第9話 ダンジョンシティ
ダンジョンシティが外壁と水路によって隔離されているのは、何か不測の事態が起こった時のためらしい。
よってダンジョンシティに住むというのは命懸けでもある。
しかし、『不測の事態』が何を指すのかを学園都市オニロバースは具体的に明言してはいないーー。
「なんで上になんか伸ばしたんだろうな。あそこまで水を汲み上げるのも大変だろうに」
ダンジョンシティへと繋がる橋はアスファルトではなく石が敷き詰められている。そのうえを歩くエイタは、天空へと積み上がる街々を見上げながらそんな疑問を呟いた。
彼の周囲に道路標識はなく、車の音もしない。
頭上からズリ落ちた探査機が、居場所を失って周囲を飛び回るため視界をチラついた。
「学園都市オニロバースは、「夢へと至る
彼の隣を歩く東雲ナギサは、橋先に待ち受けるダンジョンシティの門だけを見つめている。
「夢……ね。現実はそんなに楽しいもんじゃないがな」
近づくたびに視界を埋めていく〝その夢〟は、徐々に細部を明確にし始めた。
赤い屋根に白い外壁。使われている材質は木と石とレンガのみではあるものの、その色合いは雑多。散りばめたように生える木々の緑が程よい配色を生んでいる。
そこに見える人々の服装もまた中世を模していた。
それはコスプレと呼べるほど着飾ったものではなく、日々の汗や着崩れが身体に馴染んだ正真正銘の普段着。
ダンジョンシティでは格好が指定されているわけではなかったが、服屋にはそういった物しか置いてないため自然とそうなっていくのだろう。
まぁ、中世というよりも本当に中世
そう。そこはまるで夢のように築き上げられたロールプレイの世界。
「そう考えてしまうのは、私たちがクラスΩのプレイヤーだからでしょう」
そして、その夢とはエイタが適当に見上げていた中層階以上に当てはまること。
だからこそ、そこに含まれない最下層のエイタは「現実はそんなに楽しいもんじゃない」と愚痴を吐いてしまう。
「まあ、そうなんだろうな。毎度毎度、ダンジョンに入るまでの道中が俺にはーー」
「着きました」
その愚痴が加速しはじめようとしていたとき、東雲ナギサの足が止まる。
気がつけば、ダンジョンシティへの門が間近に迫っていた。
「こんにちは! ダンジョンシティへようこそ! 通行手形はありますか?」
そんな二人の前に立ったのは甲冑を着けた女性。さしあたって門番といったところか。無論、その甲冑もまた『風』であり、カチャカチャと鉄が擦れる音や重厚感はあるものの、あくまでもロールプレイの見た目に過ぎない。
おそらく背負っている槍も使用されたことなどないのだろう。
なぜなら、門の上部に設置された監視カメラと、石壁の穴からずらーっと突き出ている銃口たちがそれらを補ってしまえるから。
「クラスΩですね。確認しました。では、そちらの階段から
案内されたのは、綺麗な街並みとは反対に下へと続く階段。
そこは最下層の者だけが入れる
唯一の救いは、そこを案内する女性の態度が丁寧であるということ。
彼女は、管理局の受付にいた女性と顔の造形が全く同じだった。それだけじゃなく体格や身長、声や喋り方まですべてが同じ。
東雲ナギサはそんな女性の横を通り、人一人が通れるだけの階段を躊躇いもなく先に降りていく。
エイタは空を見上げ、まるで水中へと潜るかのように大きく息を吸い込んでから彼女の背中を追う。
ダンジョン探査機は待っていたかのように、エイタの頭上へと静かに着地を決めた。
◆
「そういえば、深井戸くんは武器を持っていないみたいですが大丈夫ですか?」
下へと続く階段は、均等に設置されるランプの灯りによって視界を維持していた。
「え? ……ああ。俺の能力は武器を必要としないんだ。だから持ったことはないな」
それでも、壁に手を触れながら足下に集中していなければならない階段のせいで、エイタの耳はすこし遠く、東雲ナギサの質問にワンテンポ遅れて返してしまう。
