独心 作:麦茶

独身

 曇りの予報だったが、身体が傘を握ったので、もうすぐ雨が降るらしい。

 外へ出て少しすると、実際に小雨が降りだした。春先の暖かさが逃げていく。あちこちで傘を開く控えめな音がする。喫茶店に入り、紅茶を頼んだ。こういう時身体をねぎらってやるのは頭の義務だ。身体は既に喜び始めている。

 身体をおんなと呼び、頭をおとこと呼ぶようになって久しい。街にはおんなと、頭と身体の結婚を経たおとながいる。私はまずまずの身体にまずまずの頭が乗っている。いかにも間に合わせのおとなだ。喫茶店のマスターもおとなだ。こちらは多少出来が良い。すらりとした身体に端正な頭が似合う。接客業を志向する身体は、見目の良い頭を選ぶ傾向にある。店内にはおんなもいる。近くの事務所の制服を着たまま、コーヒーを前にぼうとしている。肩から脇腹にかけてのラインが美しい。選ばれる頭の幸福が予見される。

 紅茶が来た。独頭の時は分からなかったが、感覚の共有によって徐々に好ましくなりつつある、渋みのある旨さ。残る香りに鼻を泳がせ、再び事務員のおんなに注目した。独り身のおんなはなるべく簡単な仕事を任される。結婚しておとなになると、難しい仕事を回される。独身差別でも頭身差別でもないと私は思っている。反駁する者もあるが、二身分の働きをできる者が二身分の働きをすることは、至極まっとうなことだろう。私だってできることなら独頭で生活したかった。しかしおとこの独頭生活は危険なのだ。おとなでいるのが安全というもの。もうひと口。

 カウンターではおとなが二身、頭同士で話し、身体同士が触れ合っている。仲のいい友のようだ。手を繋ぎ、背を撫で、抱きついては離れる。おんな同士の会話は、見ている分には少し奇妙だ。考えるほど分からなくなる。

 おとこは判断する。感覚器は鈍く、代わりに言語的思考を生業とする。おとこは言葉になるものしか感じられない。したがって、おとこに作業を任せるならば、複雑で面倒な仕事が良い。しかし思考と判断の繰り返しによって、破滅する頭が多いのも事実だ。一方、おんなは感覚する。身体全体で見、聞き、嗅ぎ、味わい、触れる。そして感じる。言葉になるものとならぬものとを同時に、同じ強さで感じる。身体は語る言葉を持たないが、語りえぬものを豊かに感じている。したがって、おんなに判断を任せるならば、生活に根ざしたものが良い。手仕事や、繰り返しの作業や、傘の用意や、その他ぽつぽつとした小雨のような一時の、かつ永遠に続く仕事だ。硬い判断から零れ落ちるやわらかい感覚的判断に、生活の全てがある。

 頭と身体が共有することで、おとこの判断と思考は危険性を薄め、おんなの感覚と感動はきらめきを長く留める。率直に考えて、結婚するメリットはおんなよりおとこの方にあり、実際におんなが独り身を選ぶことは昨今多くなりつつある。独り身のおんなは独り身なりに美しいから、私は責められない。魅力は多様な方がいい。

 窓越しの小雨の、さらにその向こうに、以前住んでいたショーケースが見える。懐かしい気持ちと、もう住みたくないという気持ちが浮かぶ。紅茶は大方からにしてしまって、身体が立ち上がりたがっている。気忙しいのでもうしばらく座っていたいが、次第に足がむずむずしてくる。身体に従って、喫茶店を出る。そのままショーケースの前に立った。おんなに混じって、おとながショーケースを眺めるのは気恥ずかしい。しかし雨粒が傘に当たって軽やかな音を立て、雨のにおいに混ざっておんなたちの香り高い体臭が揺らいでいる。感覚のたのしみに、立ち退くことを思いとどまってしまった。

