ヴァイゼヘンドラーの腕輪
「父ちゃん!」
俺はそう言って父のもとに駆け寄る。
すると父は笑顔でこう言った。
「おうおう、どうしたどうした?」
「父ちゃんのその腕輪、俺も欲しい!めっちゃ綺麗なんだもん!」
まるで兎なのか…とも思うくらい俺は跳ね、父が右腕に着けている腕輪に見惚れてた。
「そうだなぁ…。お前が一人前の商人になったら、そのときにあげよう。」
父は困ったような顔をし、頬を掻いた。
「わかった!俺、早く一人前の商人になる。そんで、父ちゃんの後を継ぐんだ!」
そうやって満面の笑顔で言い放つ。
次は母のもとへ駆けていく。
俺の日常はこんなことをしながら、両親と二人の弟とともに、地元と隣町を行き来し、商売をしていた。
俺は地方小商家の生まれ。父方が代々商人をやってきている。だから、俺も当然のように親の後を継ぐ。そう決めたのは九歳のときだ。
商家と言っても、別に大きいわけでも無い。ただ、地元で名が知られている程度だ。
だが俺達はある地方貴族に目をつけられた。俺が商人になる、そう決めた数週間後のことだった。
その貴族は隣に領地をもつ貴族と資源の売買を行っていた。その商品はうちの品物と被っていたのだ。だから品物高く売ろうとした貴族はそれをかなり安く売っていた俺らを追放した。しかも何度も脱税を繰り返ししていた、という嘘の罪によって。
その時の、
「私の障壁となった貴様等の運が悪かっただけだ。私の邪魔をしたこと、後悔しておけ」
という貴族の言葉が今でも鮮明に思い出せる。後悔なんてない、貴族が勝手に言っているだけだ。だけど、何も抵抗できない自分に怒りをおぼえた。
俺達家族は追放された後、地方から中央に向かった。荷車に出来るだけ荷物を載せて、家族で街道を歩く。
「母ちゃん…俺達どこ行くの?」
「中央だよ。いろんな人がいて、いろんな仕事があって、キラキラしてる、そんなところ。」
そう言う母ちゃんの顔は辛そうだ。
不安だった。自分が小さくて弱い人間だって知ってるから、正しく生きている自分たちが悪い人間として見られたから、何より普段仲良くしていた人たちから冷たい目で見られたから。
怖いよ…。
でも、父ちゃんと母ちゃんの顔を見ると、まだ幼くて何も分かっちゃあいない二人の弟でも遊んでもらえず毎日野宿で辛いのに、長男の自分が辛いって嫌だってワガママ言うのはなんか…だめなことだって思った。
父ちゃんと母ちゃんは辛かったら言ってねと俺達に言う。けどさ、一番辛いのは…二人じゃん。
父ちゃんは道ですれ違う商人から食料を買って食べさせてくれる。母ちゃんは物々交換で綺麗な服を食べ物とか毛布とかに替えてもらってる。二人とも、必死なんだ。
一週間くらい経ってから、俺達は少しだけ楽しいって思えるようになった気がするんだ。
「こりゃあ自転車操業ってやつだな」
って父ちゃんは苦笑いをする。
「少しずつだけど慣れてきたわね。」
って母ちゃんは微笑む。
必死だけど、少しだけ心に余裕が出来たから、苦笑いであっても微笑みであっても、笑うことができるようになった。
そして、霊国の中央都市へと到着した。俺は既に10歳になっていた。
地元とか、あの貴族の屋敷とかと比べ物にならない、道を埋め尽くすほどの多くの人に、それを挟む二つの大きな建物。
大きすぎる…。こんなに違うのか。俺は町の全てに圧倒された。何もかもが知ってる町と違う!
「よし、じゃあ宿探すか」
父ちゃんは俺達を連れて脇道に入って行く。こんなに凄いところの宿、泊まるためのお金が足りないよ…。
でも父ちゃんはどんどん前へ進んでいく。
「父ちゃん、大丈夫なの?」
心配になって、つい聞いてしまった。直ぐになんで聞いてしまったのかと後悔する。でも父ちゃんは優しい声で応える。
「はははっ、大丈夫大丈夫。今から行くところは、さっきまでいた凄いところじゃなくて普通の人たちでも泊まれる宿だからね」
父ちゃんのことを信じて着いて行くと、低めの建物が並ぶ場所にやってきた。
「このへんだよ。あぁ、あったあった。」
さっきのと比べて全然小さい…。けど、前の家より全然大きい。でも…こんなに大きな宿が安いわけがない。
「そんなに心配しなくていいのよ、ここは私達の知り合いのとこなの」
母ちゃんの知り合い…。それなら町に来たことがある人ってことかな?
