第11話 ダンジョンの餌

ひんやりと湿った空気が肌を撫でた。周囲に反響しているのは水流の音。それに混じって聞こえる空洞音は、暗闇の奥底へと自身を吸い込もうとしているように思え、得体のしれない自然の恐怖に身がすくむ感覚に陥る。


首を持ち上げると、頭上には剣山のように垂れ下がる太い鍾乳石しか視認できず、その根本は暗闇のなかで輝きを放つ無数の鉱石により夜空のようにも見えた。「洞窟のプラネタリウム」とでも言えばしっくりくる気もするが、それらを繋いで星座をつくるほど呑気な状況ではない。


「無事に転移できたみたいですね」


背後から聞こえた声に視線を向ければ、星十字セナと東雲ナギサの姿があった。


「まるで、無事じゃない場合があるみたいな言い方だな」

「うーんと、場合があるというか……それは都市伝説的な話ですけども」

「都市伝説?」


エイタの疑問に星十字セナは頷いた。


「そもそも、私たちドリームウォーカーがダンジョンとを繋ぐことができるのは、それをダンジョンが承認しているからなのですよ」


その説明に、エイタは思わず眉をひそませてしまう。


「ダンジョンが承認? というか、わざわざ敵がやってくるゲートを承認する奴がどこにあるんだ」

「敵というのは、人間側の考えですからね。ダンジョンにとって探索者とは、羽化へと至るために必要な〝餌〟でしかないのです」


星十字セナはそう言ってエイタへと笑いかける。しかし、「餌」という言葉を使った彼女の感情までが笑っていたのかは計り知れない。


「私たちがダンジョンに転移できるのは、ダンジョンが私たちをおびき寄せているから。人類が魔物と対峙できる力を手に入れただなんて傲慢ごうまんもいいところです。私たちは所詮彼らにとって餌でしかなく、都合良く食べられるために力を与えられただけに過ぎないのです」


星十字セナは、視線を疑似夜空へと移動させながらそう締めくくった。


しかし、エイタにとってその話はまだ締めくくられてはいない。


なぜなら、彼女は結末までを語ってはいなかったから。


「それが決められた予定調和なら、最終的に人類は滅ぶのか?」


「わかりません。ですが、家畜として共存する未来はあるんじゃないでしょうか? 牛や豚や鶏がそうであったように……。家畜は人間の餌ですが、べつに滅ぼされたわけではないですよね」


「……胸糞悪い話だな」


「でも事実なのですよ。人が人を殺したら罪になるのに、食べるためとはいえ牛や豚や鶏を殺しても罪にはなりません。法律ですら人間にって都合の良いルールでしかないのに、立場が変わった瞬間に文句を言うなんて筋が通ってないと思いませんか?」


投げかけられた命題。しかし、エイタは鼻でそれを笑う。


まるで、それは愚問だとでも言うかのように。


「俺はただ感情の話をしただけだ。魔物側の理屈なんて知らないし、お前のそれも所詮は魔物側のお気持ちを想像した憶測に過ぎない。人が人を殺して罪になるのは牛や豚や鶏たちを差別するためじゃない。人が人と手を取り合って生きていくために考えだした知恵だろ」


星十字セナは星座でも繋いでいるのか、しばらく頭上を眺めたまま。


やがて、


「悪くない輝きですね。バカになりきれない理屈っぽさが玉にきずですが」


そんな呟きをエイタへと繋げた。


「それは褒めてるのか?」


「んーと、私的には褒めてますよ? ただ、探索者は理屈が通じないバカでなければいけません。そういったプレイヤーが使う魔法は強いですからね。エイタ様がFランクでくすぶってる理由でもあると思います」


「褒めてねぇじゃねえか」


「だから、私的には褒めてると言ったじゃないですか。私はバカが嫌いなのです」


そう言った直後、星十字セナはエイタにだけ見えるようにウインクをした。


「話がおおきく逸れましたが、転移できない場合というのはダンジョンが餌と認めなかった時です。餌だと認められなかった者は次元の狭間に落ちてしまうとされています。そうなった者は存在自体が消滅し、その者を知る記憶すべてがなくなるそうですよ。ですから、都市伝説なのです」


「記憶がなくなるのに、その事象を知ってるのは矛盾してないか?」


「むかし、想像力を失った人間をダンジョンへ送る実験があったらしいのです。魔法とは想像力が根源。それを失った人間は魔法を使えませんが、魔法によるダメージを想像することもできません。いわば、彼らを探索者の肉壁にしようとしたのですね」


「……なるほどな。そいつらは転移できず、その記録だけが残ったわけか」


「そういうことです。誰も彼らのことを覚えてもいませんし、実験が果たして実行されたのかすらわかりません。ですが、記録だけはあったのです」


探索者の肉壁を目的とした研究ーー。もはや死刑にも近い実験に選ばれた人間たちの素性など、訊かずとも分かった。そして、誰にも思い出してもらえないというものは、死刑より重い罰なんじゃないかとも思えてしまう。


