第13話・復讐


希望を見たっていいじゃないですか──


 ある女が哀しみの籠った目を向けてそう言った。

 まったくもってお節介な話だ。

 自分のことを知りもしない人間がよくも言う。

 決して彼女が悪いわけでないのは分かってはいるが、彼女の内に秘すモノの存在を思えば、それはとんでもない皮肉だ。

 生を謳歌おうかする気もなければ、喜ぶ資格もない。自分の心の中にあるのは復讐の心のみ。

 そんな俺を嘲笑うかのように、また別の声が聞こえた。心の中に、幾度となく木霊する声だ。その声を聞いた瞬間、毛穴という毛穴が開き、身の毛が逆立った。


(美シイナ ソノ憎悪 マルデ研ギ澄マサレタ刃ノヨウダ)


 声はよろこびに満ちた声音で言う。


(オマエハ復讐ヲ成シ遂ゲルタメノ一振リノ剣 憎悪ヲ燃ヤシテ ワタシヲ追ッテコイ)


 その通りだ。だったら復讐を果たすためにも俺は生に喰らいつこう。

 目を閉じる。

『死』という言葉を反芻する。

 再び目を開けると、悲哀に満ちた女の顔はそのかおのままで、未だ心に深く根付いた顔と重なった。これまで幾星霜の刻を過ごしたとて、忘れることのない姿と想い。亡国の記憶が蘇る。


 甲冑を纏った冷たい己の腕の中に、彼女は抱かれていた。

 瀕死──

 己の手には鋼でできた刃欠はがけの剣が握られていて、その刃は血に濡れている。

 声がした。

(オマエガ殺シタ)

「違う」

(オマエノ手デ殺シタ)

「貴様がそう仕向けた」

(オマエ自ラ受ケ入レタコト)

「そうするしかなかった」


──本当に?


 幾度となく、繰り返し繰り返し巡る感情こうかいを踏み潰す。感情を黒く塗り潰し、心の中を憎悪で埋めた。

(コレハ オマエガ望ンダガ故ノ舞台 演目ノ結末ハ 悲劇カ? 喜劇カ?)

 愉悦、愉悦と声が笑う。


──誰がこんな顛末を望むものか。


 けれどすでに上演を終えた舞台を変えることはできない。

 幕は閉じ、照明は落ち、観覧客はすでに退館したのだ。


──ふん、関係ない。


 変えられないのであれば、せめて舞台を続けるのみ。観客のいない舞台だとしてもだ。

 俺が望むのは復讐の舞台。己が身を怨剣えんけんへと変じて、どこまでもどこまでも追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて──自分共々殺してやる。

 この舞台に希望はない。望むのはただ、怨敵をこの絶望の沼へと道連れること。


希望を見たっていいじゃない──

そんな悲劇に魅力はないわ──


 絶望と憎悪で塗り固まった男の耳に、声が囁いた気がした。


たとえあなたが死を望んでも、私はあなたに生きていてほしい──


 聞こえるはずのない言葉。

 腕の中ですでに冷たくなった彼女の微笑みは、男に最期の願いを託した。

 絶望の底にある人間に対して『生きて』という言葉は呪い以外何物でもない。

 男の頬を伝っていた涙の跡は、すでに乾いていた。




 人通りを外れた廃ビルの一室。

 壁に背を預けたままの姿勢で、うっすらと目を開けた。

 太陽は西に傾きだす時間で、そう思っているとあっという間に辺りは暗くなる。

 薄闇の中、グリィは自分の左腕を動かしてみる。微妙な違和感は残るものの、切断された腕はくっつき、表向きには腕としての機能は果たせている。呼毒との闘いにおける支障はほとんどない。

「燻る灰、起きたのか?」

 そばに立て掛けておいた大振りの剣から声が掛かった。

「どれくらい眠っていた?」

「もうほとんど日が傾いてるぞ。それだけぐっすり寝てるなんて珍しいな……って、なんだよその貌?」

「貌?」

 フルーフに言われて、グリィは聞き返した。

 顔に触れると、深い皴が刻まれていた。零れ出た感情に、今にでも泣き出してしまいそうな酷い貌だ。

 普段、憎悪以外の感情を貌に表すこともなく、まるで怒り以外の感情が壊れたかのような彼が見せた貌に、相棒も戸惑ったのだろう。

 あのとき、焼き付いた感情が思い起こされる。

(俺なんかじゃなく、君にこそ生きていてほしかった)

