第10話 ダンジョン収容施設
ダンジョンシティにも子供たちがいる。それは地下街も例外ではなく、活気ある足音たちが狭い路地でエイタと東雲ナギサを縫うように追い抜いていく。
なにか遊びでもしているのだろう。
その最後尾の一人が、追い抜きざまに東雲ナギサとぶつかって硬い地面へと身を投げた。
「大丈夫ですか?」
東雲ナギサが駆け寄り声をかける。しかし、子供は前の集団しか見えてないかのように立ち上がるとその勢いのまま駆けていった。
その身に纏う服は転ぶまでもなく汚れているものの、表情に一切の陰りはない。
「子供は元気だな」
そんな後ろ姿にエイタはぽつりと言葉を漏らす。
「年齢的にいえば、深井戸くんもまだ子供に該当するはずですが」
「まぁ、そうだが……俺はダンジョンシティ以外の世界を知ってるからな。ここではもう、あんな元気には振る舞えない」
彼らは生まれてまだこの地下街しか知らない。だから、自分たちがいかに劣悪な環境にいるのかすらわからないのだろう。不満はなく、文句もない。だからこそ、今いる場所であんなにも笑える。
「他の人間は絶望しているということですか?」
「ここにいるプレイヤー
わざわざ注目などせずとも、視界にはびこるプレイヤーたちのことを、エイタは「もどき」と表現した。彼らは貧困層のロールプレイをしているわけじゃない。もはやそれをするしかなくなっただけ。
「納得しました。そう考えると、子どもたちにはまだ救いがあるのかもしれません。プレイヤー同士の子供は『
そう言った東雲ナギサの視線は、路地先に消えた子供たちを見据えていた。
ーー
両親のどちらもがプレイヤーだった場合、生まれてくる子供もプレイヤーであるという理屈らしい。
とはいえ、これにはちょっとした間違いが混じっていることをエイタは知っている。
「必ず能力に目覚めるわけじゃなく、能力を持たない子供の生存率が低いだけらしいがな」
プレイヤー同士の間に生まれた子供は、10歳を超えたあたりで必ず能力に目覚めるのだそうだ。しかし、能力を持たなかった子供は15歳までに死んでしまうらしい。
だから、生き残った人間だけを数えれば100%能力が発現している状態。
そんな補足に対し、東雲ナギサは未だ路地先を呆然と見つめたまま「そうですね」と呟いた。知らなかったわけではないようだった。
「知っていますか? 親のどちらもがプレイヤーではない子供を『
そして、逆にそんなことを訊いてきた。
「親のどちらもがプレイヤーじゃない……? それは、普通に覚醒したプレイヤーのことじゃないのか?」
もちろん、普通の家庭から能力を持った子供が生まれる場合もある。というか、最初に能力に目覚めた人間たちは全員それに該当した。
「私の言い方が悪かったようです。訂正します。正確には、〝人間でもプレイヤーですらなくなった両親から生まれた子供〟をノアと呼びます」
「プレイヤーじゃ……なくなった?」
その疑問に、東雲ナギサはエイタを仰ぎ見た。
「プレイヤーは人間です。しかし、魔に魅入られすぎたプレイヤーは人間ではなくなってしまうのだそうです。その子供がノア」
「……そんな事よく知ってるな」
『魔に魅入られる』という曖昧な条件。『人間ではなくなってしまう』という想像しづらい状態に、エイタは相づちにも近い雑な感心で返すしかない。
「ホムンクルスのことを調べている過程で知りました。私たちホムンクルスは魔石を脳髄に埋めたことにより人間ではなくなった存在です。そういった存在から、より強い能力者生みだそうとする計画があったみたいです」
「なるほど。だが、ホムンクルスはーー」
エイタが言いかけて止めた言葉の先を、東雲ナギサはコクリと頷いてから引き継いだ。
「はい。ホムンクルスは生殖機能に障害を持っています。結局子供は生まれず、計画は失敗に終わったそうです」
その計画に東雲ナギサがいたわけではないだろう。しかし、同じ存在が何かしらの実験に利用されていた事実を前向きに受け止められる者などいるのだろうか。
エイタはただ「そうか」と呑み込む返事をするしかない。
救いだったのは東雲ナギサが気にした様子もなく再び歩き始めたことだけだった。
◆
ダンジョンシティの各階層にはダンジョンが収容されている施設がある。その外観は教会堂のような造りであり、敷地内には日の光がなくとも成長する植物が
その施設で二人を出迎えてくれたのは、やはりシスターの服装をした女性。彼女もまた、管理局の受付や門番とまったく同じ顔の造形をしている。
「ーーこんにちは! ダンジョン収容施設Ωへようこそ!」
例のごとく手の甲に埋め込まれたチップを専用の機器で読み取られるエイタと東雲ナギサ。ここだけはダンジョンシティとて変わりない。
「攻略指定ダンジョンの探索ですね。すぐに転移術式の起動準備に入ります。それと、今回の探索についてですが、攻略指定のためダンジョンを発見した案内人を付けさせて頂きます」
ーー案内人?
