第13話 須藤沙也加の悪夢

始まりは些細な事だった。


学校帰りの放課後にクラスの子と行ったカラオケ店は清掃が行き届いていないのか、埃とタバコの臭いが染み付いた。


そこで歌った流行りの曲。


「須藤さんって歌上手いんだね!」


その言葉が本気だったかどうかはわからない。


「歌手とかになれるんじゃない!?」


しかし、須藤沙也加にとってそれは、自分の才能に気付くキッカケではあった。


ーー私って他の人より歌うまいんだ。


そして、気づいてしまったが故に、まだ幼さを残す少女の内面には小さな夢が生まれる。


ーー将来は歌で生きていこうかな?


なんて。まだ本気とはいえない、漠然とした夢が。


それが芽吹いて夢となるのに、そう時間はかからなかった。


実際、歌うのは嫌いじゃなかった。よくよく思い返してみれば、歌を歌って褒められる場面は多くあった気がする。


幼い頃や音楽の授業、私生活でも無意識のうちに歌っているときがあった。


彼女は、メロディーにハマるかのような心地よい歌よりも、何かを訴えかけて心を震わせるような歌のほうが好きだった。


その趣向が「自分は、歌で誰かをの心を震わせるために生まれたのかもしれない」なんて、錯覚にも陥らせる。


些細なことで生まれた夢は、勝手に使命感を帯びて大きく膨らみ始めた。


そして、使命には試練が付き物と言われるように、その夢を叶えるには問題もあった。


それは、家庭環境。


両親は須藤沙也加が幼い頃に離婚しており、彼女は母親と暮らしていた。その生活は決して裕福ではなく、夢を追うために必要な楽器や機材などの物々はどれも費用が高く、それをおねだりできるほど彼女は無邪気ではなかった。


そもそも、幼い頃に音楽に関する習い事をしていたわけではない須藤沙也加にとって、音楽に対する知識は一般人レベルでしかなく、何をどうしたらその道に行けるのかすらわからない状態でもあった。


それでも、夢は日に日に膨らみ始め、学業に励みながら密かに音楽のことを独学で学ぶ日々がはじまる。


そんなある日。


ふと練習の一環としてSNSにあげた歌の動画にコメントがついた。


ーー上手いですね! 声もかわいい!


なんてことのない、ありふれたコメント。


しかし、その日すべての時間を余韻に浸らせるほど、それは須藤沙也加にとっては鮮烈な言葉だった。


褒められたからではない。抱いた夢が正しいのだと肯定された事がなにより嬉しかったのだ。


私は、間違ってないんだ!


録音をメインとするわけではない、ただのデバイスで撮った歌声は音質に不備があったものの、それでも誰かの心に届いた事実が夢をさらに加速させていく。


使命や存在意義ーー。アイディンティティに悩む年頃の人間が好むような単語は、頭のなかで点と点を繋げるように歌と自分を癒着させ、壮大な夢物語の文章にしていく。


やがて、SNSにあげる歌の数は次第に増えていき、それに伴って聴いてくれる人の数も増えていった。


このまま人気を獲得していけば、本当に夢を実現できるかもしれない。


そう、須藤沙也加の心は希望に踊る。


そして、SNSでの活動を始めてから1年が経った頃、彼女はとうとう自分の夢を母親に話した。


「あんた、何を言ってるの? そんなの無理に決まってるでしょ?」


それは冗談みたく返された言葉。そして、冗談みたいだったからこそ、彼女の心は傷ついてしまう。


決して軽い気持ちで打ち明けたわけじゃなかった。


なぜなら、家の経済状況やその夢を叶えることへの難しさを須藤沙也加は理解していたつもりだったから。


しかし、それはまるで、笑い飛ばされるみたく跳ね返されてしまった。


まぁ……彼女の打ち明け方にも問題はあったのだ。


須藤沙也加の母親は、彼女がこれまでどんな想いや考えを抱いていたのかを知らなかったし、それに対して何を取り組んできたのかも知らなかった。


だから、それは母親にとって『娘が夢を見始めた。自分にもそんな頃があったね』程度の認識にしかならなかったのだ。


それは、彼女が母親に迷惑をかけまいと、ひた隠しにしてきた〝成果〟でもあった。


その言葉足らずの会話だけで、須藤沙也加は母親に理解してもらうことを諦めてしまう。


やがて、それこそが後の惨劇を引き起こす憎しみの始まりでもあった。



「ーー須藤沙也加が歌う曲は、世に対する不満を並べたロック調のものばかりでした。気持ちを乗せて歌を歌い、それを誰かに褒めてもらうことで、彼女のなかの正義は次第に肥大化していきました。それから、学校を卒業した彼女はバイトをしながらネット活動をする日々を送ります。音楽に対する勉強は独学では限界を感じ、専門の学校に通い始めました。空いた時間にはレッスンなどにも通いだしました。それらすべての費用を、彼女は自分一人で捻出していたのです。母親の力を借りることは敗北だと自身に言い聞かせて」


星十字セナはまるで思いだすように語る。それらが自分自身に起こった出来事であるかのように。


「ある日、無理がたたった身体は突然自分の部屋で限界を迎えました。病名はーー心筋梗塞。兆候はあったのですが、自分も母親も友達すらも、それらに気づきはしませんでした。結局、須藤沙也加は一命を取り留めたものの、病室で目を覚ましたら声には後遺症が残っていました。それから病院の先生に言われたのです。もう少しはやく病院に搬送されていたら後遺症が残る可能性は低かった、と。……倒れている須藤沙也加を発見したのは母親だったのですが、二人の関係が良かったとはいえず、それが発見の遅れに繫がってしまいました」


星十字セナの声は微かに震えていた。


その先を詳細に予想することは難しかったものの、良い結末でないことは誰にでもわかる。


「今にして思えば……それは本当にすれ違いでしかなかったのです。母親は泣きながら「生きててよかった」と須藤沙也加に伝えましたが、彼女にとっては、母親に全てを奪われたような気持ちになることしかできなかったのです。まるで……人生をメチャクチャにされたような気持ち。だから、母親の人生も自分がメチャクチャにする権利があるのだと思いたちます。その後、退院した須藤沙也加は母親を殴り殺してしまいました。凶器はトンカチ。端からみれば衝動的な殺人ですが、彼女にとって、殺す理由は何年も前から蓄積されていた憎悪でした」


震える自身の手を見つめる星十字セナ。そこには、殺人を決行したときの感触が残っているのだろうか。


「私が須藤沙也加の夢を見つけたのは、歌を聴いたからです。意識の曖昧な夢のなかで聴こえてきた歌。その声を辿り、このダンジョンに着きました」


エイタは耳を澄ましてみるものの、ダンジョン内には水流や空洞音しか聴こえない。


「一概には言えませんが、ダンジョンの強さとドリームウォーカーがダンジョンを見つける方法には比例する事柄があります」


「……事柄?」


「たとえば、夢のなかで偶然見つけたようなダンジョンはランクの低いダンジョンであることが多いのです。ですが、何か明確な理由によって見つかるダンジョンはランクが高いことのほうが多い」


「それだけ聞くと、ここは強いランクのダンジョンに入りそうだな」


「そうなのです。でも、このダンジョンに生息している魔物は弱い魔物ばかりでした。だから、このダンジョンランクは最底辺のオメガになったのです」


「それで蓋を開けてみたら、やっぱり探索者が次々と行方不明になってるってことか」


コクリと頷いた星十字セナ。


「このダンジョンランクは、間違っているのかもしれません」


そんな憶測を口にした彼女の瞳は、なぜだか確信に満ちていた。



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