第16話 服従の印

星十字セナは、逆流する胃酸の波を抑えつけることができず嘔吐した。


「うっ……おぇッ……」


鳴り止まぬ地響きが足裏から伝い、膝を付いてもなお、脳の芯が揺れている気がする。


口から糸を引くよだれを拭った際、付近に転がってきた眼球にふと気づいた。


その眼球が生きているときに見たであろう光景を想像してしまい、彼女は再び嘔吐。


やがて顔をあげる星十字セナだったが、その虚ろな瞳にはもう何十分と続く凄惨な殺戮が写りつづけている。


ーー信じられない。


力のない驚愕。


彼女が吐き気を催した理由は、揺れる地面でもグロテスクな光景にでもなかった。


目の前で殺され続ける探索者の心情を想像してしまったのが本当の理由。


圧倒的な力によって意識ごと破壊されてからの蘇生。そうして初めて、自身が死んでいたのだと気づく。しかし、それに気づいた瞬間にはもう次の死が待ち構えており、その死を阻止することすらできずに死ぬしかない。


存在の自由がきかないという点において言えば、狭い場所に閉じ込められる閉所恐怖症と同じような心情に近い。


足掻いても何もできず、抗うことすら許されない。


その運命を悟った瞬間の絶望や恐怖は如何ほどか。


想像しただけでも呼吸は苦しくなり、動悸は手汗を滲ませた。食道を通じて逆流してくる胃酸の臭いに再び下を向いてしまいたくなる。


それでも、星十字セナは想像せずにはいられない。


想像し共感することこそが、彼女がドリームウォーカー足る所以でもあったからだ。


ーーなんで……平気でいられるの。


しかし、その共感はおそらく勝手な妄想であり不正解なのだろう。


なぜなら、その探索者は、あまりにも平然と抗えない死を受け入れていたからだ。


人は死を恐れるものだった。そして、死を伴う痛みさえも人は恐れる。


それは、生きる生物としての本能にも近い。


だから、いくら死を拒絶できるとしても、自ら望んでその痛みを受けようとはしない。


ましてや、その痛みは何十回も耐えられるものでもない。


なのに、そんな星十字セナの当たり前を打ち砕くが如く、深井戸エイタは幾度も死に続けていた。





深井戸エイタが持つ能力は『魔物の服従』だった。その条件は、魔物が屈伏するまで無抵抗でいること。


それを彼は「平和的解決だ」と肯定的に捉えている。


しかし、実際に行われるのは「魔物が諦めるまで殺され続ける」というもの。


それは以前、御堂霧香にも指摘された事実。


そして、それこそが深井戸エイタがダンジョン動画配信者に向いてないとされた理由であり、彼が最弱のFランクにされている理由でもあった。


彼は、戦うことなくただ一方的に殺され続ける。


その終わりを、無責任にも目の前の魔物に放り投げてーー。


「ブモォ……ッッ……ブルルルッッ…」


ミノタウロスの咆哮には疲労が出始めていた。呼吸は乱れ、その肩はわかりやすく上下している。


「なんでお前たちは、そうやって執拗に探索者を殺すんだろうな?」


何十回にも及んだ殺害などまるで無かったかのように、エイタは素朴な疑問を口にする。


もちろん、その言葉が魔物に通じるはずはない。


答えはなく、返ってきたのは幾度となく繰り返されてきた拳だけ。


それにエイタは死に、そして蘇った。


「これは俺の憶測だが、たぶんお前たちは生きる意味を探してるんだろう。誰かの生死に関与することで、自分の生死に対する意味を生みだそうとしてるんだ」


独り言にしては声が大きい。いや、相手に言葉が通じないから、それは〝独り言〟というていを成しているだけなのかもしれない。


「誰もが自分が生まれた理由を探そうとするし、それが運命にも似た大層なものであって欲しいと願う。まぁ、当たり前だよな。なんの意味もなく生まれて死ぬだけだなんて、あまりにも味気ないからな」


