第7話 王女様の気になる存在

 私は自室に戻り座り心地のいいソファに腰掛けると、メイドが紅茶と焼き菓子をテーブルに用意してくれた。

 兄との面談の後、私の気分は優れないままだ。

「クリス王子・・手ごわい男だな・・」

私は王子の、寝衣から覗いていた両手の魔紋を思い返していた。

 王子の両腕の血管に沿ったような黒い筋、周囲の皮膚も細胞が侵されたように暗紫色になっていた。あれは、身体を流れる魔素が濃くなったため流れが悪くなり現れる症状。

 私の母もそうだった。

 今まで治療法が確立されていない難病。

 私は、母が亡き後も密かに治療法を画策し、その甲斐あって数年前、独自に治療法を確立した。

 我が国で同症状が出ていた数人の平民を治療してみたが、全員完治させることができた。

 あの王子の体調不良の原因が魔素のよどみだけなら、治療する事は可能だろう。

 魔紋の様子から、かなりギリギリの状態である事は間違いない、治療は急いだ方がよさそうだが・・。

 私は、ソファの背もたれに背中を預けると、足を組んだ。

 高くそびえる白い天井を見つめる。

 備え付けの美しいシャンデリアを見つめながら、その細かい細工に、腕のいい業者がいるのだな・・・などと、ぼーっと考える。

 ・・まあ、第一王子がいなくなってもルナがいる。

 ルナは私に好感を持っている様だし・・・

 この国とつながりが持てるなら、あのうさん臭い兄より、ルナの方がある意味扱いやすいだろう―――。

 だが、

(・・・ルナは、兄が死んだらどれほどのショックを受けるだろう・・・・)

 私はふと、祭りの日、嬉しそうに兄の好きな飴を買うルナの姿を思い出し、胸が痛んだ。

(そんな事、私にはどうでもいいことだ。ここには政治的な事で訪れている。

・・だが・・)

私は、大きくため息をついた。

『ルナに近づくな』

 私は兄の言葉を思い出す。

(確かにな・・・

 ルナは、私と関わるとろくなことがなさそうだ・・)

「・・・・・」

 私は考えるのをやめ、メイドの入れてくれたフルーティーな香りの紅茶に手を伸ばそうとして、

・・手を止めた。

 不思議そうにこちらを見ているメイドに、声をかける。

「・・ルナ王子は、今は何をしている時間なのかしら?」

「はい、王子様は今は勉学の時間ですね。

 図書館におられるかと思います」

「・・案内してもらえる?

 今、すぐに」

「か、かしこまりました・・!」

 私はソファから立ち上がると、

「・・・兄を動かすには、ルナの協力が必要不可欠・・か」

 私は無意識に、ルナにとっての最善の選択を考えるようになっていた・・。


 メイドの案内で図書室への道のりを歩く。

 美しい装飾品が上品に飾られた広い廊下を歩いていると、ふと、大きな肖像画が目に入った。

「これは・・・?」

 若い男女と、乳児と思われる、三人の肖像画だった。

 絵画自体はかなり古い物らしく、所々の色彩が変色している。

 妻と子供は淡い紫色の瞳をしており、国王とクリス王子の瞳の色と同じだ。

「この国の王子イグニス様の肖像画です。

 奥様は他国から嫁いで来られた方で、聖女ステルラ様です。

 イグニス様は、我が国の歴代貴族様の中でも稀に見る大変魔力が強いお方で、その証の琥珀色の瞳をお持ちだったそうです。・・もう、1000年ほど前になるかと」

 夫と思われる男性は、ルナの同じ琥珀色の瞳をしており、優しそうな整った顔立ちをしている。

 夫と妻は腕に抱いた乳児を優しい表情で見つめ、二人の仲睦まじさを垣間見る事ができるものだった。

 「琥珀色の瞳を持は珍しい事なのね・・。

 じゃあ、ルナ王子も相当魔力が強いという事なのかしら?」

「ルナ王子様が魔法を使われる所は見たことがないので何とも・・・申し訳ございません。」

「いいわ、ありがとう。それより・・・」

 気になるのは、絵画のステルラ王子の顔から身体半分にかけて、黒く焼けこげている事だ・・。

「こんな状態の絵画を、修復もせずに飾っているのは何か意味があるのかしら?

