第12話 内紛

ダンジョン動画配信において、探索者はときに「ことわりの違反者」などと揶揄やゆされることがある。


彼らにとっては単に魔法を使用しているだけなのだが、その姿があまりにも自由であり、横暴であり、ズルく見えてしまうことからそう呼ばれた。


まぁ、逆に言えばそれは憧れでもあり、だからこそ痛快にも映るのだろう。


人類が魔物を蹂躙する光景は、ダンジョン動画配信が人気コンテンツである理由の一つだった。


「ーー吸血コウモリはたいして強いわけではないのですが、他の魔物と接敵した際、頭上から襲われると厄介なのですよ」


星十字セナは屈み込み、手のひらを地にへばり付けたままカメラ目線で解説をした。


そんな彼女が羽織る黄衣は頭上へとなびいている。


「ですから、見つけたら飛ばないうちに処理をするのがオススメなのです」


短剣を抜いた星十字セナの視線は、翼で身体を覆い隠しながら棒立ちをしている巨大なコウモリの群れへと向けられた。


一体一体の体躯は小さい。しかし、翼を広げれば人間の子供もくらいのサイズになり、彼らはその翼で探索者に纏わりついて吸血を行う。


そんな魔物たちを見据えていた星十字セナは、低い姿勢のまま、まるでーー飛びかかるかのように地面を蹴った。


爆ぜる踏み込みに探査機の浮遊が崩れては傾く。しかし、何とかバランスを保って凌いだ機体は、加速度的に追尾をはじめた。


星十字セナは、まるで釣り糸を高速で巻くルアーみたく吸血コウモリたちへとぐんぐん引き寄せられていく。もちろん実際に引き寄せられているわけじゃない。そう見えてしまうほど、彼女の一歩は距離を圧縮しているだけ。もはや、尖った鍾乳石を右ヘ左ヘかわす遠心力すら置き去りにしながら。


正面衝突の未来はもはや免れはしなかった。


しかし、彼女を引っ張る糸は、やはり吸血コウモリたちの間にも隙間なく張り巡らされていたのか、それを巻き取るように黄衣が巧妙に駆け巡った。


その軌跡を追うことはできても、カメラが姿を捉えることはできない。


やがて、吸血コウモリの群れを抜けた星十字セナは踏ん張って慣性を足裏ブレーキ。


静止した短剣には血の一滴すら付着していなかったものの、コウモリたちからは一斉に傷口が開いて血が噴射した。


「あとは、頼みましたよ?」


途端、世界が反転し、巨大コウモリたちは汚い叫声きょうせいとともに次々と落下をはじめた。


羽ばたこうと翼を広げるものの、痛みのせいかそれは不様な藻掻もがきにしかならず、バランスを失ったまま巨大コウモリたちは重力に身を委ねるしかない。


そして彼らの身体が否応もなく目指した硬い地面ーーそこには、東雲ナギサが手に握るモデルガンへ視線を落としながら待っていた。


「ーーベレッタ」


そう静かに唱えると、手の中の偽物は重厚な金属の質感を帯びる。指は、それを構築する部品一つ一つを確かめるように撫でた。


「ーー弾倉マガジン


宙には長方形型の黒い物体が幾つも出現。その中には、既になまりで出来た金属の弾丸が込められている。


それはトリガーとなる言葉によって魔法を発動させる『スキル』と呼ばれた技能。


彼女は、モデルガンを実銃と錯覚し顕現させられるほどベレッタに慣れ親しんだのだろう。そして、弾が込められたマガジンを出現させられるほどにその行為を繰り返したに違いない。


マガジンの一つを手に取った東雲ナギサは、グリップ底の穴へとガチャンと淀みなくめ込んだ。その後、銃身の上部をスライドさせ弾を装填。ジャキンと鳴る音は、銃身バレルへと弾丸がセットされた事実を主張した。