「おぉーい、居るかー?」
父ちゃんの声が響いた…。
それから俺達はこの宿に住んでいる。ほぼ借家のようなものだ。
父ちゃんは中央街の門で働き始めた。人との交渉や計算などの能力があるために、人員不足となることがある街を囲む壁では、父ちゃんのような人は重宝されるようだ。
母ちゃんは、泊まっている宿で働き始め、俺達三人の世話をしてくれている。
父ちゃんに頼み、仕事のない日には算術や心構えなど、商人として必要なことを教わっている。
それ以外の日は、街の様子を眺めている。そこには、毎日のように異なる風景があり、俺の暇な時間を奪ってゆく。
行き交う人は皆、明るく思いやりがあるし、街は活気に満ちている。華やかな衣装を身に纏い街の様子を見渡す者、商品を店に並べ声を張り集客する者、治安維持のために毎日のように巡回する者…。
警備隊の人たちとは、互いに顔見知りだ。まだ子供なのに一人で街を観察していたから、彼らに声を掛けられるのは当然だ。最近では街やその外での出来事を教えてくれることもある。例えば、北の山脈で龍を見た人のことや屋台のおじさんの秘密、ある貴族の不正が発覚して失脚した事、皇帝を支える二人の王の話。色々なことを教わった。
兎に角、父の教えは厳しかった。特に敬語が難しい。分からないわけではないが、自然に扱うことができない。ここだけは本当に、徹底的に叩き込まれた。
商人としての心得として、「目先の利益にとらわれず長き目で見よ」「山に木があり、木に枝があるという当然のことのように、人には心がある」などのことを教わった。これは心得…というより父の経験からくるものではないのだろうか…と思ったが先人の教えである。
そして数年…。
「兄さん、気をつけて行ってくるんだよ。」
太陽がまだ顔を出したばかりの時刻、俺を見送る為に中央都市から東の地方伯爵領へと繋がる街道の始まりの地点、東極楽門まで弟は来ていた。
中央に来てから俺は商売について学んできた。そして18歳になった今日、初めて一人で地方へと出向く日となっていた。
「ははっ、お前は心配症だな。お前も行ったことあるから知ってるだろうが、ここから一番近い伯爵領だぞ?」
確かに、不安なことくらいはある。これまでは知り合いの商人の手伝いとして何度も地方へと出かけた。だが、比較的安全と言われる東の街道でも賊は出没し、雨天時には氾濫することもある河も存在する。万が一のため護衛はいるが、そんな事にならないよう祈るのみである。でも、大切な家族には心配を掛けないように虚勢を張る。
旅する理由は…商売する理由は…理屈じゃない。自分の世界を広げたい。見える世界を、増やしたい、知りたい…。広い視野を持つことが大切なのだ。遠い未来まで見通す先見の明が必要なのだ。
俺達の心臓は俺達の意思で動いちゃいない。
自分で止めることは出来ても、動かすことは出来ない。止まったとき、後悔しないよう今を必死に生きなければ…、過去と今が未来を創り出す。
一歩踏み出すんだ。
「そうだね、なら待ってるよ。兄さん頑張ってね。」
その後、弟が鼓子花の御守りを俺に手渡す。
「ありがとう、直に帰ってくるよ。」
「ふふ、直ぐには帰ってこなくてもいいよ。その変わり、良い報告待ってるから」
何だかわからないが、弟の雰囲気は意味深長に感じられる。何かあるのだろうか。
「ん?どういうことだ?」
「いやいや、何でもないよ。良い人たちと出会えるといいね。」
「お互い様だよ、ありがとう。じゃあ行ってくるよ」
俺は微笑んで、振り返る。
「じゃあ二人とも、行こうか」
俺は護衛を引き受けてくれた二人に声をかける。二人は頷き、街道へと進んでいく。
皆に良き出会いを。
今日も街道は平和である。そしてそこには、日の光を浴び輝く一つの円環があった。
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