 王子の身体が・・炎に焼かれたような状態だけど・・」

「?炎・・ですか?」

 メイドはキョトンと首をかしげる。

 絵画に対して何も違和感を感じていない様子だった。

「・・あ、王女様、こちらが図書館になります。」

 メイドは図書館までの案内を終えると、深くお辞儀をしてその場を離れて行った。

(メイドの様子も気になるが、また後で聞いてみるとして・・

 今はルナだな・・)

 王宮図書館には沢山の書物が並び、その中におちついた雰囲気の美しい装飾の広い部屋がある。

 長椅子とテーブルが所々に置かれていて、その内の一つにルナの姿があった。

 傍には、家庭教師らしき人物が立っている。

 ルナは姿勢正しく、真剣な表情で先生の話を聞き、重要な箇所などを書き留めている。

「・・・熱心だな・・」

 頑張っているルナの横顔は、少し大人びて見えた。

 私は邪魔にならない程度に声が届く所まで近づく。

「ルナ王子、今日はここまでにしましょう」

 家庭教師らしき人物は、持っていた厚めの本を静かに閉じると、穏やかに微笑んだ。

「え・・でも、この他国の歴史の分野は・・・」

 ルナは、教科書から視線を教師の方に向けると、懇願するように問いかける。

「それはルナ王子が学ばなくて大丈夫な範囲です。

 他国との国交は国王様と第一王子のお仕事ですから。

 ・・では、次の音楽の授業まで休憩にしましょう」

「・・はい、ありがとうございました・・・」

 ルナは寂しそうに俯いて、先生に会釈した。

 家庭教師が立ち去るのを確認すると、私もその場を後にしようとした。

(・・話はまた今度の方がいいか・・・)

 見ると、ルナは途端に姿勢を崩し、大きなため息をつきながら、そのまま開かれた本のページに顔をうずめた。

「・・はあ~~~・・」

 その様子が気になり、私はつい声をかけてしまった。

「・・どうした、勉強は苦手か?」

「えっ?!」

 がばっと起き上がり、驚いた表情でこちらを見る。

 ルナは、マリアの姿を確認すると顔を赤らめた。

 気を緩めただらしない恰好を見られて恥ずかしかったらしい。

(声をかけるタイミングが悪かったか・・)

「に・・苦手じゃないよ?」

 マリアは苦笑しながら、

「なんの勉強をしていたんだ?」

 ちらりと手元の本を覗き込んだ。

「えっと、歴史の勉強・・嫌いじゃないんだけど・・・。

 もっと、他国の事も知りたいのに・・僕には必要ないって、あんまり教えてもらえないんだ」

「・・?そうなのか」

 王族なら、他国との貿易など付き合いもあるし、大事だと思うが・・。

 特に、この国は周りの三国の中心にある。

 貿易や争いの仲裁など、難しい立場にあると思うが・・・。

「うん・・僕は、他国との外交に関わりを持つことがないから・・・」

 そういえば、私もこの国に第二王子がいる事を知ったのはここにきてからだ。

 国内で邪険に扱われているようでもないし・・逆に、ルナが他国に出る事がないように、興味を持たないように対応しているように見える。

 私は、ルナの隣の椅子を引いて腰掛ける。

「・・私が知ってる範囲でなら、話してやろうか?」

「えっ?・・・いいの?」

 ルナは驚いた表情で、大きな瞳で私を見つめる。

「行ってみたい国、知りたい事、沢山あるんだ・・!

 もちろん、マリアの生まれ育った国もすっごく興味ある!

