人間養殖 作:俗物

 数日前の夜、あの寒かった日、俺は駅前で泥酔して暴れていた。しがないパチンコライターである俺は、学生時代からの夢である小説家になるということを諦めきれずにいた。いつもはコンビニの片隅に売ってるようなパチンコ雑誌に寄稿しつつ、電飾で埋めつくされた店で仏壇の前に座りながら、将来の文豪になる事を夢見ていた。憧れは松本清張のような社会派だった。

 そうして、原稿を大手文芸雑誌に懲りずに持ち込んでいった。政治家がカルト宗教に染まっている現状を告発する思いを込めた大作だった。ただ政治的主張を組み込むだけではなく、政治家という人間の葛藤も描いた、とても文学賞に相応しい内容だったはずだ。だが、大作を読み終えた編集者はぬるくなったコーヒーを飲みながら、冷たくこう言い放った。

「週刊誌、そうですね、コンビニの片隅にある三流誌にでも持っていけばいいんじゃないですか(笑)」

 俺はその言葉を聞くや否や、編集部を飛び出した。渡した原稿を取り返すことすらしなかった。その後、少し慌てた様子の編集者を放って出て行った。そこからは大した記憶が残っていない。気づけば、どこかの居酒屋で安酒を呷り、駅前で演説をし始めたらしい。「らしい」というのは、ベッドの上で警察官に言われた言葉だ。そう、俺はいつの間にか酔いつぶれてぶっ倒れたらしく、タクシーか何かに撥ねられたそうだ。しかも急性アルコール中毒もやらかしていたらしい。そのまま、救急車で運ばれたという訳だ。こうして、俺は糞みたいな日常から更に糞な非日常へとつれていかれることとなった。



 晴れて三か月の入院生活を送ることになった俺であったが、パチンコ生活よりは健全で退屈な日常であった。起床は六時、朝食は八時、午前中は検査(たまに採血)と問診で、昼食は十二時。午後からはリハビリ、面会に来るような人もいないから談話室でテレビを見る。早めの夕食が終ったら看護婦が清拭に来る。十時には消灯という念の入れようだ。部屋のテレビを見ても大して面白いこともない。事故の相手の保険の都合とやらで、単独部屋になったのはいいものの、むしろ一層の孤独感を増すだけであった。

 だが、そんな生活を送ってからしばらくして、俺にも友達が出来た。談話室でテレビを見ながらただお喋りをする、いわゆる茶飲み友達というやつだ。仮に名前を樹林さんと橋爪さんとする。樹林さんは六十代後半の男性で、腰を骨折してしまったそうだ。今では手術を繰り返しながらリハビリをしているそうだ。橋爪さんは七十代の女性で、末期がんだそうだ。だが、本人は悲観的ということもなく、むしろあっけらかんとしている。本人曰く入院患者の中で一番の古株らしい。

 こうした二人との会話にはある意味勇気づけられたところもある。今日もテレビを見ていたら、漫才のコンテストで優勝したというコンビがワイドショーにゲストで出ていた。彼等はいわゆるリズムネタで、ツッコミの東大出身の天才とボケの中卒の馬鹿の凸凹コンビというふれこみだった。

「この人たちどこが面白いんだい」

 これは樹林さん。樹林さんはもっとコテコテの関西の漫才が好きらしい。

「あら、私はこの子たち好きよ。なんか可愛いじゃない」

 橋爪さんは、ボケの子を気に入ったらしい。なお、橋爪さんは作家志望である俺のことをセンセイと呼ぶ。照れ恥ずかしいが、嬉しくもあった。

「まあ、何か不思議な子達ですよね~。」

「センセイは、こういうお笑いも見るのかしら?」

「たまに見ているくらいですかね」

「俺の若いころはもっと何と言うか、ボケとツッコミの掛け合いというか、なあ……」

「もう! 樹林さんったら。また、老害なんて言われますよ」

「あいたた、こりゃ一本取られたな」

「お二方の方が面白い漫才できますよ」

 こんな風にゆるくともどこか温かい会話をしながら過ごしていた。これもまた、今までにない非日常だった。今まであまり感じたことのない生活に幸せを感じていた。



 とある雨の日。窓の外には鉛のような雲が広がり、どこまでも埋め尽くすような空。見ているこちらも気が晴れない。嫌な天気の日には嫌なことが起こる。談話室に緊張が走ったのである。きっかけは、橋爪さんの体調がいよいよ悪くなってきたことだった。談話室に姿を見せない彼女のことを、俺と樹林さんは心配していた。そこに、俺よりも若い患者(名前も知らない)がこう罵ったのだ。

