラウラはまだ知らなかったが。

 

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