第8話・ジレンマ

「ほらほら、ペース落ちてるよ! 集中集中っ!」

 パンパンと手を打つ音と奮起を促す声が反響して、バシャバシャと上がる水音と混ざり合う。

 げきを入れられた部員の少女はその声に応えようと懸命に手足を動かし、一層の水しぶきが上がった。25メートルを泳ぎ切ると、すぐさま切り返し、今泳いできたコースを引き返す。二往復、三往復。最後の25メートルを泳ぎ切り、スタート台の元に手が届いたところで、計測係の声が響いた。

「4分25秒16っ!」

 400メートルメドレーリレー、インターハイの参加基準のタイムを僅かに上回るくらいの、平均的なタイムだ。

 結果を聞きながら、水瀬は唇を噛んだ。

 自分がアンカーを務めていたときは、もう少しタイムは出せていたのだ。

 部活の仲間たちがプールで練習する中でただ一人、水瀬は制服という場違いな格好で、その風景を眺めていた。

 学校のプールは屋内に備わっていて、冬場でも問題なく練習することができる。12月ともなれば、プールサイドは若干肌寒さを感じるけれど、部活に励む部員たちにとってそれは些末な問題で、目標に向けての熱気で溢れている。

 そんな様子に、水瀬は両腕で自身の身体を抱きしめた。水着を着ていたときよりも肌寒く感じる。

「それじゃあ、三分休憩。その後、もう一回タイム計るよ。入念に身体伸ばしときな」

「はいっ!」と号令に複数の声が応えた。

 部員たちは、ストレッチをしたり会話に興じたりと、各々の休憩時間を過ごす。

 水瀬は号令を掛けた少女の元へ向かうと、詰め寄るように声を掛けた。

「あの、部長」

「速川、無理して出てこなくてもいいんだよ? ゆっくり休んで、しっかり怪我治しなよ」

「無理なんてしてません。平気です」

 今でも包帯が巻かれた手をきゅっと握ると、水瀬は毅然と答えた。

 そんな水瀬の手元から痛々しそうに目を背けて、部長は話を続けた。

「聞いたよ、通り魔事件に巻き込まれたんだってね。まったく許せないっていうか、無事で良かったっていうか。まあ、あんたの代わりは井園いそのが引き継ぐことになったからさ、こっちのことは気にしないで平気だよ」

「大丈夫……なんですか?」

「正直、速川が抜けた穴は、けっこう痛いかな」

 タイムシートに記録したいくつかの数値を眺めながら、部長は渋い顔をする。水瀬がアンカーだったときと比べて、タイムが落ちているのは明らかだった。

「けど井園も、ここ数日でタイムを上げてきてるからね。このままの調子でいければ、記録会までにはそこそこいい線いけるって信じてるよ」

 ちくりと……

 水瀬は心の内に、もやもやとしたものを感じた。そのもやもやのままに、黒い感情が零れる。

「そこそこ、じゃ駄目です……」

「え?」

「あたしを出してください」

 尖った口調に部長は目を丸めるが、水瀬は構わず続ける。

「部長、言ってくれましたよね? あたしがエースだって。部長の期待にだって応えられるし、まだまだタイムだって伸ばせる自信があります」

「出せ、って言われても、あんたねぇ……」

 部長は呆れたようにため息を吐くと、とんとんと、包帯が巻かれたままの水瀬の手を指した。

「そんな怪我した手で、大会に出せるわけないでしょ」

「こんなの平気です。包帯が邪魔だっていうんなら、すぐにでも──」

「馬鹿、やめなって!」

 部長の制止も聞かず、水瀬は巻かれていた包帯を解く。添えられたガーゼをめくると、切り裂かれた傷痕が生々しく残っていた。

 顔をしかめながら、部長が続ける。

「あんたが頑張ってきたのは見てきたから、私もこんなこと言いたくはないんだけどさ。今回は諦めて、次の機会に頑張ればいいじゃん。この大会が最後ってわけじゃないんだからさ」

