第3話 学園都市オニロバース

――Fランク探索者管理局。


その字面じづらに劣等感を覚える者もいれば、優越感を覚える者もいるだろう。


ちなみに、深井戸エイタは前者だった。なぜなら、Fランクとは探索者のランク分けに置いて最も低い序列に位置しており、何を隠そう彼自身がそこに所属しているからだ。


とはいえ、そんなことに憂鬱な感情を抱いていたのは彼にとって遠い昔の話。喉もと過ぎれば熱さを忘れるとうが、置かれた立場に慣れきってしまうと、もはやその字面に何か思うことはない。


ただ、豪奢ごうしゃにデザインされた建築物だけが、まるで中身のない人間が外側だけを着飾っているように見えて恥ずかしいと感じるだけ。


御堂霧香を追いかけて、ゆるやかにカーブした半螺旋状の階段を降りていくと一階のフロアから聞き慣れた声が聞こえてきた。


「――こんにちは! Fランク探索者管理局へようこそ! 今日はどうされました?」

「こんにちは、お嬢さんッッ。今日は最高難易度の任務を遂行しようと思ってきたんだッッ」


それはちょうど、Fランクの探索任務が受注されている光景。


受付の前には、マントを羽織る男がカウンターに肘をつきながら対面していた。その距離の近さからか、受付に座る女性は笑顔のまますこし身体を反り気味に対応している。


エイタは何か嫌な予感を察して、そちらを見ないように顔を背けたのだが、会話だけは否応もなく耳へと飛び込んでくる。


「えっと……今あるFランク任務のなかで、最高難易度ってことですか……?」

「今、目の前にいるお嬢さんが、最高難易度の任務という意味さッッ」


男の気取った語尾が鼓膜を揺らすたびにゾワゾワとした鳥肌が立つ。


「あの……ダンジョン探索ってことですよね?」

「まぁ、ダンジョンを迷宮に例えるのなら、僕は現在進行系で恋の迷宮を彷徨っているよッッ……君がラスボスだねッッ」


――恥ずかしすぎるな……もう、なにもかもが。


「御堂教官、あれ止めなくていいんすか?」


あのこっ恥ずかしい会話は御堂霧香にも聞こえているはずなのに、彼女は構わずスタスタと出入口へ歩いていた。


エイタの声にようやく御堂霧香はそちらに顔を向けたものの、「あぁ」と声を漏らしただけで気に留める様子は全くない。


「止めたければ止めてきてもいいぞ?」

「……俺がですか? 嫌ですよ、関わりあいになりたくない」

「なら無視すればいい。ただのロールプレイだよ」


――ロールプレイ、ね。


建物の外にでると、ガラス張りのビルに反射した眩しい光に目を細めた。天気は快晴で、空にはノスタルジックなプロペラを回す飛行船が一隻見えるだけ。もちろんそのプロペラはデザインに過ぎず、見えない船内では電子機器による完璧な制御が行われているらしい。


電信柱は見渡す限りどこにもなく、そのため、網の目のように張り巡らされた電線もない。たしか、街の各所に建てられたオベリスクからの信号により、建物内に設備される電磁誘導でんじゆうどう装置が電気を発生させているとか何とか。


それらは、学園都市『オニロバース』に移り住む際に説明会で教わったことなのだが、エイタの脳内には説明できるほどの知識として保管されてはいなかった。


「さっき……受付で行われていた事だがね」


おそらく駐車場のほうへと足を向ける御堂霧香は、ふと思いだしたようにそんな言葉を発した。


「ああいうのに自分から関わっていくのもプレイヤー・・・・・としての資質だよ」

「資質って……関係ない俺が止めに入ったらトラブルが増えるだけでしょ」

「プレイヤーというのはそういうものさ。目の前で起きていることを無視できない……。彼らは時にヒーローとなるし、何にでも首を突っ込む厄介者になることもある。この学園都市では、そういうムーブを『ロールプレイ』として推奨しているんだ。まるで、ゲームの世界のように振る舞うことこそが探索者を強くすると知っているからね」


その話については、エイタも知っていた。


「だから、能力を発現させた人間を「プレイヤー」と呼んで、街の中すらも出来る限りゲームみたいな世界観に寄せたんですよね? それは知ってますけど、本当に強くなるとは思えませんね。特に、さっきみたいな奴とか」

