鶏の序文・鳩どもの国 作:奴

 人間は愛のために生き、愛によって生かされると語った人がある。私はその人の意見に従う。人間の情念は愛にもとづく。資産も年月も地位もすべてに目を閉じて、ただ愛する者にのみ心眼を開くのが人間の定業である。この域に達するには現実問題相当の経験が必要かもしれないが、雪解けののち水びたしの世界もいささか乾いて、野原も清潔の観を呈する春の柔らかい日ざしのような、そういう牧歌的愛はきっと人間の内側にある。

 鶏が雌雄十羽ずついて、これが庭の柵で囲われているかぎりを群れでぼやぼやと歩きまわってはおりおり地面をつつくのだが、その声を年がら年中聞いているとだんだんに慣れると世の申す。私はいっこう慣れぬと駁する。数日のうちに馴致せねばいつまでも体にしみつかぬが道理で、やつらの声がするたびそれはひどい耳鳴りのように響いた。宅内にあってはひょっとすると田舎のサイレン放送のような様相もあって、アー・アーー・アーーーと膜一枚向こうの音のようにこもって聞こえる。かえって脳髄を侵す心地もするのだが、箒で追い払ったってやつらは私の土地のに住まう私の鶏なのだから、放逐も何もないもので、柵より向こう、広い地平の先へ消えてくれる手はずはないのである。

 いやしかし、一つ驚くべきは、やつらが昼夜となくぶっ続けに鳴くことで、てっきり明けの六時にばかり甲高い声を上げるものと勘定つけていたにもかかわらず、実のところは昼寝をぶち破り、酒を飲む夜を興醒めの暗室に変えてしまうのである。私はこの事実に身をもって行きあたったので、当初すばらしい知見とも感じていたが、年に一回ともない偶然の事態ならまだしも、毎日定まらぬ時刻に突然耳を刺すあの声をやつらが高く押し上げるから、病的な心持になる。

 なにも数十年をやつらと過ごしたわけでもなく、些末な理由によって勤務地から故郷へ帰ってきた私は、はじめてやつらの形姿を目の当たりにしたのだった。むやみにだだっ広い庭は芝のぽつぽつ生えるなかば禿げた土地で、母が植えていた花々がいくらかあるのが関の山というところ、幾年ぶりかの帰宅ののちには不届きな騒音者のねぐらとなっていたのだった。どうもある種の自活らしく、父母はこれからは養鶏と斉唱した。そういうわけで、私は首を奇妙に動かす二十もの同居人を持つことになった。

 しかし耐えて耐えられぬ難境ではなくって、私はむろん日々いらだちながら、同時にやつらを許してもいる。これこそが大いなる愛というもので、慣れるようでいっこう慣れない、あの遠くの神を呼ばうような声に憤怒の姿勢を崩さないながら、「今日も元気なことだ!」と言ってやるだけの度量も持ちあわせるようになった。「精が出て、ご苦労さんなこった!」と笑ってやれるだけの余裕を心理回路に組み立てて、私は窓から見える裏庭をこぞって歩きまわる雌雄計二十羽を、あるいは慈しみをもって眺めるのだった。「ふむ、首野郎ども!」と。

 ところでこの前、雷がいっときひどかった。夏の雨季にはずいぶん遠いので、珍しく感じて、私は窓や扉を開け放って、大地の果てに無音で光る脅迫的な自然の狂気を見物した。高校の生物では、雷が作物に貢献するものと聞いたが、現に見るかぎりではいたずらに生命を脅かしているようにしか見えないものだ。作物にはむしろ、縮こまった情けない実しか生らぬように思えるが。

 やつらもこの雷にずいぶん委縮していた。寝室から庭を見ると、やつらはおびえきって鶏舎から出ようとしなかった。きれいさっぱりだ!

 ところが数十分のすえ、やつらは鶏舎から出てきて、鳴きこそしないものの、我が物顔で音の遅れる雷鳴や灰色の雲を観察していた。そのときには、やはり首を振ったり伸ばしたりだ。結局、慣れてしまえば雷など怖くないらしい、ははは。



 鳩どもの国


 ≪都会に棲む鳩はほんものの鳩ではない≫という言説――というよりはむしろ事実――は、当の都会にはまるで浸透していない。公園や駅前広場などで群れ、歩くたびに首を前後に揺らし、また人に慣れてしまったがゆえに、あたかも自分も人間だというふうに悠々と歩いている彼らを、人はほとんど関心なく見やる。公園に来るものらはわりに人を恐れるが、野性的側面はいくらか薄れているにちがいない。パンくずをやる老人があり、脅かしてくる子どもがある以上、彼らのうちには、人間とはかくあるものという理解がすでにあるだろうから。

