192話 傷を曝す痛み



 お願いしに来たのに、逆にお願いを聞く事になるとは全く予想していなかった。変な声を出したきり呆然としていたら、ガノンさんに肘で小突かれ、エバッソさんからは睨まれた。


 慌てて頭を回して返答を組み立てる。


「しっ、失礼しました。――私に出来る事があるならば、これ以上ない名誉です。是非聞かせて下さい!」


 姿勢を正した俺に、お母様は言う。



「あの子――アピラを、貴方達と共に一月ほど生活させてくれないかしら」



 言葉に詰まる。素直に反応すれば『即座に拒否』なのだが、適切な伝え方が分からずに曖昧な返事をした。


「な、なんと……それはまた……」


「お仕事に影響する事でしょうし、当然謝礼はご用意致しますわ。滞在に要する諸費用も私達へご請求下さいな」


「いやお金の話ではないんです……その」


「……め、迷惑……という事かしら。無理も、ないわね――」


「待って下さい、滅相もない! ただ俺――私達側に懸念が山ほどあるだけで……!」



 今日は頭の働きが特に不調のようだ。せめて落ち着け。


「え、えっと……。確認事項がございます。私達が、精神に疾患や障害を持つと認定された戦士で構成され、国の補助金を頼りながら活動している特殊な組織である――と言うことはご存知の上でのお話でしょうか」


「ええ。むしろ、だからこそなのよ」


 眉間に皺が寄る。意図が読めない。


「差し支えなければ、詳細にお伺いしたい」



 お母様が言い淀み口元に手を添えたのを見て、お父様が代わった。


「私から話そう。――何より、あの子が貴方達に強い興味を抱いているのだ。この度自分を救った英雄達が、複雑な事情と心の傷を抱えながら手を取り合って生きている事にだ。私達家族もまた、貴方達が今のあの子に何かヒントを与えてくれるのではないかと期待している」


 ますます承諾できない。思わず拳と声に力が入った。


「おっ、お言葉ですが……! 私達はそんな大層な集団ではございません! 確かに、私達は互いを尊重し支え合って社会生活を送っております。裏を返せば、支え合わねば生きていけないのです!」


 こんな事を言わせるな。悔しさを宥めながら言葉を続けた。


「これも確認ですが、アピラ様は精神状態に診断名を付けられてはいないのでしょう?」


「ああ、医師には診せたが、顕著けんちょな症状はなく様子見だ」


 苛立ちと羨望を隠せていますように。


「……であれば尚更、皆様の期待を裏切る事になるでしょう。日々七転八倒し、かろうじて『普通の社会』を生きているのが私達の実情です。支え合いとは逆に傷つけ合う事だって珍しくない。お嬢様に良い影響を与えるとはとても思えない……!」


「それでもいいのだよ」


「え……?」


 短くも力強い言葉に気圧された。


 お父様は穏やかな声と真剣な表情で語る。


「説明が足りなかったな。――アピラは、帝都貴族の社会に戻る事に不安を感じているようなのだ。正直我々自身も、娼館で過ごした貴族の話は聞いたことがない。ある程度の悪意への対処は覚悟すべきと考えている」


 酷く現実的で残酷な話だ。彼女は、被害前の日常をどれだけ取り戻せるのだろうか。黙ったまま目を伏せた。


「私達家族は、彼女がそれを乗り越えて自分らしく生きていけると信じている。しかし、今のあの子にはやはり影を感じる。今後は自分がロデュセンの家名を負って姿を曝すことは控えたい、陰から家を支えるなどと言うのだ。……非常に『らしくない』と感じたよ」


 気丈な表情を保つお母様の目は、抑え切れない涙に潤んでいた。


 お父様は続ける。


「あの子には、家族や貴族のしがらみ――守るものも縛るものもない自由な状態で、自分の今後を考える事が必要だ。貴方達が各々の過去や病と向き合いながら生活する姿はこれ以上ない見本になる。望ましくない結果も想定はしている。それでも、今この状況において一番に頼りたいのは貴方達なのだ」


「……事情とお気持ちはよく分かりました。しかし」


 俺の反論を待たず、父である貴族の老紳士は深く頭を下げてしまった。


「貴方達へかける負担も承知しながら、我が子可愛さの身勝手を申している。しかし、何とか今一度協力して頂けないか……。あの子が再び堂々と陽の下を生きていけるように……!」


「い、いやいや……頭を上げて下さい……!」


 狼狽えることしかできない。力になりたいのは山々だが、俺達もまたいっぱいいっぱいなのだ。



 心の傷を癒すのも、過去を乗り越えるのも、一筋縄ではいかないと俺はよく知っている。うちに短期間訪れたところで何が変わるというのか。安心できる家族がいるのだから、その元でゆっくり過ごすのが最善ではないか? 俺達は、それが叶わない同類同士で傷を舐め合っているに過ぎない。