「まぁ、あれはプレイヤーというよりモブキャラがやるようなムーブだからね。流石さすがはFランクといったところか。それは止めにはいらなかった君も含めて、だが」


肩を竦めるエイタに、御堂霧香はとがめるような視線を突きつけてきた。


「いや、他のランクの奴らでも止めにはいるとは限らないし、そのロールプレイが強さに繋がるとも思えません」


確証もないことで馬鹿にされている気がして、文句が口をついて出てしまう。


御堂霧香は今度「ふむ」と鼻を鳴らした。


それは彼女が何かを考えているときの仕草。


「……深井戸、君は寝不足の顔をしているが遅刻の多い人間か?」


唐突な質問だった。


「遅刻ですか? まぁ、したことはありますけど多いってほどじゃないですね」

「目覚ましをかけているからだろ?」

「そうです」

「広く捉えればみんなやってることさ。遅刻をしないよう朝起きられる人間になるためには、最初のそのロールプレイをしなければならない。そのロールプレイをするために目覚ましをかけるんだろう。やがて、日常的に起きられるようになると、それは本物に変わる。それを人々は『成長』という、ていの良い言葉で包んでしまうわけだ」

「……良いことなのに、言い方はあまり良くないですね」

「良いことだと私は思っていないからね。朝起きられるかどうかはその人間の特性にも寄るところが大きい。なのに、社会はそれを良いことであるかのように強要する。まぁ、良いことではあるんだよ。もちろんそれは〝社会〟というコミュニティに置いては、の話ではあるがね」


滔々とうとうと語られる話にエイタは黙るしかない。


その話にはおそらく、御堂霧香がこれまで生きていた経験則が交えてあるのだろう。だから、反論することはつまり、彼女を否定することにもなってしまう。


エイタは、御堂霧香を否定したいわけじゃなかった。


「この学園都市はプレイヤーにおける練習場なんだよ。とっさに人を守るのならば、普段からそういう意識を根付かせて敵に立ち向かう運動神経を養わなければならない。人類のために魔王を倒した勇者はきっと、村では何にでも首を突っ込んでくる厄介者だったに違いないさ」


そんな皮肉で締めた御堂霧香は、タンッと振り向いてエイタへと笑いかけた。


「そんな勇者に、君もなってみないか?」


まるで、漫画かアニメかゲームでしか聞かないようなイタい台詞には、もはや笑うしかない。


「御堂教官は……なんでFランク管理局なんかにいるんですか? もっと上のランクにいても良さそうなのに」

「何を言っている? 私は落ちこぼれの理屈を理解しているからFランクの管理局にいるんだよ」

「それは……教官が落ちこぼれってことですかね」

「そうかもしれないな。そして、君も落ちこぼれという意味でもある」

「……そうっすか」


暗に「有能だ」と褒めた言葉は、暗に自虐されて返されてしまった。こういう軽妙なやり取りが御堂霧香の婚期を遅らせている原因なのだろうとエイタは案じてやまない。


とはいえ、彼女が言っていることは理解できた。


この学園都市においてランクの高い探索者というのは、皆往々にして自信満々であり自己肯定感がつよく、有頂天だった。それこそが意志を反映させるダンジョンという空間で強さへと変換されているのだろう。


そして、それを勘違いした者たちは、さっきみたく生意気で傲慢な恥知らずが多い。


そういった者たちの居場所がFランクなのだとしたら、やはり、エイタもまた生意気で傲慢で恥知らずなのかもしれない。


「あれ……? 俺ってそんなに性格悪いですかね?」

「ん? ああ、君の場合は性格ももちろんあるが、能力に起因している部分が大きい。能力発動の条件に無抵抗があるからだとは思うが、探索者としての戦闘能力がおおきく欠落している。さっきの奴を止めに入ったら間違いなく返り討ちに遭っていただろうね」

「それで止めに入ることを推奨したんですか……」

「私はプレイヤーとしての側面で話をしただけさ。ハッキリ言って君は弱いよ。私が見てきたなかで一番弱い。負けることはおろか、戦うことすらできない探索者なんて見たことがない。なぜ君は息をしているんだ」