「理解しました。ですが、地下街を歩くには武器の一つくらい必要なのではありませんか」
「護身用にか? 確かに治安は悪いが、命まで取られることはないからな。地下街といってもここは学園都市内だろ? 殺傷行為がバレたらどうなるかなんて、みんな知ってる」
「果たして、そうでしょうか?」
やがて、階段の終わりを告げる木製の扉が現れたところで東雲ナギサはエイタへと振り向いた。
その右手は、扉に設置された輪っか型の鉄に手をかけている。
「私はホムンクルスです。この脳髄に埋まる魔石を入手し、ダンジョン内で手に入れたとでも言えば簡単に金儲けができてしまえます」
その表情と声音からは、怯えた様子がまったくない。
「ははっ……まさか」
だから、冗談だと思ってしまったのだ。
「ここから先に監視カメラはありません。
そして、扉はギィッと開かれる。
差し込んだ光は赤色。それと同時に独特の臭いが吹き込んだ。
「ここはプレイヤーにとって自由が与えられたダンジョンシティ。そして、意図的に秩序が保たれていない混沌でもあります」
眩しくはなかったものの、暗い通路にいたせいで目がなれるのに数秒。
やがて、エイタの視界に飛び込んできた最初の光景は、片足と片腕を失ったまま座り込むボロ布の
そんな塊に表情を歪ませつつ、平然と歩いていく東雲ナギサの姿をエイタは急いで追う。
見上げれば、通路を挟んだ家の窓と窓に細い紐がたくさんかけられていて、洗濯された服や布が水滴を滴らせていた。
そのせいで通路の湿度はたかい。まあ、地下であるために陽の光が差していないことが一番の要因ではあるのだが。
好んで人が住むところではない。そして、治安は良いとはいえない場所。
それでも物盗りに遭ったことがないのは、エイタも同じ最下層のプレイヤーだからであり、罪にはちゃんとした罰があるから。
盗まれやすいのは通行手形だったが、これは手の甲に埋まるマイクロチップで認証された本人にしか売れない代物。
だからなのか、昔は手首だけが切り取られる事件もあったらしい。しかし、今のマイクロチップには生体反応も内蔵されているため、血の通っていない手では認証がとれない。
エイタが護身用の武器を所持していないのには、そういう
「ーーお前、ホムンクルスか? それと……後ろの奴が頭に乗っけてるのはダンジョン探査機だろ? へへっ」
そして、その甘さを自覚するイベントが発生してしまう。
まぁ、フラグは既に立ってはいた……。
「ビーっ! ビーっ! 危機管理システムが作動しました」
そのフラグを立てた張本人は、悠長にもロールプレイに勤しんでいる。
二人の行き先を塞ぐように立つ肉付きの良い男。後ろを振り返れば、壁にもたれかかっていた別の男が同じように道の真ん中に立った。
周囲の人間は唐突に始まったイベントに眉をひそませたものの、「ホムンクルス」という単語で動きをとめる。
そこには「……なら、襲われても仕方ないか」という考えが透けて見えた。
そんな状況にエイタはため息を吐きそうになったものの、直前で止める。
ーーそういえば、ダンジョン探査機にも魔石があったな。
東雲ナギサがフラグなど立てていなくとも、襲われていた可能性は十分にあると気づいたからだ。
「やっぱホムンクルスか。しかもダンジョン探査機まで……。こりゃあ運がいいぜ」
陽の光が差さない影に染まりきった醜悪な表情は、
「悪人の排除を実行します。ぴぴぴっ」
その視線を一身に受ける東雲ナギサは、流れるようにホルスターからモデルガンを抜き取り構える。
途端、男の表情が強張った。
「銃……だと?」
銃ではない。それはあくまでもモデルガン。
しかし、直前まで架空の勝利に酔いしれていた邪悪な笑みは見る影もない。
そうだろうな、とエイタは納得する。
このダンジョンシティ……いや、日本にいるプレイヤーのなかでも、銃を魔法武器として扱える者は殆どいなかったから。
それを魔法武器として扱うには、想像を現実に具現化できるほど、
銃刀法。その法がある日本では、一般的なプレイヤーが扱う武器としては刃物や鈍器が主流。