「あのばばあもそろそろお迎えか。いつもここを我が物顔で使っていて、腹が立ってたんだよなあ」

「なんだと? 貴様、殺してやる!」

 昔取った杵柄か知らないが、樹林さんが立ち上がって激高してしまった。しかもそれで、腰をまた痛めてしまったものだから、さあ大変。俺は慌ててナースコールを押し、看護婦と俺と樹林さんの主治医である古池先生がすぐに駆け付けてきてくれた。

「樹林さん、大丈夫ですか!?」

「あいたたたた……」

 こうして樹林さんは担架に載せられ運ばれていった。若者は、ぶつぶつと文句を言っていたが、看護婦に追い出された。だが、去り際に俺にこう言った。

「センセイ、人間の養殖って知ってるか?」

 俺は相手をすることもなくにらみ返した。その日はそれでおわるはずだった。しかしながら、間もなく就寝かというときに古池先生がこっそり病室にやってきた。

「ありきたりな表現ですが、良い話と悪い話があります」

「は、はあ」

「まず良い話からです。あの若い患者さん、名前は森さんというそうですが、彼には退院していくことになりました。あれだけの騒ぎを起こしたのです。仕方ありません。もうひとつ、あなたにも退院していただく運びとなりました。これは騒ぎとは関係なく、保険の適用の関係だそうです。もちろん術後の経過もよく問題ないとこちらからも保証いたします。また、今後は通院というかたちになります。これは明日手続きの方をお願い致します。」

 ここまでの長台詞を温厚な古池先生が言い切るのに違和感を抱いた俺は、質問をした。

「悪い話って何ですか。それに明日手続きをって、樹林さんや橋爪さんには挨拶もしていないし……」

「はあ、それが悪い話です。橋爪さんは本日お亡くなりになりました。それは眠るように穏やかな最期だったと聞いています。また、樹林さんも……」

「え、なんでですか! 樹林さんも……?」

「ええ、樹林さんもあの後に容態が急変いたしまして。どうも血圧を上げすぎてしまったらしく、気づいたときには手の打ちようもなく……」

 そのあとの古池先生の話はよく覚えていない。ただ気づけば朝だったし、朝食後には採血があり、退院手続きがあった。心の中では、茶飲み友達の二人が急に消えた喪失感と、それをもたらした森とかいう若者への怒りが湧いて出ていた。幸せな非日常は脆くも崩れさった。



 退院後、俺は森を探そうと思ったが、その手間は要らなかった。彼から会いに来たのである。彼は路上を歩く俺の肩を叩くと、開口一番こう言った。

「無事に退院出来ておめでとう」

「あ? どういうことだ。それにお前のせいで!」

「まあ、話は後にしよう。この先に行きつけの飲み屋があるんだ。行こうぜ、センセイ」

 森に連れられて居酒屋に入ると、テレビがついていた。相も変わらずクイズ番組とかばかりだ。また、凸凹コンビは出ていてツッコミは全問正解、ボケは全問外すというある意味百点満点の回答をしていた。

「そんなにテレビが面白いか?」

「いや、別に」

「まあ、このコンビって良いだろう?」

「特に思わない」

「ふーん、まあいい。どこから話そうかな。ああそうだ、樹林の爺さんのことは悪かった」

「そうだ、お前のせいで。なんであんなことをした」

「頼まれたからさ」

 そういうと森は芋の水割りを一気に飲み干した。カラン、コロンと氷がグラスの中で踊る。そのグラスに森の顔が反射する。大きく鳴ったり小さくなったり、光の魔法で入れ替わる。それを見ていると、自分も飲み込まれそうな気がしてきて、負けじとビールのジョッキを空ける。その姿を見て森は笑った。爬虫類みたいな笑顔だ。