 独り頭のおとこたちは往来の店で、集団生活を営んでいる。

 おとことおんなが出会い、おとなになるには、おんなが往来に出なければならない。往来にはおとこを扱う店がいくつか立ち、ショーケースには独り頭のおとこたちが並んでいる。おんなたちはその往来に折々やって来て、陳列されたおとこたちを値踏みし、自身に合う頭を買っていく。おんながおとこを買う。身体の好みによって、頭の居場所が決まる。薄っぺらい身体は甘ったるい頭が、流線型の身体は力強く骨ばった頭が、ふっくらした身体は凛々しく冷たい頭が、それぞれ好きだ。もちろん個身差があり、個頭差がある。凡庸な身体には凡庸な頭がお似合いともいえる。

 自分がおんなの肌に合うことを主張するため、おとこたちは日々研鑽を積んでいる。今も、聞き耳を立てると「貴方は大変美しい。まるで谷に咲く白百合のよう」「その豊かな胸元に愛の花束を結びつけたい」「しなやかな脚だ! 若草を踏みしめるカモシカもこれほどの健康美を持ってはいまい」「においたつ魅力に言葉を失いそうです」と絶え間なく語りかけているのが感じられる。独頭のおとこたちは感覚も感動も知らないが、言葉はつらつら溢れてくるのだ。独頭の頃が懐かしく苦々しい。達者なことを言えない不人気なおとこは、可愛いだの優しそうだのといった適当なおまけを店側から付けられて、優しい、あるいは愚かなおんなに貰われていく。おとこにおんなを選択する権利はない。しかし、どのおとこもそんなことは実感したくない。だからいつでも往来はやかましい。

 身体が肌寒さで震え始めたので、帰ることに決めた。願わくば、あらゆる頭が身体に選ばれんことを、美しい身体おんなたちが心豊かな生活を送らんことを。


結婚

 目覚める時間になると、身体が勝手に起きてくれる。身体が起きて動いていれば、頭も自然と起こされる。身体の好みに合わせた食事と身支度をする。頭の鈍い味覚では何でも旨いから困っていない。それに、結局愛されるのは頭と身体を合わせた私たちだ。より愛されるやり方に従っていればいい。変に逆らって頭と身体が食い違う方が困る。

 出勤し、今日の仕事を言い渡され、再び外へ出た。近くの工場で社長が待っているとのことで、行くと確かにいた。厚い身体に厚い頭が乗って、いかにも地域の有力者だ。「こんにちは」「まいどどうもね」頭は口で、身体は握手で挨拶を交わす。次いで相手の手を取り、こちらの額を手の甲につける。伴侶への挨拶も礼儀のうちだ。「じゃ、応接間へ」

 私が応接間で書類を広げている間に、社長は茶を汲んで持ってきた。しばらく商談をした。頭同士の会話を、身体が書き取る。商談はスムーズに終わった。社長が茶菓子を持ってきて、しばし他愛ない、しかし今後の商談にも関わる話を交わした。これはメモを取らせてはならない。あくまでも雑談の体裁を保っていなければ、機嫌を損ねる。自身を抑えつつ、ふと社長の身体に目をやりそうになって、慌てて見上げた。身体を見ながら頭同士の会話をすることは、身体への失礼に値する。「ああ、いいんですよ」社長は手を揺らして、私の気遣いを遮った。「ほら、最近言うでしょう、身体は頭の下にあるんだから、頭より下等なんだって。礼儀なんか気にせずに、我々が使いこなしてやるだけでいいんですよ」「ハハハ……」

 その後早々に工場を辞した。背中のこわばりを感じる。足取りがいやに重い。つられて思考も重く暗くなる。身体は頭より下にある。とはいえ作業はみんな身体任せだ。ドアを開け、書類を広げ、茶を汲み、メモを取り、茶菓子を運び……。いや、結婚した時点で、頭がどれほどの恩恵を得ていることか! しかし、確かにメモを読み返して、意の伝わらぬことは時々ある。わたしが上手くコントロールすればもっとよく働くのか? 身体に逆らう必要があるのだろうか?