故に、想像もしていなかった武器を向けられれば、うろたえるのが普通の反応。
「い、いや! ハッタリだッッ! 実銃じゃないのなら、魔法武器を装ったただのオモチャの可能性があるぞッッ!!」
背後を塞ぐ男が唾一杯にそう叫んだ。その男の手にも同じ刃物が握られている。
膨張した血管は額に浮きでており鼻息は荒い。強く握りしめ過ぎた刃物は微かに震え、それを前に突き出しすぎているせいか腰は退けすぎていた。
ーー虚勢だろうな。
男の様子をめざとく観察したエイタはそう確証する。
「本当に……ハッタリだと思うか?」
口から吐かれたのは、そんな男を試すような言葉。
「俺は見ての通り武器を持っていない。ダンジョン探査機を見せびらかしてるくせに、お前たちのような刃物すら持っていないんだ」
手を挙げて、武器を持っていないことをアピールするエイタ。その口調は、まるで安心しきっているかのようにお気楽。
「なんでだと思う?」
さらには目すらをも瞑り、無力であることの確証をアッサリと与えてしまう。
頭上に乗っかるダンジョン探査機がぶーーんと震えた。
「強力な魔法武器を扱える
微かにジャリッという靴音が聞こえた。それは、男がたじろいだ様子を容易に想像させる。
「まあ、信じないなら戦ってみればいい。だが注意しろよ? ここはダンジョンじゃないからな。死ねば終わりの大博打だ」
過呼吸にも似た
「……あなたという人は……いつもこんなやり方をしているんですか?」
そして、そこに紛れ込んだ呆れるような囁やき声。
「そんなわけないだろ。襲われたのなんてはじめてだ」
しかし、その声が鼓膜をくすぐる感覚は心地よい。
「そうですか……ただ、詠唱する手間は省けました。ーーばんッ」
ただの一言。空気を破裂させるような少女の発声は、構えた銃口に光の魔法陣を描いた。その模様から銃弾が飛び出し、実際に空気が破裂するような発砲音が路地に響く。
弾は殺傷力を備えた速度を伴い、絶対に届かぬ刃物を横目にしながら男の顔面横を貫く。
まるで、時が止まったかのように静寂が満ちた。
「退かなければ、次は当てます。ーーリロード」
直後、路地に混乱が起こった。
我先にと逃げ出した者たちによる雑踏が溢れたのだ。
「くっ、クソっっ!!」
やがて、お決まりの捨て台詞が聞こえ、逃げ惑う足音が止むとエイタは目を開いた。
そこに男たちの姿はなく、逃げることができなかった者たちの怯えた視線があるばかり。
東雲ナギサが深く息を吐きながらモデルガンをしまった。
「ありがとうございます。弾丸が出た以上、彼らが近づいてくることはもうないでしょう」
「感謝は奴らの想像力にすることだな。……いや、武器もなく地下街をうろつく危険を脳裏に刻み込んだこの地下街に、か?」
自身のこめかみを指でトントンと叩くエイタの皮肉に、東雲ナギサは笑みを含んだ吐息を漏らす。
「そのダンジョン探査機にも感謝しなければいけません。深井戸くんが彼らを騙すあいだ、深井戸くんの脳波を増幅させて電波のように発信していましたから」
「やけに震えてると思ったら、そんな機能があったのか……」
頭上の探査機がぶーんと震えた。おそらくこの震えは単に反応しているだけだろう。
「行きましょう。ここに来た目的は、彼らを脅すことではありません」
やがて、東雲ナギサは何事もなかったかのように歩きだす。
もはやこういったことに慣れてしまったのか、それとも関心がないからなのか、彼女は自身が向かう先だけを見据えていた。その眼中には、たった今騒動があったにも関わらず好機の視線を隠れながら向けてくる輩たちなど見えてもいないのだろう。
そして、視線のいくつかはダンジョン探査機にも向けられている。
エイタがそれを辿って見返せば、視線は怯えながら霧散した。
それはーー既に心を折られた者たち。
少なくとも彼の目には、もはや
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