「でもっ──痛……」

「ほら、言わんこっちゃない」

 傷痕が何かに触れたのか、走った痛みに水瀬は顔を歪める。それでも引っ込みがつけられず、水瀬はすがるように訴える。

「大丈夫です。今から練習すればブランクは取り返せます。タイムだって、井園さんよりも出せるように──」

「速川、あんたいい加減にしなよ?」

 部長の声には、すぐにそれと分かるだけの怒気が含まれている。

 びくり、と水瀬は身を竦ませた。

「はっきり言わせてもらうけどね、私らは勝つために大会に出るんだ。最初から負けてもいいなんて気持ちで出る子なんて、うちの部には一人もいないの」

「……」

「あんただってやってきたなら分かるでしょ? もうチームとして動いてんの。今のあんたに比べたら、井園のほうがよっぽど期待できるよ」

 言い返そうとして、何も言葉が出てこなかった。

「失礼します」とだけ言葉を絞り出して、水瀬は逃げるようにプールを後にした。

 部長は小さくなっていく水瀬の背中をしばらく目で追うと、ため息をついて部員たちに声を掛ける。

「ほらほら、休憩終わり! もう一回タイム計るよ!」

 プールには再び、水音と檄を飛ばす声が混ざり合った。


     〇


 追われていた。

 後から後から数を増す暗い闇の靄は止め処なく、ゆっくりとだが確実に迫ってくる。

 思った通り、呼毒と呼ばれる闇の靄は呼びかけに応えるかのように集まってくる。まるで自分自身で先導しているかのようだ。

 振り返らず、前だけを向いて駆ける。速やかに、けれど足取りはしっかりと。

 初めに追われていたときの恐怖がもうないと言えば嘘になるけれど、大きな違いはどことなく安心感を得ていたことだ。

 人通りのある通りから、誰もいない路地の裏へと踏み入れる。頃合いを見て、愛音は名前を呼んだ。

「グリィさんっ!」

 ごうっ、という風の唸る音とともに、愛音の周りを漂っていた闇の靄がまとめて薙ぎ払われた。けれどその数はまだ多く、一筋縄にはいかない。息を吐く間もなく、続けざまにグリィは手にした剣を振う。

「いただきま~す♪」

 千軍万馬せんぐんまんば

 フルーフが無邪気な子供のような歓声を上げるたび、闇の靄はことごとく打ち払われて霧散する。ついにはその姿は完全になくなり、辺りはまた静けさを取り戻した。

「……今ので、終わりか?」

「はい、そうみたいですね。お疲れ様でした」

「え~、ぜんぜん食べたりないよ~」

 不満そうに文句を垂れるフルーフに微笑み、愛音はグリィを振り仰いだ。

「これだけ退治すれば、きっと魔女もすぐに見つかりますよね?」

「……ああ」

「うふふ。どうですか、グリィさん。私も少しは役に立つと思いませんか?」

「調子に乗るな」

 グリィの返事に嬉しくなって、饒舌じょうぜつに言葉を返す。

 呼毒を祓い、魔女を探すというグリィの手伝いを半ば強引に取り付けてから数日が経つ。それから毎日、愛音はグリィたちと行動を共にした。

 学校が終わると、放課後は待ち合わせの廃ビルへ。人の負の心が作り出すという闇の靄と、それを糧とする魔女。楽観できる話でないのは分かっているのだけれど、愛音は心の内に高鳴るものを感じていた。

 グリィを見上げる愛音の顔には、自分でも気づいていない笑顔が浮かんでいた。

「……不思議ですね。この前まで、あれだけ怖いと思っていた呼毒も、グリィさんと一緒だと少しも──」

 急に膝から力が抜けて、その場にぺたりと尻もちをつく。

 すぐに立ち上がろうと力を入れるのだけれど、なかなか思うように身体を動かせない。

「あれ……?」

「心は騙せていたとしても、身体がついていけない。よくある話だ」

「だ、大丈夫です。少し疲れが出ただけで、まだお手伝いできますから。それに私には天使さまがついているんです」

「天使さまぁ? アンタ、燻る灰のことまだそんなふうに思ってるのか? 能天気なヤツだな」

「ふふ。もちろんグリィさんもですけど……」

 胸に手を当てると、呆れるフルーフに愛音はおどけてみせた。

「グリィさんたちと出会った後ぐらいからかな。私の中には天使さまが住んでいるんですよ。言葉を交わすことはないけれど、天使さまは私をずっと見守っていてくれて、助けてくれて。だから平気──」

