第4話 毒者の末路
ホームルームが終わると同時に、俺は駆け足で教室を出た。
勿論、隣の席の頭がおかしい女に呼び止められるけれど、そんなのお構いなし。
一人をこよなく愛する俺にとっては、孤独な時間も必要なのだ。
そう割り切って下駄箱に来たわけだが。
そこにあるべきものが、無かったのだ。
「俺の靴がない! ない! なぁーい!」
もしかして新手のイジメだろうか?
と、検討してみるが、違うと自己肯定。
学校では至って普通の男子高校生を演じているはず。誰かに恨まれることは何もしていない。だから、俺がイジメられるはずがない。
そう暫し頭を悩ませていると——。
「探しているのはこれだよね?」
ふふっと笑みを漏らし小走り気味に来たのは、廃進麻理。
手元には、俺のと思しき革靴を持っている。
最初は命令すれば股を簡単に開くバカ女だと思っていたが、予想は大幅に外れていたようだ。
「はい、葛川くん。逃げちゃダメですよ❤︎」
コイツは頭が狂った異常者なのである。
ネジが一本どころの騒ぎではない。
二本も三本も外れた、おかしな女なのだ。
「一人で帰ったらストーカー女に襲われますから。あたしが今日も一緒に帰ってあげますからね❤︎」
ストーカー女というのはお前もだろと思う気持ちがあるものの、俺は喉の奥で押し留め、軽く笑みを浮かべるしかなかった。
「でも安心してください。絶対にあたしが守りますから。葛川くんをずっとずっと」
予備校で変な女と出会った。
そう俺が伝えた日から、廃進麻理はキャラを180度方向転換させてきたのだ。キャラ変と言えば、まだ可愛げがあるかもしれないが、彼女の場合は豹変というのが適切な表現だろう。
寒い冬の夜に親切心で可哀想なホームレスを家に上げて食事を与えたら、家主が殺されてしまうぐらいに恩を仇で返される感覚だな。
毎日朝早くから俺の家へと迎えに来て。昼休みはお手製の弁当を一緒に食べて。挙げ句の果てには下校も一緒。俺が予備校がある際には、待ち伏せしていることもあるのだ。
端的に言えば——。
廃進麻理は俺の彼女面し始めたのだ。
学校内でも学校外でも、俺の横にベッタリ状態である。
何気に俺の母親とも意気投合し、暇さえあれば俺の家に居座ることも多くなった。ぶっちゃけ、うざかった。
しかし——。
俺が少しでも彼女を否定すれば。
『葛川くんの嘘付き……あたしの味方だって言ってくれたのに。あたしのこと、好きって言ってくれたのに……』
『やっぱりあの女がいいんだね……あたしよりも……あの女が。そうだよね……あたしのことなんて、どうでもいいよね』
などと言い放ち、精神状態が不安定になってしまうのだ。
この状態の廃進麻理を元に戻すには、至難の業である。長時間抱きしめて「愛してるよ」と何度も言う以外の方法がない。
大変面倒で厚かましい女なのである。
唯一の趣味であった”WEB作家潰し”も廃進麻理の影響で全くと言って出来ずに、俺は辟易していたのだが——。
何故か、俺の標的マリンは、俺が見ていない際には全く生配信をしなかったのである。
その代わりに、毎日配信を約束していたマリンは、度々休むようになった。忙しくなったとか言っていたが、もしかしたら俺の書き込みに少しずつ疲弊しているのかもしれない。
そう思えれば嬉しいのだが、疲弊しているのは俺も同じこと。
廃進麻理が度々情緒不安定になるのだが、その際に俺は彼女を介抱してあげないとならなかったのだ。別段義務感とかで動いているわけではなく、不安定状態が続くと何をするか、予測不可能だからである。今にも暴発する可能性がある爆弾があれば、誰もが処理すべきだと判断するだろう。それと同じだ。
「あっ、マリンの配信が始まった。今日も痛ぶってやるよ」
廃進麻理が消えて、唯一の癒し時間。
俺のストレス発散場。廃進麻理のご機嫌を取る為に散々溜め込んだ苛立ちを、俺は思い切りぶつけるのである。
『お前、才能ないよ』と。何度も何度も。
けれど、書き込む度に、翌日、廃進麻理の機嫌を取る為に、発散した分の二倍、三倍のストレスを溜め込む羽目になった。
廃進麻理の機嫌を損ねる奴が誰なのかは全く教えてはくれないけど、さっさと止めてほしい。介抱する俺の身にもなってほしいものだ。どれだけ苦労していることか。
◇◆◇◆◇◆
一年の歳月が経ち、俺は晴れて高校三年生となった。
それと同時に、マリンがネット小説界から突然姿を消した。
俺の勝ちと言えば、勝ちになるかもしれないが、納得の行くような勝ち方では無いので、悶々とした状況が続いてしまう。
次の標的を探したい気持ちが山々だが、マリンとの決着が未だに着いた感じがせずに、俺は【WEB作家潰し】を辞めてしまった。
