三 住之江吉彰

 いただきます、と手を合わせる。ほかほかと湯気を立てる白い米粒はつやつやと光り、白い豆腐とわかめの味噌汁は出汁と味噌みその香りをさせて食欲を誘う。皿の上にあった半熟の目玉焼きをご飯の上に乗せて黄身を割れば、とろりと中身があふれ出た。それに醤油しょうゆをかけて、白飯と共に口へ入れる。

 晴季は卵かけご飯よりもこれが好きだった。

 目玉焼きご飯を堪能していたところで、くあ、という嚙み殺しきれなかった欠伸あくびの音がした。その音を辿るようにして、晴季は四角いテーブルを挟んだ正面を見た。

 ぼさぼさの頭をした背の高い青年が、背中を丸めるようにしてまずそうにもそもそと卵の白身を咀嚼している。背中を丸めているせいか、彼はどうにも全体的に丸い印象が拭えない。

 卵の次は焼いたウインナーを一本、箸で摘まみ上げて白い歯でかじれば、ぷつりと割れて肉汁が溢れてくる。それを食べるのに失敗して、ぼとぼとと肉汁は皿へと落ちてしまっていた。

「ねえ吉彰よしあき君、眠いの?」

「眠い。だって昨日おっさん帰ってくるなり叩き起こして調べろだの何だの、僕を何だと思ってるんだか」

 寝ぐせもそのままのいかにも寝起きですといった様子の吉彰は、まだ青色のパジャマ姿である。晴季も寝間着にしているジャージ姿であるので人のことは言えないが、さすがに髪だけはいつも通り二つに結った。

 そんな様子ではあるが、この朝食を用意したのは吉彰である。今日は土曜日で休日だから、という理由で寝起きそのままの姿なのだろう。もっとも、平日でも彼は大差ないが。

「谷に行ったのに亡霊がいなかったんだよ。雑霊も少なかったし」

「聞いた。じゃあそれって要因は何が考えられると思う?」

 お椀を手に持ち、味噌汁を一口。思ったよりもまだ熱かったそれが、喉を通り過ぎて滑り落ちていく。

「うーん……亡霊が実は恨んでない、とか」

「他には」

「亡霊が移動した、とか」

 けれど晴季には雑霊が少なかったことの説明はできなかった。いてもおかしくない、寧ろいない方がおかしい場所に、ほとんどいない。

「移動するとしたらどこだと思う」

「えーと……」

 考えすぎて、箸で取った白飯と目玉焼きの混合物がぼとりと茶碗の中に吸い込まれていく。

 移動するとしたら、どこだろう。亡霊はどこへ行くのか。誠一郎せいいちろうは何と言っていただろう。たしか男は恋人とのトラブルで自殺。その恋人とのトラブルの中身は何か。

「恋人の、ところ?」

「恋人かそれともトラブルの原因か。よくあるやつだ――恨みを成すぞ、という」

 吉彰は味噌汁を飲み干して、空になったお椀を置いた。そして眉根を寄せてお椀に残った味噌の粒を不満げに眺めている。

「恨み……」

「僕は視えないからな。想像するしかできないが」

 ごちそうさまでした、と吉彰が手を合わせる。気付けば彼の皿も茶碗もお椀も、何もかもが空っぽだ。

 一方の晴季はといえば、考え事のせいで手が止まってしまっていた。慌てて行儀が悪いと分かっていながらも茶碗の中身を掻き込み始めると、吉彰に見咎められた。

「そんなに慌てるとむせるぞ。君はただでさえ喉が細いんだ」

「らいじょーぶらもん……」

「行儀が悪い、言い訳ならあとで聞くから黙って食べろ」

 う、と晴季は押し黙る。たしかに口に物を入れながら喋るのは行儀が悪い。

 そうこうしている間に吉彰はキッチンの流しへ皿や茶碗を重ねて持って行く。ざあっという水の音が一瞬、耳を通り過ぎて行った。

 注意もされたことであるので、落ち着いて食べることに決める。白飯と目玉焼き、味噌汁、ウインナー、それらをきちんと一つずつ咀嚼そしゃくして胃の中に放り込んで、あとは自分の体が消化吸収してくれるのを待つだけだ。