 言いながら立ち上がろうとして、もう一度たたらを踏む。

「いいから休んでろ」

 ぶっきらぼうに有無を言わさず。

 グリィは愛音を廃ビルの壁際に促すと、その隣にどかりと腰を下ろす。そのまま何も言わず、目を閉じた。

 壁にもたれ掛かると、ほっと息が吐いて出た。

 グリィの言う通り、緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 ここ数日の出来事は愛音の世界からは180度真逆の世界だった。

 満足に行動することもできず、諦めという殻の中に閉じ籠っていた日々。それが急に、呼毒を祓い、魔女を追うなんて物語の出来事のような事態に陥れば、自分でも気づかない内に心にも身体にも負担を掛けていたのだろう。

 よく、物語の世界を自由に駆けまわる自分を想像していた。けれど現実には楽しいことばかりではなく、理想とは程遠い事実もある。

 もちろん、後悔がないという気持ちに嘘偽りはない。ただやっぱり、不安を拭い去ることはできていない。

 そっと視線を横に向けた。隣に座るグリィの息遣いを感じる。

 本当なら、きっと彼に休息の必要はない。今こうしているのは、自分に合わせてくれているからだろう。それが愛音にとっては申し訳なくもあり、同時に温かくもあった。

「……」

 沈黙……

 何か話し掛けたかったけれど、なんの話題も見つからない。

 グリィのこと、魔女のこと、聞きたい話はたくさんある。けれどどの話題も気軽に聞けるような内容ではなく、聞くタイミングをはばかられた。

「なーなー、燻る灰。いつまで休んでるつもりなのさ。あんなちっぽけな切れっ端じゃ、ぜんぜん足りないぞー。あ~、お腹すいた~」

 声にせっつかれて、愛音は顔を上げた。

 不機嫌そうな連れ合いが一人。

 愛音の隣に座るグリィの肩にとまったり、頭上をくるくると回ったり、フルーフは焦れたように煽り立てる。

 妖精、フェアリー、ピクシー。妖精の羽こそ無いものの、フルーフはそんな物語の中で描かれた存在そのものだ。昔、絵本で読んだ物語の登場人物で、永遠の国からの来訪者。そんな彼のパートナーの妖精の姿を思い起こさせ、愛音は思わず目を細めた。

 以前、フルーフはグリィの持つ剣ののようなものだと聞かされたのだけれど、こうして目の当たりにしても、未だに現実味は感じられない。

「なに見てんのさ?」

「ご、ごめんなさい……」

 まじまじと見つめてしまったことに気を悪くしたのか、フルーフは不満の行き先を愛音に向けると、尖った口調でがなり立てた。

「アンタも手伝うって言うなら気合い入れて、もっと大物連れて来いよ。そうだなー、この前くらいの獲物だったら、ちょっとは腹の足しになるかもな」

 この前、というのはグリィたちに救われた日のことだ。路地裏の暗がりで水瀬と一緒に襲われたときの恐怖は、今思い返しても震えがくる。

 呼毒はいたるところに漂ってはいるもののおぼろげな存在で、目を凝らして見ようとしても、その存在にすら気付く人はいない。それは、ここ数日での呼毒を祓う手伝いの中でも感じたことだ。

