生活雑感・小説雑感 作:奴
トーマス・マンの『魔の山』では、サナトリウム(結核等の長期療養所)という空間的なかぎりで閉鎖的な場所がもたらす時流のゆがみが語られていた。このことについて主人公ハンス・カストルプは時間論と称して持論を開陳した。つまり平板な日常が時間間隔を麻痺させ、生活の最小単位がひと月になるというものだが、このような飛び越えは人間が往々にして体感する自然現象で、何も肺病患者だけが達する仙境ではない。われわれもまた、尋常世界を単調にくりかえすうちに時間から乖離してゆくことになる。朝と夜の別はほとんど感覚されず、気がつけば一日が終わった、一週間が終わったと口にし、結局のところ一か月や一年はじきに過ぎる。そうして正月三が日は、その日常的なまどろみのすえ、上がりがまちに腰を下ろしている。月日は百代の過客と世の申す。
あるとき兄が冗談に、「俺がもう二十三ったあ棺桶に片足突っこんであるようなもんさね。じきに死んじまうよ」と漏らすのを、そばで聞いていた母と祖母は苦笑のすえ「若いうちからそぎゃんこつ――だったらこっちは全身棺桶と墓の下の二人やけん」と場を沸かした。当時は笑って聞いていた十九歳ほどの私だったが、今となればもうその時分の兄と同じよわいになり、自分もすでに死の淵に立っているように思う。
大学生になって年齢を感じるというのはまだ数字の上でにすぎない。肉体の衰えはないし、頭脳も目下明晰にはたらいてくれている。そのせいか自分の実年齢と精神的な感覚は年々離れている。まだ十五、六のつもりで生きているが、先月で二十二になった。
二十歳を越すというのはまずもって私に意外な事態であった。というのも小学校時分から自己の成長してゆくことに思いをはせたものだが、そのころ中学生はたいへんな大人に見えていたし、高校生以上はずいぶんな隔たりがあるように考えていた。私の周囲には兄のほか年の近い親類はなかったし、父母などは年が離れすぎていてなんだか得体が知れなかった。
幼稚園のころに親とは何ぞやという疑念に至って混迷に陥った私は、大人がまるきりわからずにいた。人間は生まれおちるとある年齢から開始して、それは五歳とか三十いくつとか人ごとに変わるものと承知していたので、自分は三歳くらいからしか記憶がないから三歳で始まり、親は二十五、六に結婚したと言うのだからそのくらいに生まれたと本気で考えていた。それが影響してか、死ぬ年齢も合わせて決まっていると踏んでいた。親はどうも七十や八十までの天寿を授かっているようにみえる。では、影のように漠たる未来は自分にどれほど与えられたものだろうか。中学生より先の将来がぜんぜん想像できなかった私は、どうやら十三、四で死ぬらしいと勘定した。高校生の姿も大学生の姿も自分には当てはまらなかった。
だから、じき死ぬものと心得て生きていた私は、高校に入り、なぜ成人になろうとしているか見当つかず、爾来実感なき生をむさぼった。というのはつまり、どうせ死ぬものとして生きた十四年のすえ、まだ生きながらえるとなればいったいどうやって生きてゆけばいいかわからなくなるというものだ。なぜまだ死なないだろう、なぜまだ生きているだろうと不思議がって、私は自分の命を自分のものではないように抱えていた。近所の子どもを一日預かっているような心持が絶えなかった。こういうわけで私の実感の年齢はとうとう十六で止まった。
しかし二十二年の歳月を閲し、顧みるにわけもわからず過ぎてしまったというかんじで悔やまれる。現状よりよい人生が送れたはずとは後悔しないが、ただどことなく惜しい気がする。来し方は霧のなかから私を責めたてる。
大学に入ってからもそうだが、卒業論文にとりかかってからはなおさら早い。研究内容を決めたのが五月で、あしかけ七か月、いしくも完成させたというのが本心で、当初から十二月のなかばには第一稿をと予定立てしていたのがそのとおり済むのは私に安心感をもたらした。一か月弱を残して、これから第二稿に手をつけ、それも週明けには終わる見込みであるから、このぶんなら早々しあげられそうである。ただその先には大学院試験が待ってあるから油断ならない。息をついて座りこんだ峠から幾峰もつづく果てしない山道を眺める心地である。
ところで、あの時間論は実のところ以前に「失愛者」という小品で述べてある。あの話はそのうち完成させるつもりの長編に組みこんでいた手記を遺書にしたてあげたもので、意地のせいで最愛の人と生別した男の立場でものを語っているが、かかる設定の効するよりほかはすべて私の所感そのままを書いてあるから、半分はエッセイのつもりで著したと言ってさしつかえない。時間の話は初夏に『魔の山』を読んだ残響である。
小説を書くときには近々に読んだものが影響するから、いきおい思想や内容が似てくる。しかしそのようにしてしかものは書けないようにも思う。材料を脳内に引きこまなければいったい何をひねり出すのか。おおかたのシナリオはもう聖書のかぎりで出つくしたという。さらでだに旧約はキリストの生まれるより前からあって、爾来三千五百年とかいうのだから、今あるものは出がらしに相違ない。極論を言えば陳腐なものばかりで、みな何かの模造品である。そう思えば、何に影響されようが何を書こうがかまわないだろう。ただそこには名品のなごりが、砂漠の砂紋とか寒冷地の雪紋(シュカブラ)とか、横っ風でできる模様のごとくに見受けられるばかりである。