そう問い返す間も与えず、シスターは耳に取り付けているインカムマイクに何かを囁いたあと、建物の奥にある祭壇らしき空間へと歩いていった。
その空間の石床には魔法陣が掘られてあり、難解な文字や記号が所狭しと並べられている。
それはダンジョンへと繋がる転移術式の魔法陣。
窓から差し込む光は、その魔法陣をじりじりと焼いていた。影になっている空間の隅には、巨大な機器が設置されており、青みがかったディスプレイ画面がチラついている。
シスターがその機器に向かい何かしらの操作を始めると、魔法陣の外にある小型のオベリスクが微かに振動し、青い光を発しはじめた。
その光は、まるで液体かのように刻まれた石床の溝を伝い魔法陣へと注がれていき、周囲の闇をも侵食し空間全体を仄かに照らしていく。
それを眺めていると、まだ光に充てられていない奥の扉が開いた。
現れたのは、ゆったりとした
「んんっ……。もお、待ちくたびれちゃいましたよ。しすたぁ」
凝り固まった筋肉をほぐすように、
「えーと……あなたたちが、攻略指定ダンジョンの受注者ですか?」
頭にはやはり黄衣のフードを被り、口元も黄色いベールで隠されているため、表情は目もとしか見えない。
しかし、こてっと小首を捻る仕草や僅かに形を浮き立たせている唇に添えた人差し指。さらには、不思議そうに見つめてくる瞳が表情以上の感情を表現している。
衣の下は身体のラインがわかるほどの軽装をしており、唯一厳つさを感じさせる腰のベルトには二つの短剣が装備されていた。
それは
しかし、そんな者たちが好む黒色とは違い、少女が身に纏うのは目立つ黄衣。しかも、刺繍されている
まぁ、その模様を身に纏う存在をエイタは知っている。
ーードリームウォーカーか。
ドリームウォーカーとはダンジョンを発見し、そこへの転移術式を繋ぐ能力を持った者たちのことだった。
そして、シスターが言った「案内人」は、彼女のことなのだろうとも理解する。
そんな案内人の登場に、エイタと東雲ナギサは自然と視線を交わしあうしかない。
「あぁ、こちらの自己紹介がまだでしたよね。私はドリームウォーカーの
エイタと東雲ナギサの様子に、待ちわびた少女は自己紹介をしてから同じ質問。
「私たちが攻略指定ダンジョンの探索者で間違いありません。ですが……なぜ、ドリームウォーカーが案内人として付いてくるんですか?」
口を開いたのは東雲ナギサだった。
「んー、その様子から察するに私はあまり歓迎されてはいないみたいですね。一応説明すると、私が付いていく理由は行方不明者がたくさんいるからです。ドリームウォーカーには精神を癒やす能力もあるので、再起不能になってる探索者を助けることができるのですよ」
歓迎されていないと言いながらも、星十字セナはあまり気にした様子もなくそう答えた。
「ドリームウォーカーには、そんな能力もあったのか」
「能力といっても一時的な処置に過ぎないんですけどね。たとえば気絶してる人の顔に無理やり水をぶっかけて意識を取り戻させるのと同じようなものです」
「……それだと癒やすって感じではなさそうだが」
「そうですかね? 叩き起こすよりは優しいと思いますよ?」
その返しにエイタの口元は思わず引き
「まぁ、言いたいことはわかりますよ? でも、それが事実なのでどうしようもありません。簡単に言えば、私たちドリームウォーカーは、かまってちゃんなのですよ。例えばですが、隣で寝ている彼氏を起こすのは「起こしてあげたい」という献身からではなく、「自分を見て欲しい」というワガママからなのです」
「それ、だいたいウザがれるやつだろ」