「おばちゃん、どっちもおかわりよろしく。ああ、それで何の話だったか。そうだな、誰に頼まれたんだって顔してんな」

「ああ、教えてもらいたいよ。俺は頼んだそいつを殴らなきゃ気が済まない」

「聞いて驚くなよ? ……あの二人だ」

「え」

「だからそのままだって、さ。橋爪さんと樹林さんからさ」

「なんでそんなことを」

「んー、まあ何と言うかな。センセイはあの時の俺が言ったことで気になることってなかったか」

 思い返してみると、そう、一つだけ有った。どこかに不自然な記憶として残ったそれが。

「人間の養殖……」

 ちょうど、店のおばちゃんがおかわりを持って来た。おかわりの焼酎を舐めるようにして、森は静かにうなずいた。



 数日後、俺はまた病院にいた。今度は通院患者としてである。また採血を終え、古池先生の問診が始まった。型通りの問診、古池先生はすごく温厚であった。問診の最後に俺はきちんと用意したものを作動させつつ、質問を始めた。ここからはパチンコで鍛えた二択を当てていくだけ。

「古池先生、一つ聞きたいのですがいいですか」

「なんでしょうか」

「橋爪さんと樹林さんのご家族の連絡先ってご存知でしょうか。あの時は気が動転していて挨拶も出来なかったものですから」

「ああ、橋爪さんには娘さんがいるそうですが、海外に嫁がれたそうで。残念ながら、時節柄戻ってこれないそうです。もしよろしければ、ご住所はお教えいたしますよ」

「そうですか。それは是非とも」

「樹林さんについては、年の若い息子さんがいたそうですがもう縁が切れているそうで……こちらもわかりかねましてね」

「そうですか。せめてお二人に最後の挨拶をしたいのですが」

「……それでしたら、まだお二人の御骨は霊安室に置かれてますからご案内いたします」

 古池先生の案内の元、霊安室に向かうこととなった。霊安室の中はきれいに整理されていて、机の上に二つの骨壺があった。二人の茶飲み友達への感謝の思いを込めて、俺は手を合わせた。

「古池先生、ありがとうございます。これですっきりしました」

「そうですか、よかった。それでは戻りましょうか」

「いえ、待ってください。大事な話があります」

「ほう、なんでしょうか」

「全部、森から聞いたんです。この病院で古池先生がやっていることを」

「何のことですか?」

「人間の養殖です」

 一瞬の間が開いた。古池先生は慌てるでも怒るでもなく、ただ……笑った。

「あはは、面白いですね。そうですか、森君がそんなことを」

「養殖というと変か、正しく言えばクローンだ。ここでは優れた人間を養殖するためのクローンを作っている。例えば、テレビに出ているあの漫才コンビの天才もそうなんだろう?」

「はは、御冗談を。ん、へえ、なるほど」

 古池は少しきょとんとしていた。俺はむしろ苛立ちを隠せなくなった。

「何がおかしい?」

「いや、はは、続けてみてください。なんで森君からそんな話を聞いたんですか」

「あいつが教えてくれたんだ。『今テレビによく出ている漫才コンビの片割れだってクローンだ。ここではクローンをたくさん作ってる』って。橋爪さんと樹林さんは俺を守るために一芝居打ったって」

「守るため、ですか。何からです?」

「あんたに決まってんだろ。俺はあんたにクローンの素材にされかけたんだ。なんてったって未来の天才作家だからな」

「まあ、いいでしょう。もし私が、或いはこの病院がそんなことをしたとして、樹林さんや橋爪さんはどうして知ったんでしょうね」

「橋爪さんはここの古株だ。盗み聞きか何かだろう。そして樹林さんは息子をクローンにされたからだ。その実験の結果、息子さんは亡くなった。そのとき生まれたクローンが森だ。今回、俺が新たに素材にされかけていることに気づいた二人は、俺の為に森を呼び寄せてまで一芝居打ったんだ。森は優秀な頭脳を持ってるからな、よく考えた結果、橋爪さんの寿命の限界が来た時、俺を退院させるような騒ぎを起こした。何か騒ぎが起これば実験もおちおち進められない。だから俺を逃がすことができる。そういった寸法さ」

