第5話 ホムンクルス

「憂鬱だ……」


ホムンクルス少女の部屋前まで戻ってきたエイタだったが、これから自室でもない部屋を掃除しなければならないという事実を前に、チャイムを押す指は躊躇ためらっていた。


それでも、御堂霧香が提示した報酬の魅力に負け、南無三! とばかりに指をチャイムへと押し込む。


しばらくして扉はガチャリと開かれ、部屋主であるホムンクルス少女が隙間から顔をだした。


「なにか用ですか?」

「ああ、部屋の掃除をしたくてな」

「御堂教官は……?」

「帰ったぞ」


不審そうに向けられた瞳はエイタの背後をひょこっと見渡す。御堂霧香を探しているのだろうが、彼女は本当に帰っていた。


「俺は深井戸エイタだ。部屋の掃除をさせてくれると助かるんだが」

「なるほど……だから御堂教官に連れてこられたんですね。理解しました」

「勝手にあがるが、いいか?」

「はい。私は疲れたのですこし休みます」


少女はそう言い、手に持っていた雑巾と未だ折りたたまれたままのゴミ袋を手渡してきた。


御堂霧香が定期的に掃除をしにきていたというのは本当なのだろうと、少女の慣れた対応から実感する。


部屋とは通常プライベート空間のはずだが、そこに他人を入らせることに……ましてや、勝手に掃除されることに抵抗はないように見えたからだ。


少女はそのまま奥にある扉へと入っていってしまった。


「……まぁ、いいか」


やがてエイタは、今いる玄関から順にゴミ拾いをはじめる。


その部屋は1LDKの広々としたところだった。やはり、少女の両親は金持ちなのだろう。


まぁ、少女がホムンクルスである時点で、両親が金持ちなのはほぼ確定の事実ではあったのだ。


なにせ、ホムンクルスとは富豪にしか払えない多額の医療技術によって生みだされた副産物だったから。


その割合は、現存する人類の1%にも満たない。


その医療技術を端的に説明するのならば、魔物の脳髄から採取された魔力結晶石ーー通称『魔石』の移植である。


しかも、通常の魔物ではなく、人型の魔物の脳髄から採取された魔力濃度が高い魔石でなければならない。


その研究が行われた目的は、『魔法が扱える人間を人工的に創りだす』ことにあったらしい。


故に、被検体となったのは余命わずかと宣告された者や死刑宣告を受けた犯罪者たちだった。


そして、その人体実験は意図せず人類の医療技術に大きな革命をもたらすことにもなった。


魔石を移植された人間は、決して治すことができないとされていた不治の病を完治させてしまったからだ。


ーー人類が死を克服した瞬間。


当時はそんな風に報じられたらしい。


そして、魔石の移植には副作用もあった。


それは移植された人間の生殖機能の障害や外見の変化。彼らは、アルビノのように髪や体毛の色素が薄くなり瞳の色も他の人間にはない鮮やかで特徴的な色になる。その虹彩が明るいぶん瞳孔の黒点が際立ち、その異様さに畏怖や嫌悪を抱く者もいた。


やがて、人々は彼らを「ホムンクルス」と呼び、普通の人間とは大別したのだ。


だから、お金があったとしても魔石の移植を選択する人間は少ない。


たとえ不治の病が治っても、その後の人生までが幸せであるとは限らないから。


それが、彼らが少ない理由の一つでもあったーー。


「……こんなところか」


無我夢中で掃除をしていたエイタは、見渡す限りのスペースにゴミが落ちていないことを確認し言葉をもらす。


換気のために開け放った窓へと視線を向ければ、外はすっかり暗くなっていて街の明かりがチラついていた。


冷えた夜風がカーテンを揺らし、身体を動かし続けた熱をほどよく撫でる。


悪戦苦闘の末、カビ臭さのなくなった空気を吸い込んだ彼は、疲れたように息を吐いた。


「あとは……おそらく寝室だけなんだがな」


この数時間でまとめあげた十数個のゴミ袋に囲まれながら、幸いにも用意されていた未開封のゴム手袋とマスクを装着し、ズボンの裾を膝下までめくり上げた少年は、未だ手を付けていない扉の向こうを透かすように眺める。


それは、ホムンクルス少女が「すこし休む」と言って入ったっきりの部屋。


無論、その「すこし」をすこしとするには、あまりにも時間が経ちすぎていたが。


コンコンと、取り敢えずノックをしてみるエイタ。


反応はない。


「入るぞ! 入るからな!!」


ドアノブに手を添えたまま大声で言って数秒待つ。それでも反応がないため、結局そのまま侵入するしかない。


「倒れてたりしたら大変だからな……」


なんて。言い訳がましい事を言いながら扉を開けると、意外にもその部屋だけは片付いていた。


いや、ゴミ袋が扉横に置いてあったため、単にホムンクルス少女がこの部屋から掃除を始めただけなのかもしれない。


その空間には棚と机とベッドだけが置かれており、寝室を彷彿とさせる私物的なものは一切見当たらない。


そして、やはりベッドにはホムンクルス少女が身体を横たえていた。


一応、念のため近づいて安否を確認してみると、艶のある唇からはすぅすぅと健康的な寝息が吐きだされている。


その様子を眺めていることに何故かいわれのない罪悪感を覚えはじめたエイタは、ゴミ袋だけを持ってそっと部屋をでた。


「ゴミを捨てにいきたいんだが、どうしたもんかね」


他の部屋にも寝室同様、趣向品的な物は一切なかった。


あったのは、生活をするために必要としたであろう不摂生な食事の痕跡のみ。衣服については取り敢えず拾い集めてカゴの中に集めてある。洗濯までしようか悩んだのだが、後から何か言われたくなかったためそれは止めておいた。