 実際、あの場に居合わせたというのに水瀬は呼毒の存在に気付いているふうでもなく、ただ襲い来る暴漢の男への恐怖に怯えているようだった。

 けれど愛音の目には、男を取り巻く暗い、深い闇がはっきりと映っていた。その闇は辺りの闇を呼び、取り込み、膨らみ、あたかもバケモノのような形を成していた。

「妬み、嫉み、悲しみ、憎しみ……。そういった、人の作り出した負の感情が呼毒…なんですよね? でも、あの日に見た呼毒は感情っていうにはもっと……」

「執着というやつさ。追い詰められたとき、人はその本質に従う」

 無感情な呟きが、隣から聞こえた。

 グリィは目を閉じて壁にもたれ掛かったそのままの姿勢で、さも興味がないといった口ぶりで語る。

「人は他者と自分とを比べて優劣をつけたがる。他者の成功を妬み、他者の幸せを羨み、他者の言動で傷つき、そして己の境遇を憐れむ。いつの時代もそうした感情は付き纏う」

「それは……」

 まさに自分のことを言われている気がして、愛音は言葉に詰まる。

 自嘲気味な諦めの言葉が、自然に口から零れた。

「でもそれは、仕方のないことですよ……。持っている人には持たない人の気持ちなんて分かりません……」

「否定はしないさ。それは当然の感情で、逃れようもない。たとえ現状が満たされていたとしても、他者との関わりを持つ以上、その感情は大なり小なり誰の心にも芽生える」

「グリィさんでも、そう思うんですか?」

「さあな。居場所なんてものはうの昔になくしている」

「でも、一人は辛いですよね……」

「だから人は、その感情を理性で封じる。そうしないと群れの中では生きていけないからだ。もっとも、感情なんてものは移ろいやすい。ちょっとした外的要因で考えが変わることもあれば、一時の感情だけで忘れてしまうこともある。人の感情は、不変的なものじゃない」

「けれど、変えられない感情もあります……」

「そうだな。抑えつけられた感情は同じ気質の感情と同調し、呼び込み、膨れ上がり、そうやって貯め込まれた感情は、やがて理性というたがを外す。そうなったら、後は意思とは無関係に感情に従うだけ。お前が言うバケモノの出来上がりだ」

「そうそう。ぱんぱんに育ったどろどろのやつが、また美味しいんだ~。なかなかお目にかかれないんだけどさ」

 フルーフが涎まじりに嘆息する。

 フルーフにしてみれば人の感情なんてものは二の次で、腹を満たすことができればそれでいいのかもしれない。

 僅かな期待と変えられない諦め。そんな気持ちのぜになった言葉が、愛音の口をいて出た。

「フルーフちゃんは、呼毒を斬ることができるんだよね。フルーフちゃんに斬ってもらえば、嫌な感情もなくなるのかな」

「……アンタ、アタシのことまだ子供扱いしてるだろ? もっと敬え! それに、アタシだって好みはあるんだぞ。こう見えて味にはうるさいんだ」

 フルーフは右から左に、下から上に、愛音をめ回すように視線を這わせると、ぺろりと舌なめずりをした。

「なんなら試しに斬ってやろうか? アンタからは、混ざって濁った極上の臭いがする。あはは、元の感情も分からないくらいどろどろじゃないか。アンタ、よくそんなんで正気を保ってられるな」

 言われるまでもなく、それは愛音自身がよく分かっていることだ。

 愛音は、自身が嫌いだった。


『生きるためには、我慢しなければいけない……』


 やりたいことがあっても諦め、皆と同じことがしたくても我慢をする。

 幼い頃から、それが当たり前に生きてきた愛音にとって、自分の感情がどこにあるのかなんて疑問を入れ込む余地もなく、考えを放棄することが平穏に生きる処世術だった。

 心は常に他人と比べ、そのたびに心の底へと感情を押し込み、それが当然だと思い込むこと。

 劣等感とも呼べる卑屈な考え方だということは感じていたけれど、そうしなければ心はとっくの昔に壊れていただろう。

 けれどもし、その考え方を斬り払うことができたなら、自分は変われるのだろうか?

 フルーフは人の肉体を傷つけることなく、呼毒のみを斬ることができる剣だという。それならばいっそのこと、嫌いな感情を取り除ければ楽になれるのではないか?

 呼毒を斬るという剣でなら、未来を変えることもできるだろうか?

「そんなことで苦しみが晴れるのなら、苦労はない」

 吐き捨てるかのようなグリィの言葉に、想像が途切れた。

 グリィが手にした剣をぶっきらぼうに持ち上げると、フルーフは自慢げにグリィの肩へと移動した。

「こいつに喰わせることはできるが、そのまま根こそぎ持っていかれるだけだ。丸ごとな」

「それって、良い感情も悪い感情も関係なく、ってことですか?」

「良い感情とか悪い感情とか、いったい誰が決めるのさ? 人間が作り出す感情に良いも悪いもないだろ? に呼び名をつけて勝手に価値を決めてるのは人間なんだし。アタシから言わせれば、どっちも人間の感情ってことには変わりないからな」