「うざがられだっていいんです。見てさえくれれば。だって、そうは思いませんか? どんなに面白い本でもページが開かれなければ面白くはないし、どんなに美味しい料理だって舌の上に乗せなければただの物体でしかありません。可愛いものは、目に入れなければ可愛くなんてなり得ないのですよ?」
星十字セナは、まるでそれが正論であるかのような言い回しを前屈みの上目遣いでエイタの視界一杯に主張してきた。
ーーなるほど、確かにこれは可愛い。
などと反射的に思った時点でエイタの敗北。
「……俺は深井戸エイタだ。こっちは東雲ナギサ」
だから、議論を諦めて取り敢えずの自己紹介を返した。
「エイタ様とナギサ様、それと、ダンジョン探査機もですね。よろしくお願いします」
星十字セナは、勝ち誇ったような満面の笑み。
「だが、攻略指定ダンジョンにドリームウォーカーが付いてくるなんて知らなかったな」
そんなエイタの独り言に、「ああ」と思い出したような声をあげる星十字セナ。
「私たちドリームウォーカーが付いてくることなんて普通はありませんよ? ただ、私が志願しただけです」
「そうなのか?」
「はい。だって、私が見つけたダンジョンでたくさん人が死んでるだなんて寝覚めが悪いじゃないですか」
彼女があっけらかんと答えたちょうどその時、光を帯びていた魔法陣の輝きがさらに強くなった。そして、魔法陣の外にある機器からは、甲高い音が鳴りはじめている。
それに気づいた星十字セナは、軽い足取りで魔法陣へと足を踏み入れた。そして、ステップのままエイタと東雲ナギサへと振り返る。
魔法陣から上昇する青い光が黄衣の端をはためかせていた。
「そろそろ転移ができるみたいですよ? お二人とも転移魔術式の上に乗ってくださいね。ダンジョンまでの距離は星と星とを行き来するほどの距離ですが、この魔法陣を使えばあっっという間に転移ができてしまいます! 理屈はセーブデータをロードするのと変わりありません。お二人とも電源を切らずにお待ち下さい」
なんて。まるでアトラクションのキャストみたいなセリフを述べる星十字セナ。
無論、その先で待っているのはアトラクションみたいな楽しい世界ではない。
しかし、エイタも東雲ナギサも躊躇うことなく魔法陣へと足を踏み入れた。
「それでは、いってらっしゃいませ!」
そんなシスターの声がした直後、ガチャンとレバーを落とす音がした。
視界は強くなり続ける光に覆われ、世界の輪郭すらをも掻き消していく。
やがて訪れたのはーー瞼を閉じているのかすらも分からない闇。
身体の感覚はなく、意識はゆらりと存在する。
そこでエイタの鼓膜は、海の底から沸き上がってくる水泡の音を聞いた。
その音に思わず息を止めてしまいたくなったものの、エイタは呼吸を止めない。
むしろ大きく息を吸い込み、肺へと空気を取り入れていく。
空気があるから肺が機能するのではなく、肺を機能させることで空気をつくりだすのだ。
それと同じように、見慣れた自身の身体をも視界が構築していく。
バチバチと空間を裂くようなエネルギーの閃光が身体の輪郭に質量を足した。それが重力に引っ張られ落下しようとしたものの、足裏が固い地面に阻まれる。
何も視えない闇に温度が生まれ、遠近感のある奥行きが広がった。
三半規管が感覚の焦点をあわせはじめると、構築された世界の形が情報として眼球へ集まりだす。
その光景にエイタの脳は
昨日だったか何十年も前だったのか……むかし見た夢の中で、エイタは確かにその光景を見た気がしたのだ。
それは、探索者がダンジョンへと転移したときに起こる「ローディング」と呼ばれる現象。
ローディングが起こると、転移は成功したという証にもなる。
「ーー鍾乳洞……情報通りだな」
そして、エイタが降り立ったのは巨大な洞窟内だった。
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