「なるほど、それで樹林さんは私の毒牙にかかったと」

「ああ、そうだ」

「面白い話ですね。だが、仮にそうだったとしてあなたは不用意すぎやしませんか。何故戻ってきたんです? 私に殺されるかもしれないのに」

 古池のその発言を聞くと、俺は高々とスマホを見せた。

「俺はこのスマホで録音して、それを森に中継している。あいつは優秀だから問題ない。俺に手を出すことは出来ないさ。堪忍しやがれ」

「ええ、確かに森君は優秀ですね」

 古池がそう言うと、霊安室の扉が開く。そこには白衣を着た森が居た。

「彼は最初からこっち側ですよ。立花さんも騙されてくれました」

「わりいな、センセイ」

「な、なんで……」

 俺が呆然としている間に、森は俺の背中に回ってきた。チクリと注射された俺は意識を失っていった。



 気づけば、白い天井、青い部屋、俺はベッドに拘束されていた。古池と森がこっちに気づいたようだ。

「お目覚めですか。冥途の土産にネタばらしをしてあげましょう。あなたの推理にはミスがありました。私は確かに何度もクローンを作ってきました。素材が死んだこともあります。漫才コンビの件でもそうでした。しかし、クローンは天才ではなく馬鹿のほうなんですよ」

「え、どういうことだ」

「だから、私は馬鹿のクローンだけを作っているんです」

「は? でも森は確かに……」」

「ああ、合点がいかない顔をしている。あなたは本当に馬鹿ですね」

 森が重い口を開く。

「俺は確かに漫才コンビの片方がクローンとは言ったが、どっちとは言っていない」

「でも、でもこういうのって天才を生み出すためにやるんだろ! だから俺も!」

「あははははははは、あなたは本当に自分を天才作家だと思い込んでいるんですねえ。森君説明してあげてください」

「俺たちは馬鹿のクローンを作る。何故かって? それはな、俺たちの安寧の為だ。人間社会はどうやって作られてきたかわかるか? 社会の最下層に家畜を飼うことによって維持されていた。その家畜は牛、馬、豚、そして奴隷、つまり人間だ。今でもそうだ。俺たち人間は自分より劣る誰かを見て、安堵して生きている。生きるためには見下すための誰かが必要なんだ。だから、そうした最下層を生み出すんだよ」

「なんてことを言ってんだよ……」

「後は私からも説明しましょう。実用的な面です。今、テレビの中で活動しているボケの子は、おバカキャラとして愛されています。相方のツッコミ君は普通の人間ですが、実を言えば天才なんか代わりが効くのです。そこら辺の東大生でも見つけてくればいいんですから。民衆はネタの良し悪しよりも雰囲気で、肩書きで笑っているんです。そんなの東大生なら醸し出せますよ。ただ、馬鹿はそうはいかないんです。ちょうどいい馬鹿、これを醸し出すのはクローンにしか無理なんです。天然物じゃあ、うまくいかない」

 俺は古池達の言葉を聞いてもなにも理解できなかった。IQの離れた人間同士は会話が通じないなどというが、それ以前かもしれない。

「それにね、天才のクローンなんて作ると大変なんですよ。やれ、クローンが自我を持って暴れだしたら大変でしょ? 『誰が生んでくれと頼んだ』なんて言われた暁には参っちゃいますよ。それにね、私達はクローンなんて繁殖なんて言わないんですよ。ただ我々人間からしたら家畜、これは労働力、愛玩動物、色んな意味を持ちます、これを産み出すための行為なんですから、「養殖」なんですよ」

「まあ、そんな中で失敗作だったのが俺だ」

「そう、森君は樹林の馬鹿息子から作ったはずなのに、頭脳が優秀過ぎた。ですから、彼には助手を務めてもらっています。さて、そろそろ薬が効いてきますかねえ」

「ま、待ってくれ! なんで俺なんだよぉ……」

「んー、あなたは純粋に無能で文筆の才能もないただのパチンコ依存症のアルコール依存症なのに、一丁前に偉そうな面をしていたからですかね。おかげさまで、樹林も橋爪も死んだし、この点に関して役に立ってくれたことについては感謝しています。さっさとパチンコ雑誌のライターに戻れば、殺すつもりも無かったんですがね。まあ、もしかすれば、あなたのクローンの中の誰かは大文豪になれるかもしれませんよ。パチンコの大当たり以下の確率でしょうけど」

 そう言うと、古池は部屋を立ち去る。段々と俺の意識も遠のいていく。最後に俺の視界に映ったのはあの爬虫類のような顔だった。

「おやすみ、センセイ」

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