淀みもなく行われる殺しの儀式。それは、握る拳銃が殺傷力ある武器である事をこの世界へと丁寧に刻み込んだ。


やがて、降り注ぐコウモリたちを見上げた東雲ナギサは、迷うことなく銃を構えて引き金を引く。


パンッーーという乾いた音とともに硝煙しょうえんが弾けた。


発砲音は連続して響きわたり、マガジンを再装填リロードして再び銃撃を再開。視線が手元に向けられることは一切なく、その碧眼は降り注ぐ魔物を転々と狙い続ける。


近くの地面で、肉が叩きつけられ骨が砕ける音がした。


その音は増えていき、不快な亡骸の雨の最後は、星十字セナが身を翻す着地によって締めくくられる。


彼女は、頭部が崩壊している死屍累々を見渡して感嘆の声をあげた。


「すごーい! 百発百中なのですね! でも、スキルの運用方法が、すこーし地味です」


酸鼻なる光景。その中心に立つ東雲ナギサは銃をしまうと、星十字セナを睨んだ。


「そんなに怖い顔をしないでください。私はただ、ナギサ様とエイタ様が動画配信に相応しいド派手な戦い方をするのかなと期待してただけです」


そう言って向けた視線の先には、戦いに参加することなく棒立ちをしていた深井戸エイタ。


その棒立ちの頭上に、戦いを撮影していたダンジョン探査機が着地を決めた。


「まあ、言わんとしてることはわかるがな」


そんな彼は、星十字セナへ理解を示す。


「ここまで順調に魔物を倒してはいるが、そもそもダンジョン収容ランクは最底辺のオメガだ。出現する魔物はどう足掻いたって強くはない。今のところ、この映像を見たいと思う奴はあまりいないだろう。ーーなら、たとえ弱い魔物との戦闘であったとしても、観たいと思わせる何かは必要なのかもしれない」


「必殺技とか、ないのですか?」


「俺はないが……」


そこまで答えて東雲ナギサを見れば、彼女は察したように首を横へと振った。どうやら無いらしい。


まあ、それを「撮れ高」とでも呼ぶのならば、別に焦る必要があるわけじゃなかった。動画なんてものは幾つものダンジョンを探索したなかで面白い部分だけを切り抜けば良いだけの話だったから。


しかし、エイタと東雲ナギサは条件付きでダンジョン探査機を貸してもらっている状態。しかも、チャンネルの創設すらまだしてはいなかった。


何か面白いことを期待し受け身でいることに、どうしても不安は拭えない。


攻略が順調であればあるほどに、動画配信者を目指す焦燥感によって口数は減っていく。


当初の狙い通り行方不明の救出ができれば良いのだが、今のところその気配はない。


「私が一つ、面白いことを教えて差しあげましょう」


そんな重い空気を破ったのは、星十字セナの明るい声だった。


「このダンジョンは、須藤すどう沙也加さやかという女性の〝夢〟です。彼女は、歌い手としてネット活動をしていたフリーターでした」


それはーードリームウォーカーだけが知り得るダンジョンが創られた経緯いきさつだった。


「忠告します。それは私たちに話して良い内容じゃありません」


そして、ドリームウォーカー以外の者が知り得てはならない機密情報でもある。


ジャキンーーと、銃口が臨戦態勢を整える音がした。


「何故です?」


しかし、銃口を向けられてなお、星十字セナはとぼけたように肩を竦める。


「私たちドリームウォーカーは、人の夢を読み取り侵入することができます。ダンジョンとは、人が見る悪夢が具現化したものですから。そして、その際に彼らの記憶や抱いた感情すらをも読み取ってしまうのです。単純に悲しいとは思いませんか? このままダンジョン攻略をしてしまえば、須藤沙也加が生きた世界の主観は、永遠に失われてしまうのですよ?」


「失われるような選択をしたのは当人です。そして、その人はもう、人間ではなくなりました。私たちがそれを知る必要はなく、知るべきでもありません。それ以上喋るのならば、私はあなたを殺さなくてはいけません」


指が引き金に掛けられる。凹照準器ノッチサイトは、既に星十字セナを収めていた。


「ーーこの引き金を引く理由は探索ルールに基づくものであり、殺しはルール違反者を制裁する正義によるもの。鉛のつぶては違反者を殺すまで撃ち込まれ続けるだろう。痛みは罪に対する代償であると思え。私はあなたが死ぬまで殺す」


