それから何があったのか、ということを語る前に考察をしようと思う。そうでなければ僕の気持ちは落ち着かない。あとで書き直すときに順番を変えればいいと思うので、とりあえず六項ということで、その世界でのことを考察してみようと思う。高校生である僕の知識を振りかざして、できる限りの現実性を持たせようと思う。そもそも怪談というものの考察を働かせようじゃないか。

 まず、二項にて上げた『サミドリ』という怪談について端的な答えを示す。それを踏まえたうえで、今回の事案について考察を広げれば、ある程度の納得感を読者諸君は得られるはずだから、それを想定してのサミドリについて論及をしよう。サミドリの結末について先ほどは勝手に想像をしてくれ、と書いたけれど、その結末は赤ん坊を殺された他家の母が元凶となった家のものを殺し、それらを鳥に食わせただけ、という話である。そのために遺体をわざわざ烏がついばめるほどの小さな肉塊に解体を行って、それを当時ゴミ捨て場としていたところに細かく置いて食わせたそうだ。それを当時は呪いともてはやすようになり、それを怪談としただけの話だ。サミドリとは梅雨時となる五月雨と鳥を交えた名称であり、それ以外には特に意味も存在しないろくでもない話である。呪いと呼んだのは赤ん坊を殺された母からのものであり、結局その所業はバレてしまったものの、赤ん坊を殺されたということだけあり、彼女の罪は重くさばかれることはなかった。そもそもへその緒を五月末に捧げなければいけないという宗教的な考えを持ったお家のものが空くとしか思えないし、そんな宗教に振り回された被害者の話でしかない。ともかく、怪談の実たるところについてはそんなものなのだ。

 それを踏まえたうえで、僕が体験したことはやはり怪談と言い及ぶことはできない。怪談とは現実に即したものを戒めとして他者に流布するために作られたおとぎ話のようなものであり、その大半が偽物だということができるだろう。つまりはフィクションなのだ。どれだけ怖かろうと、そこに現実味がなければそれは偽物だ。本物は僕の目の前にしか存在しない。それならば、この前のことをどう現実的に説明しようかと思うのだけれど、単純な熱中症という可能性もあるだろう。ここまで来てそんなオチなのか、とか思われそうだけれど、個人的にはそんな結末が腑に落ちるような気がする。僕はそれについて納得することができるような気がするのだ。今回書いているコラムについても怪談を書き記せ、という指示のものからではあるが、僕は根拠がなければ書くことはできない。だから、あえて現実的かもしれない情報を持つことで、僕はこの先の情報を書くことができる。九月末の熱はまだ夏の暑さを忘れていなかった。そんな暑さに絆されていて、いつもよりも少なめに持ってきていた水筒を飲むこともなく、水分不足により幻想ともいうことができない幻覚を目の前にした。それだけに過ぎないのだろう。それならば、僕の手の甲に残る傷はなんだろう、とは思うけれど、どうせ意識があやふやの中で転げただけの話かもしれない。

 あらかじめそうオチをつけたところで、いよいよ本題となるべき話のことを書こうと思う。余計な情報を書いて申し訳ないとは思うけれど、これは僕のために必要なことなのだ。許してくれ。そして、ここまでの文章を見てくれた方には感謝が尽くせない、という気持ちだけは表明しておこうと思う。

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