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。ほら」

 手を合わせた晴季の前に、ことりと湯呑が置かれる。ふわりと緑茶の香りが立った。

「あ、いいにおい」

「どっかからおっさんが貰ってきたやつ。玉露入りだって書いてたからぬるい温度のが良いと思って、最初に淹れるのはやめた」

「そういうもの?」

 良く分からないが、吉彰のこだわりらしい。

 吉彰は晴季の前にあった皿や茶碗を全部積み上げて持っていく。晴季が立ち上がろうとすると、別にいいと吉彰にそれを制された。

「片付けくらいするのに」

「おっさんに付き合わされて疲れてるだろ。いいから君は座ってなさい」

 その態度はまるで兄か父親だ。誠一郎よりも年下のまだ大学生の吉彰の方が、余程晴季の保護者のようでもあって少し笑えてしまう。それにしても誠一郎に付き合ったのは一昨日の話なのだから、もう疲れなど残ってはいない。それなのに、吉彰はそんな口実をもっともらしく言うのだ。

 がちゃりとリビングの扉が開いて、ようやく誠一郎が姿を見せた。手に紙の束を持った彼はきっちりと髪のセットまで終えている。そこはいいのだが、ワイシャツの裾がズボンから一部はみ出していた。

「遅いよ、おっさん」

「朝一の開口一番がそれってどうなのスミヨシ。お前本当に俺に優しくないな」

「おっさんに優しくして僕に何の得があるの。夜中に叩き起こすようなおっさんに」

 吉彰はわざとらしくおっさんと繰り返していた。

 スミヨシが冷たい、などと文句を言いながら、誠一郎は晴季の右側の席に座る。紙の束を無造作に置いたせいで、そこに敷かれていた淡い緑色のランチョンマットのへりと紙の束が重なってしまった。

 吉彰はあからさまに不機嫌な顔をして、ランチョンマットの真ん中にカップとソーサーを置く。

 つんと鼻腔びこうをくすぐったのはコーヒーのにおい。良い匂いだねえなどと言いながら、誠一郎は吉彰から渡されたパン屋の袋を嬉しそうに開いている。誠一郎の朝ごはんは晴季や吉彰とは違い、コーヒーにクロワッサンが一個だけだ。

 その体格を見ていると、それだけで足りるのだろうかといつも思う。そうしてじっと見ていると、誠一郎に気付かれた。

「ハレ、あげないよ。これは駅前のパン屋のおいしいやつなんだから」

「欲しいなんて一言も言ってないよ?」

 誠一郎は手でクロワッサンを割り、小さくしたものを口に入れて咀嚼する。茶色い皮と白い中身のコントラストが鮮やかだ。白い部分はさぞやふわふわなのだろうなと、その断面だけで見て取れる。

「晴季にはこれ」

 こん、と目の前にプラスチックの容器が置かれる。ご丁寧に蓋を外してくれているそれは、黄色でぷるんと自己主張をした。甘いにおいと、ほんの少しのカラメルのにがいにおい。

「あ、プリンだ。しかもこれ、最近コンビニ限定で出てたやつ!」

「昨日大学の帰りに寄ったから。君、プリン好きだろう」

 そう言って正面に座った吉彰は、自分の前には緑茶しか置いていない。自分の分は何もないらしかった。

「吉彰君は?」

「僕はもういい。で、おっさん。僕の見解を述べていいか」

 ず、と吉彰は湯呑から緑茶をすする。晴季としてはおいしい緑茶だと思うのだが、彼の飲み方はやはりまずいものを飲んでいるようなそんな風に見えた。

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