 やはり断ろう。俺達には見ず知らずの他人と暮らし、何かを与えられるような余裕はない。まして、不調を余儀なくされる冬は。それが現実だろう。



 心苦しくも言葉を選び始めたところで、エバッソさんが明るく声を上げた。


「――ルーク君。前向きに検討してはどうだ」


 困惑と不満を抱きながら彼を見ると、口の端を微かに上げられた。考えがあるとでも言いたげだ。


 エバッソさんは例の柔らかい物腰で話を主導し始める。


「横から失礼いたします。双方の事情を知る者として私からご提案があるのですが」


「聞かせてくれ」


 そう言うお父様を始め、全員の視線を集めたエバッソさんは温和に淡々と話した。


「イルネスカドルさんには、今回制圧した人身取引組織の他にもう一つ問題が残っています。しかしロデュセン家のご助力を頂けるならば、状況は好転しる。――ここは一つ、より良い相互扶助そうごふじょの関係となるよう、ルーク君からの要望についてもご検討の機会を頂けませんでしょうか」


 すっかり慌てて自分の話をし損なっていた。彼のアシストに感謝しなくては。



 貴族の面々はエバッソさんの話を聞いて顔を見合わせた後、強く頷いた。ゼアナクス様が言う。


「こちらからお願いするばかりであったね。恩を返さねば不均衡というもの。何なりと述べてみて欲しい」


 エバッソさんを始め、防衛団の三人が俺に微笑みを向けて促す。ありがたいお膳立てだ。



「では、手前勝手なお願いとなり恐縮ですが――」


 何の気なく話そうとしたが、突然胸元がズキンと痛み呼吸が止まった。なんだ?


 集まった怪訝そうな視線に、取り急ぎ言い訳を返す。その声も細く震えた。


「す、すいません。まとまらなくて……」


 深呼吸を試みたが、腹が微かに痙攣するだけで上手くいかない。考えるまでもなく精神要因の異常だろう。情けなくて泣きたくなる。



 考えてみれば、ウッズとの対立について俺から誰かに話すのはほぼ初めてだ。口に出す事を、向き合う事を、避けてきた。


 この件における自分の無力さは、これでもかと思い知らされてきた。どうにもならないと絶望したこの期に及んで助けを求めようとしている自分が、途方もなく惨めで苦しい。


 それでも、俺のせいで皆に迷惑がかかるのは絶対に防ぐ。その為に必要だから話すのだ。会社、防衛団、貴族と、多くの縁と手助けを受けてこの機会を貰ったんだぞ。――その気持ちだけに集中し、腹の底から言葉を押し出す。



「私は、とある貴族の一家の恨みを買ってしまいました。その禍根かこんの後始末を……たっ……たすけ……て、頂けないかと……思っております。……背景を簡易的にご説明させて頂きますが、発端は約……もう四年前か――に遡りますので、少々お時間を頂戴すると思います」



 目に見えて余裕のない俺を茶化す人はいなかった。『そういう』病気だという前提の理解が救いになったのだろうか? 分からないが、頷く一同が俺に向けた眼差しは真剣で優しい。その反応に多少の安心感を貰い、深いため息の後、話し出した。




 ウッズと敵対した背景と理由。周囲の人間を巻き込みながら徹底的に潰された経緯と加害の一例。俺をロハから追放した今も攻撃を続けようとする、彼の異常な執着。金や権力を利用されれば何が敵になるか分からない現状。先日の事件において被った防衛団関連の不利益にも、エバッソさんに忖度しつつ触れた。


 客観的に事実だけを話すように努めた。だがそれでも、話が進むにつれてその場の全員の顔色が変わっていった。他人から見ても酷い話なのだと再認識し、複雑な苦い感情が湧いた。




「――これはあくまで同僚同士、個人間のいさかいであり、私が兵団を抜け、更に故郷を出た事で終わった話と認識しておりました。しかしどうやら、ウッズ・タオ氏にとってはそうではない」


 拳を握り、強すぎる自責に耐える。


「身から出た錆です。私が死ねば終わる話なのです。……しかし……悲しんでくれてしまう仲間がいるので、今は出来ません。そして、そんな仲間達に悪影響が及ぶ事を思うと、私にはあまりに耐え難い」


 ロデュセン家の面々の真剣な眼差しを順に見つめ返す。


「事実無根の噂と敵対勢力の増加に抗うため、貴族のコミュニティ内に味方が欲しいのです。私と彼の確執を中立で理解し、行き過ぎた加害を防いで頂けませんでしょうか……」



 俺のせいだが、場の空気は重たい。それに呑まれず泰然たいぜんと話し始めたのはゼアナクス様だ。


「要望に応える事は極めて容易だと考える。だが話を聞く限り、ウッズ氏の脅威に備えるには不充分ではないかと指摘せざるを得ない」


「はは……不充分、ですか。ですよね」


 自嘲的な笑いの後、話の締めを素直な形に直した。


「――正直、もうどうしたら良いのか分からないのです。貴族の味方が必要だと感じているのは事実ですが、その後は無策です……」


 俺の声は低くしぼんだが、ゼアナクス様は美しい微笑みと理知的な返事をくれた。


「構わないよ。無策であるという事も重要な情報開示だ。課題の共有が成された今、対応策を議題に挙げ、この場の全員で考える事が出来る。……ルークさんが傷を曝して見せてくれた痛みを、有益に活用しよう」


 伏せていた目線を上げたら、彼と目が合った。淡白な印象の澄んだ目元。そこに滲んだ仄かな熱が、どうしようもなく俺を励ます。傷に寄り添い、共に策を練ろうと言ったこの人を、信用したいと思ってしまう。


 嬉しい。なのに、とてつもなく怖い。これは、どういう心境なんだろう――。自分の事なのに、よく分からなかった。


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