彼らは生きているのか死んでいるのかすらわからない。生きていたとしても、誰の記憶にも残らないのなら視認してもらえない幽霊と変わりない。


「まるで暗黒物質ダークマターみたいだな。目で観測することはできないが、存在していなければ辻褄が合わない、仮説上の物質」


「へえ、エイタ様は博識なのですね?」


「まあな」


そのドヤ顔に、それまで沈黙を守っていた東雲ナギサがわざとらしく息を吐いた。


「ダークマターについては、魔力の説明をするときによく例えられます。それは深井戸くんが自ら得た知識じゃなく、ただの受け売りでしょう」


「それを言うなよ……」


そんな二人のやり取りに星十字セナは苦笑い。


「私が感心したことに変わりはないので良いと思いますよ。それに、ダークマターの例えは的確のようにも思います。実は、その実験からダンジョンに転移できる人の条件も仮説されたので」


「想像力ってことか」


その答えに星十字セナは頷き、エイタの額を指さした。その指先はやがて、頭上のダンジョン探査機へと移動する。


「そうです。ダンジョンの餌とは想像力を持つ脳みそ。それを持つ者だけが転移できるとされています」


魔物が脳みそを食べるというのなら理解はできるものの、ダンジョンが脳みそを食べるというのは想像しがたい。


その仮説にエイタが言葉を逡巡しゅんじゅんしていると、彼女の指先は腰のベルトへと降りた。


そのまま流れるように指先は短剣の柄を引っ掛けて引き抜き、刃の光沢が薄闇に踊る。


突然の行為に目を細めるエイタ。そんな彼の視界の端で、東雲ナギサがハッと顔をあげた。


「ぴぴぴっ。魔物を感知しました。脳波の形状からゴブリンと推測」


その報告により、短剣が抜かれた理由をようやく理解する。


ヒタヒタッーーという足音がエイタの耳に届いたのはその直後だった。


「一体のようです。ただの巡回だと思うので、仲間を呼ばれないうちに私がやっちゃいますね」


素早くそう言った星十字セナは既に臨戦態勢に入っていた。


黄衣が風を纏うように浮き上がり、彼女がタンッと地面を蹴ると、その身体は足音がした闇奥へと渦を巻くように吸い込まれ、バサッというはためき音だけを残して姿をくらませる。


純粋な身体能力ではないのだろう。少なくとも、そんな移動をする人間をエイタは見たことがない。


反響する水流のせいか戦闘音は聞こえず、悲鳴やゴブリンの鳴き声すらもなかった。


「ぴぴぴっ。脳波の消失を確認」


そして、何かが起こったことを知るのはやはり東雲ナギサの方が先。


エイタは攻撃に備えて身構えてはいたものの、脱力して息を吐いた。


それから思い出したように頭上に乗っているダンジョン探査機に手を伸ばすと、ようやく本来の目的であった撮影機能のスイッチを入れる。


ダンジョン探査機はぶーんと音を発しながらエイタから離陸し、何も指示などしていないのに星十字セナが消えた方向へと飛んでいく。


それを追いかけると、やがて、刃に付いた血を払う星十字セナの姿が暗闇から浮かび上がった。


「ーーああ、そういえば探査機を所有しているということは動画配信者なのですね」


その足下には、喉を掻っ切られて動かなくなったゴブリンの亡骸が落ちていた。


不健康そうな土色の皮膚。痩せ細った四肢。腰に巻かれた布は雑に腰へと巻かれており、膨れあがった頭の中の脳みそには戦い以外の考えなどないのだろうと窺える。


そんな脳筋に相応しい醜悪な顔は、首を切られたことによってか胴体とは逆の方向を向いて朽ちている。開いた口の奥からはゴポッという粘性のある水音が聞こえた。


「……できれば、撮影が追いつく速さでお願いしたいんだが」

「私は速いわけじゃないのですよ? ただーー動きは捉えづらいのかもしれませんね」


短剣を収めた星十字セナの身体が、地面へと潜り込むかのように低く沈んだ。その挙動に黄衣だけがしがみつき、這うようにエイタの背後へ回り込んで立ち上がる。


「こんな感じですっ」


星十字セナの甘い声が首筋をくすぐった。


「なんつう動きしてんだ……」

「こういう戦い方なので仕方ありません。慣れてくださいね。まぁーー探査機くんは今の動きを追えたみたいですよ?」


気づけば、ダンジョン探査機は星十字セナの肩付近を飛んでいた。


やはり、魔物の脳みそだけあって戦闘に対する順応は早いのかもしれない。


やがて探査機は、自身の仕事を理解しているように頭上高く舞い上がると画角内に三人を収めはじめる。


おそらく、そういう風に調教でもされているのだろう。


どうやら、撮影についてはダンジョン探査機が勝手にやってくれるらしかった。

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