第11話・病

 予感は前々からあった。

 もともと無理ができる身体ではなく、いずれこうなるのはどこかで分かってた。

「約束の時間……行かないと……」

 霞んだ視界で時計を見る。

 17時15分。約束の時間はとうに過ぎていた。

 頑張って頭を持ち上げる──けれど、すぐに枕に沈んだ。

「おかしい…な……動いて……私の身体……」

 そう考えたところでもう遅い。間に合わない。

 3日……それとも4日?

 水瀬との間に生じたあの事件から、もうそれくらいの時間が経っている。

 手伝いたい、なんて息巻いておきながら、結局は邪魔をしてしまった。

 きっともう、呆れられているに違いない。

 今こうして、私はベッドから動けないでいる。

 それでも起きあがろうとして──床に転げ落ちる。

 はぁはぁと響く呼吸の音が耳元に張り付いて、他人のもののような感じがした。

「……やだな」

 呟きが漏れた。


 死にたくない──


 けれどその思いはすぐに、仕方がないのかなという諦めに変わる。

 どんなに望んでも、どんなに願っても神さまは意地悪で、不公平な世界は変わらない。

『我慢しなければいけない』それは私にとって至極当然のことで、生きていくための処世術ルールなのだから。


 死にたくない──


 だったら生きたい?

 そう問われると分からなくなる。

 素直に生きたいって思えるほど恵まれてはいないから、そう愛音は自答した。

 いっそ、このまま消えてしまったら楽になれるのかな? そう考えるのは一度や二度ではなくて、それこそこれまで数えきれないほど繰り返してきた。


 死にたくない──


 少なくとも、数日前までは心の奥底に眠らせていた言葉だ。

 けれど漠然と感じていた死の影が、いざ姿を垣間見せたとき、選択肢も与えられない私は醜く恐怖を覚えた。

『哀れな娘』

 ふいに頭に響く声が聞こえた気がした。無感情な声で。突き放すかのように。

 それは自分のことを、まるで他人のように見ている自分のようで。

「……天使…さま?」思わず呟くように問いかける。

 私の蝕まれた身体では、普通の人のように振舞えない。無理が祟れば、こうして伏せる結果になることなんて自明の理だ。

 そんな私が、どうして彼の手伝いなんて無理を通すことができていたのか。

 それはたぶん、自分の中の何かが力を貸してくれていたからだ。

 密やかに……まるで、私を守ってくれているかのような力。

 神さまからの贈り物──

 病院を飛び出したあの日、それは突然現れた。

 私はその日、天使さまに出会ったのだ。

 声が問う。

『この先、生きても辛いだけなのに、あなたはそれでも生きたいの?』

 生きたい?

 なら生きるって、どういうこと?

 その答えが分かるほど、はっきりとした意志もなければ希望も見出せない。そんな疑問はすぐに諦めで塗り固め、なすがままに流されてきた。ために。

 分からない。ただ今は強く思うことがある。


何のために生まれてきたのか──

生きる意味さえ分からないまま──

空っぽのまま──


「死にたくない」

『ふぅん』

 弱々しい愛音とは逆に、聞こえてくる声は力強い。

 まるで声の方が、この身体の宿主のよう。

『あなたはとっても役に立ってくれたわ。だからこれはそのお礼。最初で最後の贈り物』

 声が笑う。

『わたしがその願いを叶えてあげる』

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