「あの……オーバーキルって知ってます?」


過剰な言葉の暴力に、思わず御堂霧香の認識を疑ってしまいそうになる。


探索者が持つ能力は、本人が望んで手にしたものではなかった。


それは、探索者として覚醒した際に勝手に与えられるもの。


能力を否定することは、生まれ持った才能を否定されるのと同じことだった。


「まぁ、そんな最弱の君には強い仲間がいるだろう。乗りなさい」


駐車場の一角に停めてあったのは、所謂いわゆるアメ車だった。それは、女性が乗り回すには似つかわない厳ついボディをしている。しかし、なぜか御堂霧香には似合っているような気がしてならない不思議。


発車とともに破裂し高速で振動し始めるエンジン音はスピーカーだろう。ガスを大量に排出する車など、もはや古代の遺物にすぎない。


そんな音をBGMにして到着したのは、市街地の一角。


車から降りると、見上げなければならないほど高いオートロック式のマンションが目の前にあり、そこが目的地なのだろうと推察できた。


「あの、ここって高ランク帯の探索者が住んでるマンションじゃないんですか……?」


仲間だというから、てっきり同ランク帯の探索者を紹介されるのかと思っていたエイタは、おそるおそる御堂霧香へと顔を向ける。


「今から訪ねるのは、君と同じFランクの探索者だよ」

「ああ、じゃあ、実家が金持ちとかなんすね」

「それもあるね」


ーーそれ、も?


引っかかりのある言い方に違和感を覚えたエイタだったが、それを問う暇を与えず御堂霧香はマンションの入口へと向かう。


やがて、部屋番号を打ち込んだインターホンから聞こえてきたのは、


『ーーはい』


女の子の声に聞こえた。


「部屋にあがってもいいかね?」

『今でしょうか? 散らかっていますし、大したもてなしはできません』

「構わない。私が長居するわけじゃないからね」


ーー私、が?


その言い方だと、まるでエイタは長居するように聞こえたのだが、やはりそれを問う暇は与えられない。


『……わかりました。それと、御堂教官のうしろに不審な男がいるので通報しておきますね』

「ああ、彼は連れだ。見た目は怪しいが無害だから安心して欲しい」

『……そうですか』


やっぱ女子だよな、とエイタは再認識。おそらく監視カメラでこちらの様子は見えているのだろう。


エイタは相手が安心できるようにカメラに向かって微笑んでみた。


直後、


『ビーっ! ビーっ! 危機管理システムが作動しました。犯人は御堂教官を背後から脅し、マンションへの侵入を図ろうとしていると推測します。警備隊への出動を要請しました』


突然インターホンから聞こえてきた文言にワケがわからず唖然あぜんとするエイタ。御堂霧香は、こめかみを指で押さえながら振り返った。


「なぜ君は、意味もなく誰かの不安をあおる?」

「……え? 今のって警備隊呼ばれたんですか?」

「おそらくね」

「おそらくって……なんか警報音とガイダンス音声が機械じゃなくて肉声だったんですけど……」

「そこは別にいいだろう。君が余計なことをしなければ良かった話だ」

「カメラに向かって笑いかけただけですけど……」

「それが余計だと言っているんだ」

「すいません……」


何が悪かったのか分からなかったものの、取り敢えず謝るしかなかったエイタ。


その後、すぐに警備隊は駆けつけてきた。彼らにはインターホン越しの相手と御堂霧香とを交えて話をし、最後、彼らはエイタの顔をしげしげと眺めてから納得すると帰っていった。