 足と判断を引きずりながら帰社すると、同僚が近寄ってきた。私と同じくらい凡庸な頭と身体を持つ者。「よう」「やあ」知り合いであるから、身体の方も遠慮がない。握手のついでに手首を握り合い、胸元に引き寄せ合う。頭からすれば少々会話の邪魔なのだが、これがかわいらしくもある。同僚の汗ばんだ体温が伝わり、首筋が快く匂いかけてくる。私の身体も同じようにしているのだろう。「元気そうだな」「きみも」「いや、俺はちょっとだめかもしれない」同時にふいと同僚の身体が離れた。「俺たち、離婚するんだ」

 同僚は気まずそうに唇をゆがめた。「俺の方がさ、違う身体おんなに気を取られすぎちゃって。要は怒らせたんだ。昨日から、ろくに働いてくれないし、飯もまずいし、もう出ていけっていう気配がいっぱいでさ。おんなに隠し事はできないって本当だな。明日には手術に行ってくるんだ」「どうして今言うんだ」「急に決めたことなんだ。まだ誰にも言えていなくて、でもお前には言っておきたかったんだ。お前、いい頭してるから、きっと上手いこと言って慰めてくれると思って」そう言われても、私はどちらかと言えば不人気な方で、したがって、そう上手いことは言えない。

 言葉に詰まっている間に、私の身体が勝手に動いて、同僚の頬を殴った。痺れる痛みが頭にも伝わる。怒っているのだ。自分のおんなを裏切ったことに、あるいは離婚することそのものに。同僚とはそのまま別れてしまった。

 仕事を終えて家に帰ると、身体が夕飯を作り始める。その間頭はあてどなく討論番組を眺めるくらいで、身体の役に立てるとも思えない。スクリーンの中では、おとな三人が寄り集まって、愛だの正義だのについて語り合っている。それぞれにきらきらしい服装で、かかとを高く鳴らして、整った姿勢を気にかけつつ、頭同士の会話は留まることがない。

 独頭時代には文字面に終始していた議論が、結婚するとよりよく分かるようになる。これは身体の経験が頭にも共有されたことが原因だという。おとなはこの事実に大半が喜んで、日夜討論を交わして面白がっている。「それで、やはり頭も身体も本来は善悪の境のないところで生きているのですから」「分からない同士が出会ってしまって、分からない同士で分からないままにこうなってしまったと?」「いやいや、分からないなどということはない。頭は言葉を、身体は感情を知っているのだから、互いが協力すればすぐに分かることです」「どうだか」「私の身体の経験上はそうですよ」「協力を怠ったことが原因でしょうか」「やはり頭が優れていなければ」「身体の経験の豊かさが」「互いに教育し合うことでしょうな」「教育など傲慢な」「しかし」「あるいは」身体の思考については、議論されているのを見たことがない。

 食卓の前で左右の手指を絡ませ合うと、しなやかに動いた。「分かってやれるといいんだけどな」痛みは引いていた。同僚のことを考えた。もしかすると、身体同士で通じ合うところがあったのだろうか。私の身体は同僚の身体のかなしみに反応したのだろうか。身体は頭の会話を知らない。頭も身体の会話を知らずに生きている。どうやって会話しているのか、何を伝えあっているのか、伝える必要があるのか、知りたいと思い、知らなくていいとも思う。これは身体の側の判断かもしれない。


離婚

 離婚。離縁。不仲。破談。離別。不吉な文字の流れと感覚の停滞に気を取られているうちに、私と身体は分離していた。「ご苦労様でした。出会いに恵まれますように」今まさに出会いを失ったところで、そんなことを言われても戸惑うだけだ。呆然としている私を籠に積んで、独り身のおんなが店に連れて行った。籠が揺れるので視界が弾み、ぼやけ、感覚の共有が途切れ途切れに、そして何も感じなくなった。

 無感覚の平穏は独頭時代以来だ。私を捨てた身体への憎しみも懐かしさも感じない。ただ言葉としてそれらがある。「可哀想に」「どうして離婚したんだ?」「結婚は死ぬようなものだって、前離婚したやつが言っていたよ」「死んだのか?」「死ぬってどんな感じなんだ?」身体を知らない独頭のおとこたちはとにかく話したがる。知りたがる。感動も感覚も知らぬまま、言葉の意味ばかり求めている。こういうやつらを哀れというのだろう。私も哀れか。無感動なショーケースの中に帰ってきてしまったのだから。