 グリィはかぶりを振ると、いつもの貌に戻り、不愛想に言う。

「気を抜き過ぎていたらしい」

「しんどいなら、もう少し寝てたらどうだ?」

 フルーフが呆れたように言う。

「立て続けに再生を繰り返してるからな。身体に負担を掛け過ぎだ。何かを守れるほど燻る灰は強くないんだから、少しはじちょーしろよ」

「貴様に心配されるほど落ちぶれてはいないさ」

「んだよ、ちょと優しくしてやったらすぐこれだ。アタシは燻る灰のことなんて、これっぽっちも心配していませんー」

 文句を言うフルーフを軽くいなし、立ち上がる。

「なんだよ、アイツのこと待たないのか?」

「待つ必要があるのか?」

「別にそういうわけじゃないけどさー」

 廃ビルの窓枠から、外に目を向ける。

 いつもと同じ街並みに見えるが、グリィとフルーフの目には違って見えていた。

「ま、聞くまでもないか」

 人波に混ざり、湧き出してはただ漂っているだけの呼毒が、今日は意思を持ってざわついているように感じる。

 呼毒が自身の意思を持つことなど、もちろんあり得ないことだ。

 人の感情から生まれ溢れたあれらは、ただそこに在る存在。あれらは同じ存在に引き寄せられ、混ざり合えば大きくなり、人の感情は引っ張られることになる。

 分かりやすく言えば、不機嫌な人に近づけば自分も不機嫌になる。楽し気な人に近づけば自分も楽しくなる。そういったものだ。

「ようやく、動き出したか」

「街中から呼毒が集まってきてるみたいだねー。一所に集めて、一気にぱくってやっちゃう気かな? こんなことができるのっていったら、やっぱり……」

「間違いようもない」

「あはははは。この前一気に食べ過ぎてたみたいだからなー。きっと食中毒でも起こしたんだぜ?」

「少し黙ってろ」

「……?」

「どうした?」

「いや、いつもみたいに、ばちーんってやらないのかなって……」

「してほしいのか?」

「そんなわけないだろ! ま、あの女は残念だったな。オマエ、なんかご執心だっ──いったーい!」

 地面に長剣をガンッ、とぶつけると、フルーフが声を上げた。

「なんだよー、ホントのことじゃん! 毎回あれだけ庇うような戦い方してて、よく言うよ」

 涙を浮かべながら文句を言う。

「あーあ、結局こうなるって分かってたんだから、最初っから助けなきゃよかったのさ。あの女に何を見たんだよ。助けたくても助けられなかった誰かへの償いか? それとも後悔か?」

「……」

「ふん、だんまりかよ。……それで燻る灰、そこに向かってるってことは、覚悟はできたの?」

「覚悟も何もない。いつもの通り、狩るだけだ」

「ふーん、そう。だったら──」

 グリィにも届かないくぐもった声音で、フルーフは独り呟くように言った。

「その覚悟とやら、見せてもらうとするさ」




 高層ビルの屋上からだと、この広い街も一望することができる。安全柵を乗り越え、視界を遮る遮蔽物を避けると、グリィは眼下に広がる人の群れに目を向けた。

 クリスマスシーズンの賑わい。

 ただでさえ人通りの多いこの街は、さらに人の群れを増し、その分溢れた呼毒がそこかしこに漂っていた。

 目を凝らすとところどころで小さな呼毒が集まり、一所に向かって流れているのが分かる。そんな街の異変に気付いている人なんて誰もいない。それは当然だ。呼毒の存在なんて誰も見えていないのだから。