無論、エイタは納得していないし遺憾でしかない。


まだ顔を合わせていない時点で印象は最悪。そしてそれは、向こうも同じだろう。


御堂霧香は仲間として紹介すると言ってはいたものの、そうなる未来をエイタは想像できない。


それでも我慢して訪ねようとしているのは、せめて相手の顔を拝んでやらなければ、という強い意志があったから。


ほとんど音のしない快適なエレベーターは、相手が住む階層へと到着した。


御堂霧香が先を歩いていたものの、その後ろをエイタは食い気味についていく。


部屋の前に着いて鳴らしたチャイム。


やがて、ガチャリと開いた重厚な扉。


開口一番に文句を浴びせてやろうと構えていたエイタは、


「おいーーッッ……え? ゴホッゴホッッ…!!」


口を開く前に、鼻腔の奥を突いた臭いに顔を歪ませてむせ込んでしまった。


ーーな、なんだ。この臭いは……。


その臭いをエイタは、いつか潜ったダンジョン内で嗅いだことがある気がした。


咳き込みながらも脳裏によぎったその答えはーー腐敗臭。


緊急事態か、何かしらの攻撃かと思い無理やり顔をあげる。


今最も危険な状態にあるのは部屋の主だろうと判断し、助けに入るため臨戦態勢を整えーー。


「その凶悪な目付き……やはり悪人と断定します。ぴぴぴっ」


そこに居たのは、右手の指をまるでディスプレイのようにひろげ、右目に添える少女がひとり。


エイタの動きを止めたのは、少女が今まさに取っている奇っ怪なポーズのせいではなかった。


――ホムン……クルス。


直接見たことはなかったものの、エイタはその特徴的な外見から少女の正体を看過かんかする。


プラチナブロンドの長い髪。どこか眠そうな碧眼へきがんのタレ目。まるで、どこぞの物語から出てきたのではないかと錯覚させるほど整ったパーツたちは、端正な顔の中にバランスよく収まっていた。小柄な体躯に羽織っているのは薄手のパーカーであり、ショートパンツ下の太ももは黒いタイツによって覆われている。その片方のももにはホルスターが取り付けられており、ハンドガンらしきグリップが顔を覗かせていた。おそらくはモデルガンなのだろう。


「返答なし。図星と推察。これより、悪人の排除を実行します。ぴぴぴっ」


少女は独り言のようにそう呟くと、ホルスターからモデルガンを抜きだす。


それを静止しようとしたエイタだったが、少女の背後にチラリと見えた光景に気づき、思わず頭を抱えそうになってしまう。


「いや……待ってくれ……」


口から出てきたのは疲れた声。


見てしまったのは、奥のキッチンに突っ込まれた調理器具や皿の数々だった。さらには、捨て損なったゴミ袋が床に散乱し、空のペットボトルたちがボーリングのピンのように並べられている。衣類は洗濯かごから溢れ、のたうち回るように足下を占拠していた。


「待ちませんーー構えるは文明の利器。向けるは銃口。はがねつつより撃ちだされる弾丸は、音を置き去りにしてなんじの肉を貫かん。抵抗はできず、反撃もできず、理不尽な血溜まりに己の体を沈めよ。リロードの音は響いた。装填は完了している。指は引き金にかけられ、殺傷の瞬間を待つのみ」


少女はエイタから距離を取ると、モデルガンを構えながらハキハキとした口調で詠唱を遂げた。


その銃口からは魔力の光が漏れ、銃身全体へと回路図のように張り巡らされている。


「ダンジョン外での魔法は禁止されているはずだ」

「緊急事態です。止む終えません」


話が通じない少女にエイタはため息。部屋から漂う臭いの正体すらをも看過したエイタだったが、あまりにも情報過多でどう行動すべきかを逡巡しゅんじゅんせざるを得ない。


やがて、この状況において最も有益であろう情報を確認した。


それは、今まさに魔法が使用されているにも関わらず、全く動こうとしない背後の御堂霧香。


ーー本気で撃つ気はないんだろうな。


それは半ば賭けでもあったが、勝率は十分にあるとエイタは考える。


目の前のホムンクルスについては何も知らなかったが、後ろの御堂霧香については絶対的な信頼を得ていたから。


「今の詠唱だと不完全だな」

「……理解しました。詠唱不足によるダメージ軽減を狙っているようですね。ですが、無駄です。それを狙って口にした時点で、あなたは先の詠唱が完成されていると自白したも同然ですから」

「いいや、不完全だね。だから……俺が完成させてやるよ」


少女の眉が微かに動く。


エイタはなるべく不気味に笑いながら、少女が構えるモデルガンに向けて指をさした。


「その銃弾に撃ち抜かれてーー俺は死ぬ」

「ばかッッ!!」


瞬間、背後の御堂霧香が声をあげてエイタの体を引っ張った。


おそらく銃弾から守るための行動だったのだろうが、エイタは既に安全を確信していた。


言い放った直後、少女の瞳におびえが見えたからだ。


背中から叩きつけられたエイタの表情は痛みで歪む。それでも、死ぬよりはマシだと思えて口もともゆるんだ。


「理解不能。この人は自殺願望者ですか……?」


モデルガンを手放し、力なく膝から崩れ落ちた少女は御堂霧香へと問いかける。


声が震えていた。


御堂霧香は安堵の息を吐きながら、呆れの視線でエイタを見下ろす。


「まぁ……狂ってはいるんだろうな」

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