第15話 死の拒絶

暗闇に染みだした血は、液体の輪郭だけを視界に残していた。


まだ死臭はなく、肌も生きている時と遜色ない。


しかし、額に開いた穴と周囲に飛び散った肌色の残骸が、彼が死んでいることを強く印象づけてくる。


指の先一本すら動かないそれは、もはや死体。


そんな亡骸からやがて、息づく魔力の波動が滲みだした。


その波は欠損し体外へと流れだしたはずの部位を再生させ、光すら失われたはずの眼球を動かす。


その瞳が世界の情報を正しく読み取っているとは思えない。なぜなら、目まぐるしい眼球運動は人間味を帯びず、意識が伴っているようにはまるで見えなかったからだ。


それでも、〝動いている身体〟という事実は、印象づけたはずの死を不快に拒絶する。


その拒絶に追いつくかのように、瞳は光を取り戻した。


それは、ダンジョン内で探索者が蘇る現象。


その現象を、人類は『死の拒絶リジェクション』と呼んでいるーー。



「……いきなり撃つとか反則だろ」


エイタが意識を取り戻し、最初に見えたのはこちらを冷たく見下ろす東雲ナギサと心配そうに屈み込む星十字セナだった。


撃ち抜かれたはずの頭を手で触ってみるが、どこにも傷はない。


どうやら、無事に戻った・・・らしい。


「俺が死んだらどうするつもりだったんだ」

「死なないよう、なるべく死を認識する前に殺しました。痛みもなく、理解すら及ばなかったはずです。そして、結果的にあなたは死を回避しました」

「めちゃくちゃな奴だな……」

「あなたを本気で殺すつもりなら、私はあなたに対して、殺意を示す必要がありました」

「銃口を向けた時点で殺意はあったように思えたがな?」

「それでも、あなたを殺すに至る説得力は欠けていたはずです。だから、死ななかった」

「結果論で語るのはやめろ。死ぬ可能性があった時点で殺人だろ。死んでないから罪がないなんて言い張るのは、犯罪者と同じだ」


エイタは上体を起こしてから気怠そうに立ち上がった。


とはいえ、東雲ナギサが銃口を向けた動機が理解できないわけではない。


まぁ、エイタにとっては自業自得で納得できる許容範囲ではある……ということにしておこう。


「突然銃声が聞こえてビックリしたのですよ。お二人は仲が悪いのですか?」


不思議そうに見ていた星十字セナは、探るような視線を二人に向けてくる。


「仲が悪いわけないだろ? 人類みな友達だからな」

「深井戸くんが嫌いなわけじゃないですが、私はそういった理想論が嫌いです」

「なるほど。仲が悪いわけではなさそうですね……」


納得したように自己完結を呟いた星十字セナ。


「ですが、殺しをコミュニケーションとするのはあまりオススメしないのですよ」


そんな忠告をしてから彼女は膝を伸ばして立ち上がる。


「リジェクションは、魔物を引き寄せてしまいますかーー」


その言葉が言い終わる寸前に、星十字セナは素早く背後を振り返った。


「あー……、もう嗅ぎつけられちゃたみたいですね」


ーーブルルルルッッ。


暗がりの奥から響いたのは、興奮状態を容易に察することができる鼻音。


武者震いにも喩えられそうなその震えは、やがて鈍重な足音を響かせて、暗闇から巨大なシルエットを浮かび上がらせた。


その正体を、東雲ナギサが口にした。


「ーーミノタウロス」


こめかみから突きでる凶悪な角は、左右に振られる巨頭とともに宙を扇いでいる。歯ぐきを剥き出しにする口からは粘り気の強い透明な体液が滴り落ちていた。その半身は、強大な筋肉を身体に押し留めているかのように猫背のまま膨れ上がり、歪な成長を遂げていた。


二足歩行の人型。しかし、それを人型と呼ぶには何かが違いすぎる。


「思ってたより大物がきたな」


エイタは起き上がると、未だ緊張感のない感想を漏らした。


「ダンジョンには必ずと言っていいほど出てくる魔物なのですよ。それ故に、強さもまたダンジョンランクに依存します」


星十字セナの説明に、エイタは気もなく「ああ」と頷く。


「ダンジョンのランクがAなら強さもA。Fランクなら強さもFってことだろ?」

「その通りです」


星十字セナの解説に、エイタは笑みを浮かべて二人よりも一歩踏みだした。


「良かったじゃねーか。これで、このダンジョンランクが正確にわかる」

「それはそうなのですが……思っていたよりも強かった場合、悲惨な結果になりかねないのですよ。先程は次の戦いに手出ししないと言いましたが、相手がミノタウロスなら共闘します」