 街のどこかで、争うような声が聞こえてくる。

 別に珍しくもなんともない光景。

 関わり合いにならないように、目にした人たちはその喧騒を避けて通る。あるいは遠巻きに様子を窺うか、面白がって囃し立てているか。

 争いの中心にいる者たちを見ると、呼毒の色が濃い。

 増えた呼毒を敏感に感じ取り、影響を受けているのだろう。呼毒の影響を強く受ける者は、自身の抱える負の感情もその分濃い。

 そんな街の様相など気にも留めずに、呼毒の流れる先をグリィは追う。

「あそこだ」

 クリスマス時期の帰宅時間という時間帯。

 車の交通には制限がなされ、街の中心部にある大型のスクランブル交差点では、途切れることなく人が交差している。呼毒の流れは、どうやらそこに集っているらしい。

 そんな呼毒の流れの中心に、探していた獲物の姿があった。

 景色を見るには最適なビルの屋上も、豆粒にしか見えない人の姿なんて、双眼鏡でもなければ捕らえることは難しい。

 それでもグリィは、ぶれることなく一点を見据えると、その先にあるの姿に視線を定めた。しばらくの間、行動を共にした少女愛音だ。

 人波の中、愛音は誰はばかることなく呼毒を取り込む。

 闇の靄は禍々しい塊となって、愛音の身体の中へと吸い込まれていく。

 小魚の群れが作り出すベイト・ボールのように、捕食者から身を守っているかのようにも見えるが、その機能は真逆のものだろう。呼毒を一所に集めて一息に取り込む愛音は、まるでオキアミの群れを丸呑みする鯨だ。

「こりゃ作戦失敗だね。アイツ結構、力を取り戻してるぞ。力をつける前に引っ張り出すつもりが、これじゃあ逆に人質じゃないか。それで、これからいったいどうするんだ?」

「だったら構わず斬ればいい。今ならまだ、あれも本調子ではないだろうしな」

「それができないから、わざわざあんな面倒くさいことしてたんだろ?」

「何か言ったか?」

「べっつにー」

「ふん。どうやら向こうからのお誘いらしい」

 見据える先。その視線に応えるように、愛音がこちらへと視線を送っている。グリィを挑発するように踵を返すと、愛音は背中を向けて歩いていく。

 その後を追って、グリィもまた動いた。


     〇


 裏路地に入れば、人通りはほとんどない。

 いつもの呼毒狩りでは、こういった場所を選んで呼毒を呼び寄せていた。

 他の人を巻き込まないように、というのもあるけれど、彼が存分に力を振るうことができるための配慮。それが自分の役目であり、できること──そう、この娘は本気で思っていたらしい。

 もっとも、にそんな配慮をする義理もないのだけれど、間借りしているせめてものお礼として付き合ってあげることにした。

 勝手知ったる裏通りを通り、これから始まるパーティーに都合のよさそうなビルの工事現場へと入る。辺りをしらみつぶして会場の品定めをしていると、ほどなくして声が聞こえた。

「やはり、そこにいたか」

 抑揚なく淡々と告げる声に、彼女は驚いた貌を見せた。

「……グリィさん? どうしてここに」

「この前あれだけの傷を負いながら、まだこんな所をうろついていたとはな」

「いったい、なんの話です? 私にはさっぱり──」

 言葉が遮られ、大ぶりな剣をつきつけられる。切っ先が喉元で止まった。

「いつまで続けるつもりだ? そんな三文芝居では観客すら騙せんぞ」

「やめてください、グリィさん! 私は──」

 一閃。

 ためらいもなく、つきつけられた刃が真横に薙がれる。

 ともすれば首と胴とが斬り離されるような鮮烈な一撃は、けれど彼女は最初から見切っていたかのように後方に跳躍すると、くるりとトンボを切った。とても一介の女学生ができる芸当ではない。

 彼女はゆっくりと顔を上げ、グリィを見る。いつもとまったく違う、皮肉めいた笑みをで浮かべた。

「三文芝居なんて傷つくなあ。これでも演技には自信があったのに。ご近所さんやクラスメイトにはご好評だったのよ?」

「だったらもう少し、大衆に向けた演技を学び直すことだ」

 言葉と同時に間合いが詰められ、再びグリィが剣を薙ぐ。その剣筋も、彼女は何食わぬ顔でひょいとかわしてみせた。

「ほんと無粋ね。せっかく久しぶりに再会できたのに。ね、不死の報復者ナイトウォーカーさん」

「誰のせいだと思っている?」

「あら、怖い。そんな貌して睨まないでよ。明るい太陽の元よりも、陰湿な暗闇のほうがお好みだったでしょ?」

 からからと笑うと、小馬鹿にしたような視線を送る。一通りグリィの反応を楽しむと、彼女はまるで級友に話し掛けるかのような親しさで口を開いた。

「改めまして、お久しぶりね。あの娘が張り切って呼毒を取り込んでくれたおかげで、こうして会いに来ることができるようになったのよ。ふふ。ま、ここ数日間は毎日顔を合わせていたけれどね」