まぁ、勝手に掃除されることを承諾してる時点で、何か言われても反論できてしまえるのだが。


手紙や書類なんかもあまり見ないようにして一箇所に集めてある。個人情報が記載されてあるだけになるべく見ないようにしたのだが、果たしてゴミかどうかを判別する際に偶然にも名前だけは目に入ってしまっていた。


ーー東雲しののめナギサ。


それがホムンクルス少女の登録名なのだろう。


しかし、それ以外の情報は何も知らない。写真すらもこの部屋にはなかった。学園都市オニロバースに来る以前に持っていたとされる私物すらも。


片付いたその部屋は、女の子が住むにはあまりにも殺風景であるような気がした。


そんな時、不意にガチャリと音がして反射的に顔を向ける。


そこには、眠たげな瞳のままの東雲ナギサが立っていた。


「起きたのか」


そう言ってから、起きた事実を告げたことにヤバいと後悔。それはつまり、寝ていたことを確認したも同然だったから。


しかし、寝起きだからなのか、彼女は何も言わず数時間にも及んだエイタの功績をゆっくりと見渡すだけ。


「いくらですか」


そして、その視線の最後に止まったエイタに向けてそう言った。


「お前な……」


なんとなく、予想はしていた。


彼女は自己紹介すらしなかったし、すこし休むと言い掃除の殆どを任せたっきり。眠ってしまったのはおそらく、自分が掃除をしなければならないという責任感が薄れたからではないか? と。


「俺は掃除の業者じゃない」

「業者じゃないんですか? じゃあ、趣味で掃除を?」

「趣味じゃない。そういうロールプレイでもない」

「仕事でも趣味でもロールプレイでもないのなら、思いつく理由はただの善人なのですが……私の分析によるとあなたは悪人です」

「それは分析じゃなく決めつけだろ。あと、悪人だと思ったなら掃除を任せて寝るな。無防備すぎるだろ」

「……無防備?」


東雲ナギサは小首を傾げた。それに、再び墓穴を掘ったことにハッとする。


「い、いや、全然部屋から出てこないから寝てるんだろうと思っただけだ。仮にも俺は男なわけだし」


そんな言い訳に少女は「あぁ」と声をもらした。


「問題ありません。ホムンクルスは生殖機能に障害を持っています。人間でいう男女間に生まれるような恋愛感情や性愛感情はありません」


淡々と返されてしまった。


「あなたが私のような存在に興奮を覚えるような性癖を持っていなければ、の話ですが」


そして、とても女の子の口から出てくるような言葉ではない補足まで付け加えられた。


「一応答えておくが、それはない。俺はただのプレイヤーだ」

「プレイヤー……」


東雲ナギサの眠たげな目がすこし開く。ただのプレイヤーが掃除をしにきたことに驚いたのだろう。


そこからどう説明したものかを考えてみるのだが、良い話の切り出し方は思い浮かばなかった。


調子が狂うとはこういうことを言うんだろうなと、エイタは頭を搔く。


ファーストコンタクトで銃口を向けてきた感情的な彼女と、今目の前にいる淡白な彼女とでは大きくかけ離れているような気がしたからだ。


「最初に会ったとき、なんで魔法を使った?」

「御堂教官の安全がおびやかされていると判断したからです」

「つまり、御堂教官を助けようとしたわけか」

「ホムンクルスが襲われた事例は世界的にみても少なくありません。その脳髄には、売れば何億とする魔石が埋まっていますから。それは仕方のないことだと思いますが、そのために無関係の人間が巻き込まれることを私は嫌います」

「なるほどな……」


東雲ナギサの攻撃は、身の危険を感じた事によるものではなく、単に「御堂教官を助けなければ」という正義感によるものだったらしい。


そして、確認しなければならないことがエイタにはもう一つ。


「俺って……そんなに悪人面してるか?」


彼女の話が事実だとすれば、エイタの人相は、御堂霧香を助けなければならないと思うほどに悪いということ。


「悪いです。特に、目つきが」

「……そうかよ」

「ですが、プレイヤーだと聞いて納得しました。あなたは、その目で魔物を威圧するために悪くしてるのですよね」

「……へ?」


がっくりと肩を落としたエイタは、予想もしていなかった言葉に顔を上げる。


そこで見たのは、微かに口もとをゆるめた東雲ナギサの表情。


「大抵のプレイヤーは、魔法や武器を使うことはあっても、魔物のように見た目から殺意を感じられる風貌に徹することはありません」


「……へ?」


「当然だと納得します。人間は、同じ人間同士の関係において悪印象を残すことを嫌いますから。ですが、あなたはそれを切り捨て、魔物を殺すことのみに全振りしています」


一瞬、皮肉を言われているのかと疑ったが、東雲ナギサの表情は明らかにエイタを褒めるものだった。


「そういうプレイヤーは好きです」


しかも、好きとまで言われてしまった。


そんな彼女を前にして「ただの睡眠障害だ」などと言えるはずはない。


ましてや、今後良い関係を築かなければならない相手ならなおさら。


「お、おう……」


だから、取り敢えずその思い込みは否定しないでおいた。


もちろん、嘘を吐いたこととは別で、とても複雑な気持ちではあったが。

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