 さも当然のようにフルーフは言う。

 考えが嚙み合わず、愛音が困ったような目を向けると、グリィは嘆息して話を引き継いだ。

「人の作り出す感情に善も悪もない。ただ、自分で消化できる感情とできない感情があるだけだ」

 愛音に視線を合わせることなく、グリィは語る。

「人の持つことができる感情には容量が決まっている。処理できる感情を正の感情、処理できない感情を負の感情……例えばそんな名前で分けたとしても、結局収まる場所は同じ場所だ。消化できない感情が生まれれば、その感情はそのまま心に沈殿していく。やがて容量を超え、収まり切れなくなった感情が『呼毒』として溢れ出すのさ」

「でも、その処理しきれない負の感情をグリィさんは祓っているんですよね……?」

「無理やりな」

 そっけない返事が返ってきた。

「感情は人を形成する、言い換えれば魂という類だ。魂は似た魂を呼び寄せる。無理やり感情を剥ぎ取ったところで、魂の主軸が負の感情に捕らわれていれば、空いた容量をまた負の感情で埋めるだけ。逆もまた然りだ。正の感情、負の感情。人はバランスよく感情を生成することで人として生きていける。だがふとしたことでバランスを崩す。妬み、嫉み、嫉妬、憎しみ……他者と比べることで生まれる負の歪み。そうした感情に蝕まれ、やがて正の感情が尽き、負の感情で魂を埋めたとき、人はへと変わるのさ」

「魂……」

 思わぬ言葉に、ぎょっとする。

 悪い魔女をやっつけて、世界は平和になりました。そんな思い描いていた御伽噺おとぎばなしの英雄譚のような美談とは異なり、どことなくぞっとする話だ。

「……無理やり魂を引き剥がせば、人はどうなるんですか?」

「無理やり引き剥がすからには、それなりに支障はあるだろうさ。それこそ魂を形成している主となる部分を無理やり持っていかれるわけだからな。だが、そんなことに興味はない。結局はその人間が決めること。世界を妬んで犯罪に走ろうが、現状を憂いて自らの命を絶つ判断しようが、俺には関わり合いのないことだ。負に呑み込まれた人間の末路など碌なものじゃない」

「そんな……」

「思っていたのと違ったか? 怖くなったのなら早々に身を引くことだ」

「でも……」

「お前の言ったように、消せない感情がある。俺もその愚かな感情のまま動いているにすぎん。だがたとえ愚かでも、消化できない感情を消さず燻らせていることで、現状を生きていると言ってもいい」

「……それは、グリィさんが魔女を追う理由に繋がっていることですか?」

 僅かな沈黙。

 その問いには答えず、グリィはそれまで背けていた顔を愛音に向ける。

「助けて欲しい。お前はそう言っていたな?」

「……」

「何を当てにしているかは知らん。何を思って手伝いを申し出たのかは知らん。だが俺のしていることは慈善事業じゃない。もし救いを求めているのだったら見当違いだ。俺は救いなど与えない」

 突き放すグリィの再度の言葉に、愛音は声を詰まらせる。

「覚えておけ。結局、自分を救えるのは自分だけだ」

「それでも私は……そばにいたいです……」

 小さく、たどたどしくもその気持ちだけは、なんとか口にした。

 突然、垣間見てしまった異質な世界。自分を追ってくる闇の靄。

 救いを求めたくなる要因はたくさんありすぎて、けれどいったい何に対しての救いを求めているのかも分からなくなっていた。

 何よりも、もしこのまま放り出されてしまうことを思うと、それが怖くて仕方がない。言い知れない不安が胸を覆い、愛音は震える手を握り締めた。

「まあ、アンタはぜんぜん役に立たないけど、餌としては上物だからな。もちろん、アタシが喰ってもいい。っていうか喰いたい。喰わせろ!」

「……え?」

 明け透けたフルーフの声が頭上から聞こえた。意外なところからの援護射撃に、愛音は目を丸める。

 グリィを見やると、彼は再び愛音から顔を背けて肩をすくめた。

 ぶっきらぼうな態度からは、否定なのか肯定なのかは伺い知れない。それでも愛音は、抱え込んだ不安が薄らいでいくのを感じた。

「よろしくお願いします」

 立ち上がると改めてグリィに身体を向け、愛音は両手を揃えて深々と頭を下げる。

 声が弾んだ。

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