「ああ。とんだ茶番に付き合ったものだ。……それで、あいつはどうした?」

「あの娘なら……」

 彼女は自分の胸を指す。

「今はここ。わたしの中で大人しくしてもらってるわ」

「なるほど。餌を取り上げられた鼠が業を煮やして、ようやく穴蔵から這い出てきたか」

「ご愁傷様。この娘を利用してわたしを監視してたみたいだけど、残念ね~」

「利用しているのは貴様のほうだろう? め」

「まあ、人聞きの悪い。わたしは少しの間だけ間借りさせてもらっただけ。もっとも、宿主から宿の管理を任されたものだから、今はわたしが管理をしているの」

「貴様の常套手段じょうとうしゅだんだな。いつものように言葉巧みに付け入って人心を操る。待っているのは身の破滅だ」

「破滅するのは付け入られたほうが悪いのよ。わたしはほんの少し願望を後押しするだけ。それを受け入れるのも拒絶するのも本人次第だわ」

 皮肉めいた貌を浮かべて、魔女はグリィをなじった。

「そうでしょう? かつて力に溺れてすべてを失った亡国の剣士さん」

「ああ、そうだ。貴様と同じように俺は自分が許せない。だからこそ元凶である貴様だけは、どんな手を使ってでも殺す」

「まあ、怖い。それで、わたしを殺したい剣士さんは、どうやってわたしを殺すの?」

「簡単なことだ」

 剣を構えて間髪を入れず、グリィは魔女に跳躍する。

「貴様を叩き斬る!」

 振りかぶった剣の切っ先を魔女が避ける。返す刀でそのまま刃を横に薙ぐ。魔女はとっさに呼毒を集めて一振りの剣を作り上げると、グリィの攻撃を軽くいなした。

「あははははは。本気で言ってるの、それ?」

「当然だっ!」

 止まることなくグリィは攻撃を繰り返す。怒号の剣戟が幾度も繰り出される。

 その刃は空を切り、たやすくいなされ、魔女の身体を捕らえることができない。

「おいこら燻る灰、まじめにやれよ!」

「少し黙っていろ!」

 フルーフの苛ついた声にグリィの苛ついた声が重なる。剣と剣とがぶつかる音が重なる。

 斬撃。剣閃。

 幾度となくチャンスは巡ってきているものの、けれど肝心なところで今一歩を入れることができない。

 それを見越して魔女が嘲笑する。

「ふふふふふ。可愛いわね。動揺してるのが、見え見えよ?」

「甘く見るなっ!」

 渾身の一刀。

 振りかぶった刃の軌道は、確実に魔女を捕らえた。

 避けようのない一撃が放たれる。

「やめて、グリィさん!」

「っ⁉」

 ざくりと肉を切り裂く音。

 とっさに軌道を変えたグリィの剣は空を切り、魔女の刃がグリィの胸元を一文字に斬り裂く。重たい一撃だった。

「ぐぅ……」

 呻き声が漏れ、地面に膝をつく。

 傷口からたぱたぱと鮮血が滴り、地面に染みを作った。

「あはははははは。こんな古典的な手に引っかかるなんて可笑しい。最っ高に無様」

「何やってんだよ、燻る灰! しっかりしろよー」

 がくがくと震える膝を押さえ付けるとゆっくりと立ち上がり、グリィは再び握りしめた剣を魔女へと向ける。

 切っ先が揺れ、標的がぶれた。それでも憎悪を剣に乗せて構える。

「人の感情を喰らう剣。たしかにそれがあれば、わたしを殺せるだろうね。けど残念なことに、剣士さまはわたしに本気で剣を振るえない」

「俺は、貴様を斬ることに躊躇いなどない……」

「だったら、どうしてさっさと斬らなかったのかしら? わたしを追いかけてきた、あの日に。この娘ごと斬ってしまえば、それでおしまいだったはずでしょ?」

「だから言ったんだ、最初からさっさとやっちゃえばよかったんだって」

 魔女の言い分にフルーフが同意する。

 たとえそのときに取り逃がすことになっていたとしても、その後に機会はいくらでもあった。

 憎悪を燃やし、復讐に身を焦がし、魔女を殺すことだけのために生きてきたというのなら、言葉通り躊躇いなく剣を振るっていたはずだ。