 「死ぬようなものではないさ」話さなければ本当に死んでしまいそうだ。無論、言葉の上で。死にそうな恐怖、喜び、感銘、それらは結婚していた時にも感じたことなどなかった。平穏で淡々とした凡庸な日々だった。なぜ離婚したか、分からない。

 「結婚というのは、戦いなんだ」話さなければ。この興味深げな浅慮のおとこたちに教えてやらなければ。「判断と感覚の、頭と身体の、おとことおんなの戦いだ。しかし融和もあるんだ。幸せな合一もあった。別れたのは、戦いだから……ひとりの幸せが欲しかったから……いや、違うな。飽きたんだ、たんに。互いに新しい頭と、新しい身体と、出会いたくなった。だから別れた。私といる時間が不幸せになってしまったんだろうな」おとこたちは黙り込んだ。きっと頭の中で思考と判断が回っている。考える元手になるような感覚も感動も経験もないのに、むしろそれだからこそ、堂々巡りの思索に陥って、独頭生活の長いおとこほど早く死んでいく。私もそうなるだろうか。機械の身体を得て、個頭で文筆でもやろうか。それが残されたおとこの末路にふさわしいというもの。

 「しかし、おんなだって離婚すれば不幸せじゃないか」誰かが声を発した。「飽きっぽいやつは嫌われるっていうよ」「そうさ、おんなの方に悪いところがあったんじゃないのか」ああ、善悪も幸福も知らない若い頭たち。ただ美しさを称える言葉を熱心に語るだけの、本来熱など持たない者たち。言葉尻で名目上の憎悪を煮やすだけの愚痴っぽい心。愛しいとは思わない。しかし醜いとも思えない。「身体に不備はなかったよ。毎日世話をしてくれて、一緒に働いた。何が悪かったのかも分からない。私には想像することしかできない」おとこたちは、分からないとは何だ、分かるのが頭の特権だ、と横道に逸れ始め、潮の引くように去っていった。そういえば、海や潮がどんなものかも知らずに離婚してしまったな。

 感情を伴わない後悔が思考を満たし、麻痺させていく。ショーケースの外を見やると、今日もおんなたちが立っている。こちらから見ると、まるでおとこがおんなを選んでいるようだ。傲慢な考えだ。私はおんなたちに向かって、微笑みをつくって見せた。

 おんなたちが来て、帰って、その回数で三日経ったと推測された。私の隣に、土に汚れたままの頭が置かれた。見ると、どこかで見たような頭だった。「おや、きみは……」相手も同じことを考えているようだ。互いに経歴を教え合った。工場の社長の頭だった。同じように離婚したらしい。「なぜ汚れているのですか」「捨てられたんだよ」社長はそっけなく語った。雨の降る日にいきなり身体から取り外されて、感覚の喪失に呆然としている間に、路肩に投げ捨てられたらしい。「頭が身体をコントロールしてやっていると思っていたんだが、捨てられるのはこっちだったんだなあ」社長はその後洗浄されて一見力強い頭に戻ったが、首のつなぎ目には離別の傷が鋭く残り、私同様全く売れなくなってしまった。

 私を捨てた身体おんなのことを思った。元気、健康、丈夫、そういった言葉に当てはまる生活をしているといいが。頭を失って、いや、頭から自由になって、ひとりで、気の向くままに歩こうとしている身体。しかし頭がない時のバランス感覚を忘れていて、少しふらついてしまうだろう。それを頭身そろったおとなに助けられる。独り身では危険ですよ、感覚頼りなのだから……。しかしひとりになりたかったのだ。頭なんかにどうこう言われたくなかった。不得手な思索などせず、誰の世話もせず、独身に返りたかった。私たちが愛されるために毎朝履いていたハイヒールを、もう脱いでしまうかもしれない。愛される必要があったのはわたしだけだった。指を風にまぜる仕草もしなくなるだろう。裸足で往来を歩き、ショーケースの前を素通りし、私がいても気づかぬふりで、街から出ていく。素足は痛むか、それとも快いか。胸は期待に温もっているか。街の外は寒く、あるいは暑く、死んでしまうかもしれない。しかしそれでもいいのだ、自由だから。わたしには感覚できないとしても、独り身はきっと幸福だ。そして同時に、少し寂しくあってほしい。

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