文理変更は去年行われたのでクラス替えは一切無く、俺と廃進麻理は相変わらず同じクラスで、周りからはお似合いカップルと茶化されるようになった。
俺としては、どこもお似合いではないし、付き合った記憶もないのだが……。
「葛川くん、あたし頑張りますっ!?」
「えっ……何を?」
「花嫁修行です。大切な夢を捨て、現実を見ることにしました」
「花嫁修行ねぇー。貰い手が居るといいな」
「何を言ってるんですか? あたしたち結婚しますよね?」
現実を全く見れてねぇーぞ。俺は結婚する気など皆無だ。
「もうお母さんに許可を貰ったので、葛川くんが18歳になったら婚約届を出しに行きましょうね」
「えっ……気が早くないかな……」
「気が早いって何ですか? 結婚は早い方がいいです」
だって、と呟いて、廃進麻理ははっきりとした声で。
「葛川くんは、あたしのモノです。一生離れませんからね」
その言葉通り——。
俺は18歳になると結婚を迫られた。
と言えども、大学を卒業するまでは結婚しないと俺は宣言し、彼女から逃げることにした。こうすれば、全て時間が解決すると。
彼女も新たに好きな人ができるだろと。
母親の意向もあり、東京大学へと進学したのは良かったものの……愛情深い女が一緒に付いてくるとは思ってもみなかったものだ。
彼女も俺と同じ大学に通いたい一心で、毎日勉強に励み、合格しちまったのである。
『葛川くん、これからもずっと一緒だね❤︎』
欺くして、俺は廃進麻理の愛の包囲網に囲まれ、全ての逃げ場を封じられてしまったのである。大学に入って、新たな出会いを求めていたのに。この女のせいで——。
『葛川くんとあたしは付き合ってるんです❤︎』
『ふふふ、葛川くんとあたしは結婚してるんですよ。同居してて、幸せな生活なんです❤︎』
『葛川くんと喋った女は誰ですか? ゼミの知り合いだとしても、連絡先の交換は許しませんよ?』
『バイト先に遊びに来ちゃいました❤︎ えへへ、愛する彼女が監視しておきますから❤︎』
『絶対に浮気できないように見張っておく彼女って、最高に可愛いと思いませんか?』
◇◆◇◆◇◆
大学を卒業後、俺は財務省に入庁した。
想像を絶する激務に悩まされつつも、エリート街道を歩む俺というのに酔いしれた。
だが——。
激務に及ぶ激務に耐えきれず、俺は身体を壊してしまったのだ。そんな俺を支えてくれたのが麻理だった。献身的な看病に心を奪われというのは、些かありがちな話だが——。
当時の俺には最高の女神様に見えたのだ。
そして、熱に脳を完全に溶かされちまっていた俺は、ここぞとばかりに宣ったのだ。
結婚しようと。俺が一生幸せにすると。
だが、これが完全なる人生の失敗だった。
結婚を境に、麻理の束縛はエスカレートした。
スマホやパソコンなどの電子機器を封じられた。
最近の浮気は『SNS』から始まるからだと言う。
他にも、女性が出てくる娯楽関連(小説や漫画、アニメも禁止。彼女の検閲が済んだものは特別許可が下りた)は全て禁止。自分以外の女性を見る俺を見たくないんだと。
おまけに、歯にはGPSを植え付けられ、俺の位置はいつでもどこでも彼女の監視下。
「結婚生活って楽しいね、聡くん❤︎」
「全然楽しくな……た、楽しいです」
背筋が凍るような寒さを感じたので、俺は言い直した。
「聡くんも喜んでくれて嬉しいー。やっぱり相性バッチリ」
そういえば、と思い返したように呟いて。
「あたしたちが仲良くなった理由って覚えてる?」
「理由……? 麻理が何か嫌がらせをされてて……」
高校時代の思い出を辿りながら答えた。
「うんうん。そうだよ。聡くんに散々嫌がらせをされてね」
「えっ…………?」
戸惑う俺に対して、麻理は獰猛な笑みを浮かべて。
「あたしね、知っちゃたんだ。聡くんが、あたしのことを散々罵倒して心を傷付けまくってたこと」
「な、何のことだよ……何を言ってるんだ……?」
「ねぇー忘れたとは言わせないよ」
——マリン——
彼女はゆっくりとその名を口にして。
「その名前を聞いたら分かるでしょ?」
「えっ……えっ……え、え……ま、マリンだと……?」
「そうだよ。あたしがマリン。聡くんが、ずっとずっとずぅーっとしつこく誹謗中傷してたマリンだよ」
突然の事態に脳の処理が追いつかない俺に対し、麻理はニコニコ笑顔を貫き通して。
「ねぇー。今、どんな気持ち? 自分が優位に立っていたと思い込んでいた相手が目の前に居て、その相手の尻に敷かれて生きているって、ねぇーどんな気持ちなのー? 教えてよー」
麻理が……マリンだと? そ、そんなことが……?