 剣術大会とか、すごいんだよね??」

 ルナは待ちきれないように矢継ぎ早に言葉を連ねる。

「よく知っているな。

 いつでもくればいい、色んな所を案内してやる」

「本当に!?・・・あ、うん・・でも・・・僕・・」

 ルナは今までのワクワクした表情から一遍して、急に表情に影を落とす。

 そういえば・・国を出る事が出来ないとか言っていたな・・・。

「・・詳しいことは知らないが・・・」

 私はルナの顎に指をかけると、優しく自分の方に向かせた。

 ルナは驚きを隠せず頬を赤らめ、透明感のあるその琥珀色の瞳で私を真っすぐ見つめる。

「え・・・?」

 次の瞬間、私は、ルナの額を思いっきり指で弾いた。

「痛い!!な、何を―――!」

 ルナは額を両手で押さえ、痛みで涙目になりながら抗議してくる。

「情けない顔をしているからだ」

「な・・・!」

「いつも笑ってろ。私はお前の笑顔が好きなんだ」

「えっ?」

 ルナは想像を外れた私の言葉に、今までの不機嫌な表情から一変し、頬を赤らめた。

「私は、ルナがずっと笑顔でいられるなら何でも協力してやりたいと思ってる。

 だが、自分自身があきらめていたら何も始まらないだろう?」

「・・だ・・だけど・・・どうしようもできない事だから・・・!」

 私はもう一度ルナの額に指を近づける。

 ルナは反射的に両手で自分の額を守った。

「マ・・マリアは僕の事、何も知らないから・・!!」

 私はルナから指を離すと、

「お前の兄の体調不良の原因は分かった。早急に治療をすすめていく予定だ。」

「えっ?!」

 ルナは信じられないという表情で、

「兄様の病気が・・!!ほ、ほんと・・に・・?」

 わずかに唇を震わせながら、私に詰め寄る。

「ああ。ルナからも兄に治療を受けるように言ってやってほしい。

 兄の治療が終わったら、次はお前の抱えている問題も解決できるように手助けをしてやる。」

 この時の私は、ルナに少しの希望を持たせてやれたらいい、そう軽く思っていた。

「マリア・・!」

 ルナは瞳を潤ませ、

「ありがとう・・!マリア!兄さまの病気、治療法があるんだね・・!

 今までどんな医師にお願いしても、原因もよくわからなくて・・!」

 ルナは私の両手を握り、溢れそうな笑顔を浮かべると、疑う事なく感謝の言葉を述べる。

 私は、そんなルナの笑顔に一瞬胸の奥が熱くなった。

「・・っ、・・たまたま身近な人間が同じ病にかかっていてな・・・。

 ずっと治療法を模索していて、数年前に確立されたんだ。

 だが、お前の兄は私の国の治療法を不安に感じている様だ。

 ・・ルナからも、治療するよう兄に頼んで貰えないか?」

 私の母の時にはなかった治療法。

 母は救えなかったが、ルナの家族は救う事ができる。

 ・・この愛らしい笑顔を、守る事ができるだろう。

「うん、うん・・・!

 僕、今から兄様の所に行ってお願いしてみる!

 マリア・・・兄様の事、どうかよろしくお願いします!」

 ルナは深々とお辞儀をすると、再び私に向き直った。

「・・自分自身の事も・・・あきらめずに、何か方法がないかもう一度調べてみる。解決したら、マリアの国に行ってみたい・・!」

「その意気だ」

 ルナは駆け足で図書室を後にした。

 兄の元へ、私の治療を受けるよう懇願しに行ったのだろう。

「ルナは本当に何も疑わないんだな。

 だが、これでいい・・・。

 兄の治療が終われば、婚姻も、国の繁栄もこちらの思惑どおり・・・」


『そう、上手くいくといいのですが?』

兄の言葉が再び蘇る。

いや、ただの負け惜しみだろう?


・・この時の軽はずみな発言を、私はいずれ深く後悔することになる・・。




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