 しかし実のところ、われわれ人間をそれほど恐れることなく、同じ都会に住まうものと自己を見なしているようにみえる彼らは、生きものとしての鳩ではない。(たしかに、思えば、公園や広場を歩いて出て、車道のそばをそぞろに歩いている鳩たちをときどき見るが、どうして車が怖くないのだろうと不思議だった。)そう、まさしくそうだ。われわれはあまりにも動物の適応能力を過信しているのでないか? われわれですら、そばを通り抜ける車に肝を冷やすことがある。なぜ人間よりずっと小さな動物がおびえないでいられよう? ともすれば、気づくのだ、やつらは実際、有機的存在などではまったくないだろうと。

 鳩というものがわれわれに近すぎることが、かえって、彼らをつぶさに観察し、疑問を抱くためにはよくないのだろうか。われわれは木や土などに逐一云々しない。それらは単にそうあるものとしてそこにあるだけである。あるいは、もっと正確に言えば、注意を向けるべき価値を持たないと、われわれは鳩を値踏みしているかもしれない。電車の遅延や、料理屋の定食の味や、会社の方針転換など、自己に影響を及ぼしうるものごとについては、目を見張り仔細に観察するべきである。ところが、鳩がのんきに散歩している事実をいくら突き詰めても、基本的には、それ以上の何も判明しない。

 ただそうやってわれわれは、これまで重要なことがらを見逃してきている。都会の鳩はみな、政府が国民を監視するために用意したロボットである。彼らの目はカメラになっており、数日もつバッテリーで機体を駆動させて移動し、われわれの動向を細大漏らさず見ているのだ。彼らが機械であると結論づけることで説明可能な要件はたしかにある。第一に、彼らがそれほど人間や自動車を恐れないのは、まさに機械であるがゆえだろう。第二に、自然のない都会のなかに群れている彼らがどこにねぐらを持っているかについては、地下に収容・保管されていることで説明できる。第三に、彼らはほとんど何も食べていないようにみえる。餌をやっている人間をときに見かけるが、彼らの施しだけでは鳩は生きていけないはずだ。これをうまく解決するのが、機械説である。このように都会の鳩を生きものならざるものと結論すれば、諸事実に対し、わりに困難なく応答できる。

 鳩という素材を利用するのは前述のとおりの利点がある。すなわち、われわれは彼らに興味を持たない点だ。ひょっとすると、われわれは鳩を見ても、足元でせわしなく動き回る危なっかしいやつとしか思わない。よもや自走式の監視カメラとは見ない。政府はうまくやるものである。人間のそばにいくらいても怪しまれず、飛ぶことも可能な彼らは、どれだけ見ても平和な存在にしか見えない。

 人によっては、次のことについて疑問に思うかもしれない。すなわち、鳩以外の鳥はどうなのか。端的に返答すれば、有用でなかったから。たとえば、これまで試されたものでは、雀、烏、ひよこがある。雀が最終的にロボットのかたちとして採用されなかったのは、烏に襲われるからであった。烏は小鳥をしばしば襲う。雀は彼らの食料でもある。機械としての雀が国から派遣されたとき、当初は現在の鳩と同様の成果を挙げ、大衆の監視はうまくいっていた。だが、年月を経るごとに回収できる個体が減っていることに現場の人間が気づいた。調査をしてみると、烏の巣に個体の一部が持ち帰られてあったり、公園内等で死んだ烏を解剖してみると、胃のなかに機械の破片があったりした。とうとう政府は監視ロボットの雀型を廃止した。烏についてもおよそ同類の理由から廃止された。ほんらい都会になわばりを持っていた生きものの烏たちが、機械の烏を駆逐したのだ。

 以上の二つに比べれば、ひよこ型ロボットは人間社会にうまく介入できたものである。ほか二者とは、ただ異なるやり口だった。ひよこたちのばあい、カラーひよこの方策を採ったのだ。一時期、彼らは祭りで販売された。むろんその半数ほどは生きもののひよこであったが、もう半分は監視用機械であった。彼らはその見た目ゆえに人びとに愛され、何の疑いもかけられることなく、人家に入れた。そして大衆の生活を映し出す鏡として、政府にしばらく重宝されていたのだ。しかし現にカラーひよこを見ないように、ひよこ型ロボットも結局は廃れることとなった。カラーひよこという在り方が、動物虐待だと批判を浴びたのである。

 このように、政府派出の国民監視ロボットはこれまでいくつかの形態をとってきたが、どれも完全な成功には至らなかった。どれも何かしらの欠点を持ち、つねに完璧なしごとをしてくれるわけではなかった。莫大な金銭が投入されたが、うまくいかなかったのである。

 そこで登場したのが、鳩型ロボットである。これは目下、成功中である。すくなくとも、これまでのものたちよりはずっと大きな成果を出している。雀や烏の世は幕を引き、ひよこ帝国も終焉を迎えた。そして鳩王国が、まさに今、殷盛期にあるわけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る