そう言ってエイタの隣に立った星十字セナ。しかし、そんな彼女の前をエイタは腕一本で塞いだ。


「いや、予定通り俺一人で戦うさ。それに、アイツが吸い寄せられたのは生き返った俺にだろ?」


探索者が蘇るリジェクションという現象は、周囲に居る魔物を引き寄せてしまう。


何故なのかについては未だ仮説程度の論文しか出ておらず、リジェクションの仕組みについても全て解明されたわけではない。


ただ、「リジェクションは魔物を引き寄せる」という事実だけが探索者の共通認識としてあるのみ。


無防備にも近づいてきた牛頭は、身長差のためその全貌が顎下しか見えなかった。それでも、赤い光を放つ瞳はリジェクションを起こしたエイタだけをギロリと見下している。


まるで、エイタしか眼中にないようなその視線に、彼の背筋には気持ちの悪い自己顕示欲の波が伝った。


「そこまで言うのなら観戦しておきます」


東雲ナギサが冷静に言う。星十字セナは躊躇ったものの、結局彼女にならって退いた。


エイタはそれを確認し、近くを浮遊する探査機のカメラをも視認チェック。


「まぁ、それじゃあ……始めるか」


もはや近づく必要もないほどの距離ではあったのだが、エイタはもう一歩歩みでてミノタウロスを再び見上げる。


その距離はすでに、戦闘がいつ起きてもおかしくはない。


そして、その読み通り筋肉がはちきれんばかりの太い腕は射程圏内を確信するように拳を握った。


浮きでる血管を走らせた太い腕は、デカい図体からは想像もできないほどの速さで高く掲げられ、地上の非力な探索者へと照準をあわせる。


「まぁ、と言っても俺がすることなんて何もないんだがな」


エイタは、何をするわけでもなくただ呆然と立ち尽くしていた。


その表情には、どこか面倒くさそうな気だるさが浮かべて。


「ブモォオオオオオ!!」


突如、怒号のような雄叫びがあがり、掲げられた拳は筋力と重力とをねじ込めた振り降ろしによって地面へと垂直に打たれた。


その刹那に、回避とも取れる動作はエイタからは見受けられず。


ドゴォオオン!! という、地響きが洞窟内を揺らす。


思わず目を瞑りたくなるほどの衝撃は砕かれた砂礫を周囲に飛び散らせ、風圧は視界を覆うほどの煙を巻き上げた。


「ブモォオオオオオ!!」


次に空間内を震わせたのは勝利の雄叫び。そのまま地面へと向けられた鼻息は、巻き上げた煙を洞窟の隅へと追いやる。


そして、クリアとなった視界にあったのは、力で押し潰したクレーターと、かつて深井戸エイタの形をしていたモノ。


即死を断定させる肉の塊には、もはや骨格や四肢の痕跡がかろうじて残るのみ。破裂した体から飛び出した臓物は、未だ存命を錯覚するかのように血を引きずった先で鼓動の収縮をしている。


「……うっ」


その酸鼻さんびな光景に、星十字セナの手は思わず口を抑えて催した吐き気を止める。


東雲ナギサは、不快感を露わに目を細めた。


「なるほど……それが深井戸くんの戦い方なんですね」


そんな東雲ナギサの言葉のあとで、先程と同じく肉の塊に魔力が滲んだ。


ーーリジェクション。


それは散らばった肉同士を引き合わせ、千切れた血管や神経を張り巡らし、破けたはずの服をも元に戻していく。


まるで、神が行っているかのような復元。


その復元が頭部をほぼ完成させた時点で、未だ皮膚がずる向けたままの顔が口を開いた。


「そんなんじゃ、俺は殺せないぞ?」


ミノタウロスは理解に及べない愚鈍な表情でそれを見下ろした。


やがて、再び拳を振り上げると、今度は両拳で何度も地面へと振り下ろした。


その回数、十回。


しかし、晴れた視界には、やはり復元されていく深井戸エイタの姿。


「ブモォオオオオ!!!」


対象を殺せない事に、ミノタウロスは分かりやすく怒った。


いや、実際に怒っているのか分からないが、その叫びには怒りが感じられた。


怒りは行動を単調にする。そもそも、知能などほぼない牛頭ならそれは顕著にみられる。


地響きが回数を増やし、飛び散る砂礫も巻き上がる煙もそれに応じて増えた。


東雲ナギサと星十字セナの二人は、衝撃と風圧に晒されながら、事前に宣言した通りただ見守った。


それはダンジョン探査機も同じ。


そのカメラには、もはや一方的と言えるただの殺戮現場だけが記録され続けた。

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