それは覚悟を語った呪文であり、探索者殺しを正当化し、星十字セナへと罪人意識を植え付けるための詠唱。


しかし、その言葉が対象の潜在下に罪の意識を芽吹かせたかどうかはわからない。


なぜなら、星十字セナは笑みを浮かべていたから。


「ナギサ様はお優しいのですね。その詠唱で私を殺すことはできませんよ? 私は、それが禁止されていることを承知したうえで話しているからです。覚悟はきっと私のほうが上でしょう」


彼女に回避する素振りはない。まるで、弾丸を撃ち込まれたとて意味などないとでも言うかのように。


ーーこいつ、死ぬな。


だから、見兼ねたエイタは東雲ナギサの銃身を手で下げながら横槍を入れた。


「お前、魔術苦手だろ。言葉で対抗するのはやめとけ。このままじゃ、本当に死ぬぞ」


「それは、試してみないと分からないのではありませんか? 私は死ぬかもしれませんし、死なないかもしれません」


それでも挑発的な態度をとる星十字セナに、エイタはため息を吐いた。


彼女は……魔術のことを何もわかっていない。


「魔術ってのは呪文だけじゃない。入念な準備と、場をつくりだすことこそが本質だ。今のお前が殺されないと思っていても、10秒先のお前まで同じ考えとは限らない」


「言ってる意味がよくわからないのですが?」


小首を傾げて思考を放棄する星十字セナ。しかし、エイタは諦めることなく言葉を続ける。


「例えばの話だが、悪質な作業契約があったとしよう。俺が悪者でお前が狙われている対象者だ」


唐突な例え話に星十字セナは片方の眉を吊り上げたものの、エイタは構わず話を進めた。


「その契約を俺が迫ったら、お前は断れるか?」


「断りますよ? 悪質なら当たり前じゃないですか」


「まぁ、だろうな。だが、お前を密室に閉じ込めて契約を迫ったら話は変わってくる。何時間も拘束し、契約を迫り続ければいつかお前は折れて、契約をすることになるだろう」


「そんなの、逃げればーー」


「逃げられると思うか? こちらは最初から騙すつもりじゃなく、契約させること・・・・・・・が目的なのに」


彼女は眉を潜めた。


その変化に、今度はエイタが笑みを浮かべる番。


「魔術ってのは相手に見抜かれててもいいんだよ。要は、その手に乗るしかない状況をつくりだせればいい」


「……どういうことです?」


「お前から逃げる選択肢を奪ってしまえば、あとは契約する選択しか残らないってことだ。それが10秒先なのか10年先なのかは知らん。だが、俺は待ち続けるだけでいい。今回もそれと一緒だ。今のお前が殺されると思ってなくていいんだ。いつか音をあげるまで、お前の身体に銃弾を撃ち込み続ければいいんだからな。何時間も。或いはーー何十年も」


その説明で星十字セナは理解したのだろう。その瞳が微かに揺れるのをエイタは見た。


その未来を、想像してしまったに違いない。


「性格が悪いのですね……」


疑問符を浮かべていた表情はやがて、うへぇという苦虫を噛み潰したような顔へと変わる。


「魔術での戦いはそういうもんだ。それに、お前は東雲よりも覚悟が上だと言ったな? 改めて聞くが、それは何の覚悟だ?」


「それは……」


言い淀んだ〝間〟を、エイタは見逃さずに口を挟む。


「死ぬ覚悟だろ? お前は東雲の『殺す覚悟』よりも、自分が『死ぬ覚悟』のほうが上だと言ったんだ。どう足掻いたってお前は死ぬ。お前自身が、そう覚悟したからな」


開いたままの口が何か言いかけた。しかし、結局言葉は出てこない。


「意志や願いが具現化するこの世界で、簡単に「覚悟」なんて言葉を使わないほうがいいぞ。死を連想させる言葉は自分を強くするが、その強さを利用するのが魔術だからな。探索者は「理の違反者」なんて呼ばれているが、魔術という魔法はその逆だ。そいつらが勝手につくった理に準ずることで、そいつらを殺すんだ」