 しかし、もしも選択の余地が生まれていたというのなら、それは復讐グリィという生き方存在自体に矛盾している。

「使い手を間違えると大変よね。グルメな同族のよしみで、わたしが使ってあげましょうか?」

「へっへーん、ごめんだね。アンタの側にいたら、お腹が空いて狂っちゃいそうだ。それにアタシが燻る灰と契約した理由はね、アンタを喰わせてくれるって約束したからさ」

「あら、怖い。腑抜けた剣士さんより、よっぽど有能なおチビちゃんじゃない」

 フルーフの言葉を聞いて、魔女が諸手を広げる。

「少し試してみましょうか。こうすれば簡単に、わたしを殺すことができるでしょう?」

 目に見えた挑発。「わたしはここから動きませんよ」とでも言わんばかりに、魔女はグリィを煽る。

「……」

 グリィは愛音の姿をした魔女を見た。

 あいつは魔女だ、と何度も心に言い聞かせる。

 剣を振り上げたグリィに、掛けられた言葉がちらつく。


『希望を見たっていいじゃないですか』


 言葉は自分に向けられたものなのか、グリィに向けられたものなのか。おそらくその両方だろう。

『希望を見たい』という願い。『生きてほしい』という願い。

 それはつい先ほど夢で見た、彼女の最期の願いと同じもの。

 まったく無責任なことを言ってくれたものだとグリィは思う。

 振り上げられた剣は、けれど結局、グリィは振り下ろすことができなかった。

「もしもこの娘まで殺してしまったら……そう思ったら、怖くて怖くて仕方ないもの。でしょ?」

 何も答えず、ただ嘲る魔女に視線を送る。

 魔女の思惑通りの自分に、グリィは嫌悪と侮蔑を送った。

「わたしとあの娘の魂は、あのとき同化した。存在を分けるには、わたしはあまりにも脆弱だったもの。わたしごと取り込まれてしまう可能性はあったけれど、傷を負ったわたしにはそうするより他なかったからね」

 悔しくもあり、忌々しくもある。自嘲を含ませ魔女は言う。

「力を失ったわたしはほとんど影響をもたらすことはなかった。けれど、あなたは斬れなかった。気が付いていたんでしょう? この娘の命はあまりにも脆弱で、わたしを切り離してしまえば、ただでさえ消えそうな命を吹き消してしまう。……あなたは躊躇った」

「黙れ……」

「かつてのあなたなら、そんなことも気にせず、目的のためには手段を択ばなかったのに。あなたは恐れているのよ。かつて大切なものを自らの手にかけたときのように、再び自分の手を汚すことをさ」

「違う、それは貴様が……」

「何も違わないよ、あのときと同じようにね」

 魔女は呆れたように言う。

 浮かべていた笑みは消え、心底目の前の男に失望したかのように。


コロシタノハ、オマエダ──


「かつてのあなたは、ただ、ひたすらにわたしを殺すことだけを考え続けていた。まるで死神に取り憑かれたような瞳で……」

 うっとりとした口調で魔女が言う。ともすれば、愛情を感じるほどに。

 それも瞬きほどのことで、豹変したかのように声音を低く落とすと、グリィの胸ぐらをつかみ上げ、そのまま地面に押し倒した。

「けれど、あなたは変わってしまったわ。この数百年の間、いったい何があなたをそこまで堕落させてしまったのか。ただ一つを追い求めることこそが、あなたの強さだったはずなのに……」

 その目に怒りが灯る。

 仰向けに倒れたグリィの胸の傷を踏みつける。そのまま蹴りつけ、踏み抜き、掻きまわし、傷を抉る。

 何度も、何度も、何度も、何度も──

「あ~あ、ホントに無様。無様、無様、無様、無様──」

 吐き捨てられる言葉とともに鮮血が散る。

 失意の声は連綿と。くぐもった呻きの声が重なり続けた。

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