小説のアイデアは思いつくのはいいにしても形にするとなれば難渋する。物語の断片が思いうかんだからって育ってゆかなければ意味がない。とりわけ困るのは一万字を越してから筆が止まる瞬間である。というのはつまり、二、三千字で遅滞したならまだあきらめがつくのだが、一万字も書けば、せっかくの四文字が脳裡に響くのである。ここまでずいぶんな量をしたためたが、なぜ今さら手が止まるのか。そうしてなぜ今さらあきらめられようか。ここまで書いたならと私は思う、でも当の私がまるきり書きすすめられないのだから何にもならない。ラップトップで書く以上、筆という言葉づかいは変だが、それは慮外にしても私は実際のところ、この文明機械の前に立ちすくんで動けなくなる。物語は思うとおりには進展せず、登場人物は口を開けたまま閉じない。「だって、あなた」と言ったきりである。私はその次が欲しい。そうしてその先の行動をつくりたい。けれども何も浮かばないのだからぐずぐずしている。ぽかんとするうちに天鳳(ネット麻雀)を打つ。
発案は時間軸にしたがい二つに分かれる。一つははなから全部思いつくことである。あるおり瞬時にかーんとアイデアが脳裡に落ちてきて、ではこうしよう、こういう展開にしようと考えがじきにまとまる。こういうときはたいてい四万字以下、とくに一万字に満たない短編が多い。たとえば「洗礼の痕」「一望できる生活」「双子」「雪の眼」「中秋の名月」などは最初から全容を把握して書いた。だから「洗礼の痕」は原稿用紙で四十枚ほどだが、にさんちで書いてしまって、修正の時間のほうがよほど長かった。いま一つは書きながら次々と思いうかんでいくやり方である。ふつうはこちらが多く、基礎的な設定を考えついたらひとまず書きだしてみて、あとはそのときの筆の向くほうを進むというぐあいである。しかしこの方途をとるから筆が突然止まって動かなくなるのだが。
ほかは書きだしを思いつくばあいもある。第一文が空想がちな私の頭に現れて、あとは堰を切ったように滔々と湧いて収まらないから、とかく書いてしまおうとメモに走り書きしておくのが常である。最初の一段落で源泉が絶える事態もあるぶん、淀みなき創案の尊栄に浴するのもしばしばある。たいていはこうやってできあがる。
だが稀有な事態として、題名を思いついてそれに沿うような物語をつくることもある。それが「X星のシダ」「知らない町」で、この二つきりである。「シダ」は高校生で小説を書きはじめてすぐの考案で、いつかものにしようと思ってメモのなかに蔵されてあったのを、あるサークルのために着手したのだった。未知の星でシダ植物になって一生を過ごすとしたら、人はどんな思索をするだろうと考えてはみたものの、それをどうやって退屈しない表現にするかが出てこず、恒星の光差す星の上に無数のシダ植物が茂っているイメージだけが私のなかに浮かんでは消え、かかる継起のうちに高校時代の創作活動がいとなまれたのである。
思えば高校のあいだは小説発表の準備期間で、本式に書きだしたのは大学生になってからという観がある。というのも、今のところ前期と称してはばかりない最初の三年は、ごく短い作品ばかりで、いちばん長いもので百枚に満たないほどであった。それも今になって読みかえすと文章のあらが目立ち、とうてい他人に読ませるものではないのだから恥ずかしい。県下の高校文芸部が寄り集まる合宿で一万字くらいの話を出したときには、なんだかいかめしい純文学調の文章がしっちゃかめっちゃかに並んであるだけの乱文を読ませる仕儀となって、どこぞの顧問からは「あなたは文章が悪いですね」と苦笑された。当時の私は、この顧問を嘲っていたが、今になるとその一万字のうち五百字も読んでいられないくらいひどい文章であった。
では大学に入ってからいい文章が書けているのかと人は問う。否と私は答える。「覚書」のほうでも述べてはいるが、人は言葉にするとなるといつも表現に失敗する。だとしても試行錯誤のさなかで成長してゆかねばこれまでの行いは何であったかわからない。執筆歴六年八か月、そろそろまともな書き筋になっていなければ、努力不足か能無しかであろう。前よりはずっとましなものが書けているが、それでもまだ、というのが偽らざる本心である。
予定より長く生きた。書きたいもの、読みたいものはまだあるがおおかた満足している。「死ぬのが万物の定業で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかも知れない」とは猫としての漱石の言葉である。他方その所感を反故にする心持は、夜叉に堕ちた青年が弁じてくれる。「死んでさへ了へば万慮空くこの苦艱は無いのだ。それを命が惜しくもないのに死にもせず……死ぬのは易いが、死ぬことの出来んのは、どう考へても余り無念で、この無念をこのままに胸に納めて死ぬことは出来んのだ」何もこの二言を相闘わして人間心理の一般を窮理する算段は立てておらんが、しかし死んで死ねぬ生命でもないのにあえて生きようと努める心境には、このような事情があると心得る。人間はふつう死ぬに死ねぬ。死んでよかろうと観念するのは早いが、よしこう思ったとして敢然と自刃する勇気だけは持ちえぬが常道であろう。何にも抗いようがないながら、ただ抗弁だけしておくのが生の営為の常である、また人間の通一遍である。自分の心臓だけは容易に潰しきれなくとも詮なく思うのが尋常の心根である。すると書けないと思いながら書いてゆくのが愛好家のさがだろうか。書けぬを承知して書けぬに徹しながら書くのが常道だろうか。窮めて窮めきれぬが創作だろうか。万事不分明と片づけておく。
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