昨日の買い言葉 作:皐月メイ
「俺は絶っ対、お前より金持ちになってやるからな‼」
「じゃあ私は、あんたよりスゴイ権力者になってやるわよ‼」
売り言葉に買い言葉。こども同士の些細な言い争い。10年も昔のことだからその理由さえ覚えてはいないが、約束だけは覚えている。
俺と彼女はいわゆる幼馴染だった。幼稚園から始まって、小、中、高、そして果ては大学まで。別に仲が悪いわけではなく、ちょっとしたいがみ合いはするものの、だからこそ仲が良いというか、喧嘩するほど、というやつだ。少なくとも俺はそう思っている。
彼女よりも金持ちになる。あの日、そう宣言しはしたものの、彼女がどうやって俺以上の権力者になるのか気になっていないといえば噓になる。彼女の行動はいつだって俺を驚かせてくれた。今回だってきっと、俺なんかには思いつきもしないような方法で権力を握るのだろう。そう思うと童心に返ったようにワクワクする自分がいる。
大学に入って、早くも2年が過ぎようとしていた。年も改まり、成人式が執り行われた。俺と彼女は文理選択が別だったため、大学に入ってからはあまり顔を合わせなくなっていた。それでも、週に1~2度はメッセージアプリでやり取りしていたため、久々に顔を合わせるのがなんだか少し気恥ずかしくも感じた。
親父のスーツを借りて、最低限の身なりを整えたと感じていた俺は、彼女の隣を歩くのが恥ずかしいとさえ感じた。それほどまでに、彼女の晴れ着姿が美しかった。むかし、俺と一緒に近所の田畑で悪戯をして怒られていた悪ガキと同一人物とは思えなかった。
一方の俺はなんだ、襟元はだらけていて袖口のボタンは留めずに腕まくり。挙句ネクタイすら持ち合わせていない。まるで浮浪者が拾った服でも着ているかの如き恰好。正に月と鼈。高低差400,000㎞の恋をしたような気分だ。
「私たち、次に会うのは25歳になったときにしない? 」
同窓会も終わり、最後に二人で家路をたどっていた時、彼女から突然の提案だった。訳が分からなかった。会わないことに対する合理的理由が見つからなかった。しかし、だからといって、会うための理由もまた、ついぞ見つけきれなかった。年始の挨拶や誕生日のお祝いなど、そういったことを除いて連絡を取らないという約束まで取り付けられてしまった。
俺はこの時、自分の生来のだらしなさを呪った。きっと、人生の節目に晴れ着のひとつも着こなせない俺に嫌気がさしたんだ。魂の抜けたように実家へと戻った俺は、人知れず涙を零していた。
あの日から4年。俺はようやく医者となれた。とは言ったものの、まだ研修医だ。俺の思いついた、俺でもなれそうな金持ちが医者だった。幸い、救いようのない馬鹿ではなかったため、必死の努力でここまで食らいつくことができた。あれから、彼女とは本当に会っていない。メッセージのやり取りも、月に1度あるかないか。にもかかわらず、彼女を一心に思っている自分自身に、驚きを超えて呆れ始めてきた。
彼女が何をしているのか知らないが、俺には思いつきもしないようなことをしているんだろう。そう信じたい。しかし、権力者になると言ったわりに未だ彼女の名をメディアで見ないことに、俺は言い知れぬ不安を抱いていた。彼女が約束を違えるわけがない。そう思ってはみるものの、一度鎌首をもたげた不安は簡単には消えてくれなかった。
翌年の12月の初め頃、彼女から連絡がきた。
「1月1日、お昼にいつものところで」
たったそれだけの簡素なもの。詳しい場所さへ記されていないメッセージ。しかし、これは俺と彼女だけが共有する秘密が解決してくれる。20歳から25歳へ。彼女の5年間に対する期待と不安が膨らんでいった。
来る年の初めの日、しっかりとした和服に身を包んだ俺は実家の近くにある山の中腹あたりにいた。そこには、小さな社殿がある。俺が生まれる何十年も昔に信仰を失った神のなれの果て。俺は、かろうじて姿を留める賽銭箱の横に腰掛けていた。
彼女の言った「お昼」まで、まだ1時間ほどあるものの、逸る気持ちを抑えきれなかった。こんなに落ち着かないのは人生で初めてだ。どこにも焦点を当てず、ぼんやりと風景を眺める。人の来なくなって久しいであろう社殿の前庭は、冬の寂しさにのまれながら静かに自然へと帰ろうとしていた。