思い返せば、マリンの放送を荒らした翌日に、必ず麻理は機嫌を悪くしていた。で、でも……そ、そんなはずが。
「ど、どうして……荒らしてる奴が俺だと分かったんだ?」
「開示請求したの。そしたら、聡くんだったんだ❤︎」
「ガッカリしただろ。もう別れよう、俺たちは終わりだ」
何度目かと思うほどの離婚を頼み込んだものの。
「はぁ? 何を言ってるの? 絶対にしないからね」
「えっ……? でも人間性ゴミな俺だと分かって……」
「ううん。寧ろ、だいだいだいだいすきーになったよ」
「はぁ……? えっ……? えっ、ど、どうして……」
「あたしね、聡くんの嫌そうな表情も大好きなんだぁー」
「……?」
「あたしのことが嫌いで嫌いで憎くて憎くて仕方ないのは、もう見ているだけで分かる。でもね、あたしはそんな聡くんが大好きなの。嫌な顔をしてる聡くんを見るのが、最高なのっ!」
真っ赤に染まった頬を両手で押さえながら。
言われてみれば、俺は麻理に接するのは嫌々だったのだ。
表面上では優しいフリをしていたけど、実際は面倒で怠くて、吐き気がしたものだ。
でも……そんな俺を見るのが、麻理は好きだったのだ。
「絶対に逃さないからねー、聡くん。ずっとずっと一緒に居て、大嫌いなあたしの為にお金を稼いで来てねー」
「ふざけるな……ど、どうして俺がお前なんかを……」
「先に仕掛けてきたのはそっちでしょ? それに、あたしが聡くんを大好きでも、聡くんはあたしのことなんて全然好きじゃないのは丸分かりだし。なら、もう憎悪を抱かれて貰った方がいいかなーって思ったんだぁー」
「お、お前……く、狂ってるよ。頭……壊れてるよ」
「えっ? そうかなー? 好きな人に想われるって愛情も憎悪も一緒じゃないー? 相手に想われていることには代わりはないし、愛する人が自分のことを考えてくれるだけで幸せだよ」
心底嬉しそうに微笑む麻理を見つつ、俺は今後の人生を想像してみることにした。
毎日朝から晩まで働き、社内の仲間と飲み会に行くわけもなく、真っ直ぐ家に帰って嫁のご機嫌を取る生活。
正直言って溜まったもんじゃないが、逃げられるはずもない。逃げたところで、直ぐに見つかって、きつーいお仕置きを受けるだけ。逆に俺が酷い目に遭うのはモロ見えなのだ。
無駄な抵抗。無駄な足掻きは絶対に止めるべきだ。
「お、お前のせいで……お、俺の人生はぐちゃぐちゃだ」
「あたしは幸せだよ。今後の人生設計も考えてあるし」
「えっ……」
「一年後に待望の子供が生まれて——」
淡々と、彼女は今後の予定を饒舌に語り始めた。
聞こえるのだが、俺の頭には一切入ることはない。
ただ一つだけ分かっていることは——。
俺は一生彼女のご機嫌を取りながら、娯楽も無しに、残りの人生を歩み続ける他ないのである。
一生彼女の
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『あとがき的な何か』
今作は題材が難しく、最後まで書き切れるか心配だった。
駆け足気味に感じた方も居るかもしれないが、一応最後の部分以外はプロット通りに書いている。何も間違いはない。
本来は、葛川聡も廃進麻理もお互いに『毒者』と『マリン』だと知らずに、最後を迎える予定だった。けれど、読者への配慮と言うか、爽快感を出す為に、マリンの正体を明かす展開にした。
何はともあれ、最後まで楽しんでくれたならそれでいい。
◇◆◇◆◇◆
今作は——。
2021年5月頃に一度投稿した作品です。
それを一部改稿して再投稿してみました。
(もっと前に投稿していたかもしれないけど)
当時は尖った作品を書くのが大好きで、一癖も二癖もあるものを書いてました。
昔から私の作風は全然変わってないなぁ〜と思います。
まぁ、最近は少しずつマイルド化させて、読者側に寄せて書いているんですけどね。
私が書く小説には——。
基本的には【現代社会の闇】を取り扱っています。
【現代社会の歪み】とでも言えばいいのかな??
今作の題材は——。
ネット世界に存在する【毒者】ですね。
彼等はなぜ現れるのか。彼等は何のために毒を吐いているのか。
こんな部分をもっと詳しく書きたかったんだと思います。
当時の私は「どうだ。凄いだろ?」と偉そうにしていたと思いますが……。
まぁ、甘いですね。
全然深堀りができていません。
もっと【毒者】の主人公——葛川聡へ焦点を当て、彼の深層真理をもっと探るべきだった。
そうすれば遥かに面白い作品になっただろうなあ〜と思います。うむ、本当に残念ですね。
もしも、また私の作品を読む機会があれば……。
「この作品はどんな現代社会の闇を取り扱ってるんだろ?」と探してみてください(笑)
そうすれば、黒髪が書く小説が二倍、三倍、楽しめますから( ̄▽ ̄)
大人気美少女WEB作家の感想欄に「お前、才能ないよ」と書き込んで、精神崩壊させるのが楽し過ぎる。他人の不幸は蜜の味と思ってたが、隣の席の眼鏡っ娘が情緒不安定になったので介抱してあげることにした。 平日黒髪お姉さん @ruto7
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