その表情には、同情に分類される感情が浮かんだ。何度も、自身を殺した相手に対して。


「そうやって意味を生み出す方法を、お前たちは殺しという形で実行しているだけなんだろう。そして、もしこの憶測が当たっているのなら、俺は別の方法でお前たちに生きる意味を与えてやれる」


「ブモォォッッ……」


ここまで絶え間なく続いていた攻撃が止まった。それは、単にミノタウロスの体力に限界がきただけに過ぎない。


しかし、その光景は一見、エイタとミノタウロスが対話をしているかのように映る。


魔物に語りかける探索者と、その探索者の言葉に耳を傾ける魔物の図にしか見えなかった。


そしてーーそれは錯覚ではないのかもしれない。


ダンジョン探査機がぶーーんと震えた。


「俺に服従しろ。そうすれば、お前がこの世界に生まれた意味を見つけられる」


人語など通じるはずはなく、人と魔物が心を通わせられるはずもない。


そんなことは当たり前のことで、それを当たり前としてきたのは、ダンジョンがこの世界に存在して以来彼らが戦い続けてきた揺るぎない事実があったからだ。


事実を覆すことは難しい。難しいからこそ、事実とはいつの時代も純然たる真実として扱われてきた。


だから、探索者と魔物が共に戦う世界など在りはしない。


それが、この世界の真実だった。


にも関わらず、その真実をエイタは覆そうとする。


まるで、それこそが嘘であると言わんばかりに、彼は毅然と立っていた。


その姿は、おそらく赤い光を放つ瞳にも同じように写ったに違いない。


ドシン! 揺れた地面は、ミノタウロスが片膝を着いた振動によるもの。


疲労によって崩れたにしては、あまりにも不自然な低姿勢。


誰かに教わるはずもない頭の垂れかたは、奇しくも「服従」を言い表すのに適してしまっている。


「……六十八回か。確かに、Fランクとして戦うには強すぎるな」


そんなミノタウロスを前に、エイタは他人事のような口調でそんなことを呟いた。


六十八。それは言わずもがな、ミノタウロスがエイタを殺した回数。


「今からお前は俺のために戦ってくれ。その太い腕も凶悪な角も、すべては俺の為に在ったんだと盲信するんだ。誰かを殺すことで自分の存在意義を得られるのなら、誰かを救うことでも存在意義を得られるはずだ。命を奪うことはその者が生きた先の未来を破壊することであり、命を救うことは閉ざされたはずの未来を維持することなんだからな。どちらも、先の未来を変えたと言えるだろう」


詠唱にも似た長ったらしい言葉を、エイタは通じるはずのない魔物に語り続けた。


そして、彼は垂れた頭の中央に手を向ける。


「ーー星辰ステラ


暗がりの空間にどこからともなく青白い光が出現し、それはミノタウロスの額を照らした。


その光はやがて収束し、星のマークが描かれる。


「ブモォオオオ!!」


反り返った背筋から噴き上がるような咆哮は、空間の天井へと反響した。


赤みを帯びた瞳は青白い瞳へと変わり、燃えるような殺気は静かに影を潜める。


その青白い瞳はエイタから外れ、ゆっくりとダンジョンの奥へ向けらていく。


そこには、六十八回にも及ぶリジェクションによって引き寄せられた魔物たちのうごめく姿があった。


奴らが襲ってこなかったのは、きっとミノタウロスの独擅場だったからだろう。


そして、その出番はようやく奴らに回ってきた。


ミノタウロスは、そんな奴らの前に立ちはだかる。


「ーーやれ」


直後、静かな青白い光はエイタが発した言葉の意に沿い、地面を蹴る衝撃だけをその場に残して、蠢く影たちへと突っ込んだ。

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最弱はダンジョン配信で世界を恐怖に陥れたいわけじゃない ナヤカ @nyk0

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