徐に立ち上がり、袖口から財布を取り出す。横の賽銭箱に百円玉をいくつか放り入れる。
神様なんて信じていないし、こんな廃れた神社に今なお居座っているとも思えないが、もし居るのであれば、俺の雄姿を見届けてほしい。どのような結果になろうと、これが俺の積み上げてきた25年間だ。1柱くらい立会人がいても良いではないか。
丁寧に下げていた頭を上げようとしたとき、背後の階段から下駄の鳴らす軽やかで荘厳な音が響いてきた。一段一段踏みしめるような足音。彼女の喜びと緊張がこちらにまで伝わってくるような気がした。
「ありゃ? ずいぶん早かったみたいだね」
聞き慣れた声、忘れもしない声。心は急いているくせに、身体が全くいうことを聞いてくれない。ゆっくりと振り向いたそこにいたのは、いつかと同じ晴れ着を身にまとった彼女だった。
会わない5年間のうちに、彼女はさらに美しくなっていた。勉強しか取り柄がないのに、こんな時に彼女を褒める言葉が思い浮かばない。まったくもって使えない頭脳だ。
「久しぶり……その、会いたかった」
口を衝いて出た、心からの言葉だった。彼女は桃色の頬をいっそう赤くし、静かに微笑んだ。
俺たちはこの5年間を埋めるように、たくさんのことを話した。どんなことをして、何を見て、何を思ったのか。話の種は尽きなかった。いつしか世界が白く染められていた。
空いてしまった心の隙間を埋めるように、そっと彼女の手に己のそれを重ねる。それを受け入れてくれたことの証明か、彼女は俺の肩に頭をのせてきた。自分の中から湧き上がる熱と、彼女から伝わってくる熱が重なって、周囲の雪が解けるんじゃないかとさえ思えた。
「ねぇ、お金持ちにはなれた? 」
不意に彼女が聞いてくる。
「まだ、ようやくスタート地点。そっちこそ、権力者なんて抽象的なこと、どうにかなるの? 」
「まぁ見ててよ。あんたなんかじゃ手の届かない存在になってやるんだから」
晴れ空のごとく笑う彼女を、強く抱きとめる。驚いた彼女が固まっているうちに、次の言葉を紡ぐ。
「じゃあ、手の届くうちに捕まえとかないとな」
彼女も俺のほうへと手をまわしてきた。
「なにそれ、やり直し……」
手厳しい。が、自分でもどうかと思ったので予め用意しておいた言葉を投げる。
「俺たちの約束さ、期限決めてなかったし、抽象的で勝敗が分かりにくいから……わかりやすいように、ずっと一緒にいてくれないか?」
「やり直し」
言葉とは裏腹に抱きしめる力が強くなる。
「あのねぇ、こういうのはストレートでいいの。あんたは昔からそういうの苦手よねぇ」
彼女の言葉が、吐息が、着物の薄い布越しに胸板へと伝わってくる。その熱が、気持ちを伝える手伝いをしてくれる。
「……好きだ。意地っ張りで、我が儘で、でもそんなところが可愛くて、綺麗になったと思ったら、その実中身は昔のままで……そんなお前が、好きだ」
至近距離で彼女と目が合う。先程まで腰にまわされていた手が、いつの間にか俺の首に掛けられていた。
「最初からそう言いなさいよ……」
漏れ出す吐息が肺を侵食する。脳が煮立って溶けてしまったような、そんな感覚。やがて唇と唇が重なる。はじめてのキスはレモン味だなんだと聞いたことがあるが、俺にとっては脳髄の痺れるような甘味であった。好きという感情が愛おしさに変換されていく。
ややもして、どちらともなく顔を離す。彼女の熟れた林檎のような頬は、この雪と寒さのせいではないと思うと、言い知れぬ高揚感が身を包む。
彼女が空を仰ぐ。つられて見上げると、雲間から数柱の陽光が差し込んでいた。地を覆う雪がキラキラと輝く。冬が終われば必ず、春が来る。離れていた視線が再び交わる。
「好きだ」
それは、自然に漏れ出た言葉だった。飾り気の一つもない言葉。しかし、だからこそ心の伝わる言葉。
「私のほうが、あなたのことを愛してるわ」
破顔した彼女が伝えてくる。心の奥底から暖かくなるような、不思議な気持ち。こんなの、解剖学で習っていない。
「じゃあ、勝負だな」
「えぇ、そうね。期間は死が2人を分かつまで」
彼女の手を強く握る。絶対に離さないように、この愛情を伝えるために。
俺と彼女は、昨日の買い言葉を胸に、明日を生きてく。
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