星十字セナは、諦めたように両手を上げる。


「なるほど……言われてみればそうですね。おとなしく降参します。撃たないでもらえますか」


その言葉に、手で抑えていた銃身がようやく退いた。エイタは東雲ナギサのほうへと顔を向ける。


「これで良いだろ?」

「感謝します。無用な戦闘を避けられました」

「魔術で勝てるか否かは、戦闘が始まる前にほぼ決まってる。無用な戦闘はしないのが魔術だ」

「というより、あなたは人を騙すのが上手いのでしょう。それが魔術という手段にすり替わっているだけです」

「……才能であることは認めてくれ」

「まぁ、そうですね。魔術に関しては深井戸くんのほうが上だと認めます」


東雲ナギサは呆れたように息を吐いて銃をしまう。


緊張で張り詰めていた空気が緩んだのか、その表情には微かな笑みが浮かんでいた。


探査機が心地よさそうにぶーんと空気を揺らす。


「そうだろ? じゃあーー」


言いかけた言葉の途切れに、東雲ナギサの無意識は違和感を覚えた。


しかし、その違和感が自覚できるものになる時にはもう遅い。


「ーーゆだねろ」


内側の奥底から這い寄るような息に乗せた声は、ひどく恫喝的どうかつてきだった。


その音が鼓膜を揺らし、脳へと理解を訴えかけてようやく『呪文』であることに気付く。


東雲ナギサの精神はそれを防ごうとするのだが、たった今・・・・、深井戸エイタのほうが魔術は上だと認めたばかりにそれができない。


しかも、探査機がエイタの脳波を増幅させている事態に今更気付いた。


東雲ナギサの全身には力が入らなくなり、膝から崩れだす。


「なっっ……!!」


動揺に逡巡するのは付け入る隙でしかなく、エイタはその間に呪文を重ねた。


「ーー手首の拘束。吊り上げろ」


東雲ナギサの手首同士が吸い付いて固まり、それはロープで引き上げられるかのように頭上高くへと移動。


「くっ……!!」


倒れる全身が引っ張られ、唇の間から苦悶が漏れた。


しまったばかりの銃は太もものホルスター。どうやったって手が届くことはない。


「悪いな。俺は星十字の話が聞きたいんだ」


そして、拘束された理由を知った東雲ナギサの混乱は静かな怒りへと変わる。


「危険です……。それを知ってしまえば、私たちはその事実を無視できなくなります。その躊躇いが自身を縛るかせになり得ます。瞬間的な選択は無意識下によって行われ、無意識であるからこそ制御することは難しい。私たちはそれを知るべきじゃありません」


冷静を努めた声音。そこには抑えきれない怒気が低く滲んでいた。


しかし、それにエイタが揺らぐことはない。


「そんなのは星十字も理解してることだろ。それでもダンジョンのことを俺たちに話そうとしたんだ。そこにはきっと、話さなきゃいけない理由があるんじゃないか?」


エイタが振り向いて星十字セナに問いかけると、彼女もまた手を上げた状態で固まっていた。


しかし、遅れて状況を理解した彼女はやがて、「あー……」と思いだすような声を発したあと、力なく笑ってみせる。


「魔術は、人に嫌われる魔法だと聞いたことがあるのですが……その理由を、はじめて理解できた気がします」


「まぁ、これは初見殺しみたいなものだ。おそらく次は通用しない。東雲は俺の言葉を信用せずに警戒するだろうからな」


東雲ナギサは唇を噛み締めていたが、やがて脱力するように息を吐いた。


「わかりました……話をしてください。油断した私が悪かったです」


「だとさ」


自分でこの状況をつくったくせに、エイタの言葉は他人事のように軽い。


星十字セナはそれに苦笑いをしたものの、意を決したように先程の続きを喋りはじめた。


「そうですね。こんなのはよくある話なのですよ。須藤沙也加は、後戻りができなくなったのですーー」

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