ケモノジジイ

 それから三日後……。

 おれは、迎えに来たカズと共に、舞さんから切り火を受けていた。


「それじゃあ……。

 絶対に、無事で帰ってきてね」


 火打ち石を収めた舞さんが、そう言って、心底から心配そうな眼差しをおれに向けてくる。

 三日前、深部探索の件を切り出した時には、随分と複雑そうな舞さんだったが……。

 最終的には組のためと納得し、こうしておれたちを送り出してくれているのであった。


「心配いりません!

 ギンのアニキは、オレが命に変えても地上に返しますから!」


 ガッツポーズなどしつつ、安請け合いをするのが隣のカズである。

 本来、こいつは居残り組に加わるはずだったのだが……。

 おれの知らないところでカシラに何度も嘆願したらしく、気付いた時には、深部探索班へと加えられていたのだ。

 おれを慕ってくれるのは嬉しいが、あまり気負い過ぎないでもらいたいな。


「カズさんは、今いち頼りにならないからなあ……」


「そんなあ!?」


 舞さんに言われ、カズがショックを受けた様子となった。

 下らないといえば、下らないやり取り……。

 だが、それはかえって、おれの気を引き締めてくれる。


「必ず、とは、言いません。

 そんな大口が叩ける場所へ赴くわけじゃないことくらい、分かっているつもりです。

 でも……。

 帰ってきます」


 舞さんの目を見つめて、真っ直ぐに言い放つ。

 どうやら、それで多少は心配が晴れたようだった。


「うん……。

 ちゃんと、帰ってきてね。

 それと、地上に戻ったら連絡して。

 そしたら、煮っころがし作って待ってるから」


「煮っころがしか。

 それなら、ますます無事に帰らないといけませんね」


 レシピそのものは知っているはずだが……。

 アニキ夫妻――すなわち両親を失ってから、彼女が母の得意料理を作ったことはない。

 それを作って待っていてくれるという心遣いが、何よりも嬉しく感じられる。


「それじゃあ、行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 舞さんに見送られ……。

 おれたちは、この世で最大の危険地帯――迷宮深部の探索へと出発したのであった。




--




 体は、明らかに――獅子。

 しかし、尾はサソリのそれが巨大化したような代物であり、先端部からは猛毒と思わしき液体が滴っている。

 背部には、体躯と不釣り合いな小ささのコウモリじみた翼が備わっており……。

 何より異様なのは、頭部が……痩せ細った人間の老爺そのものな点であった。


 ――ケモノジジイ。


 それが、先に錦糸堀迷宮を探索した先達の付けた名前である。

 そして、こいつに出くわしたということは、迷宮内で比較的安全な入り口付近部を抜けたということであった。


「気い張っていけよ! ギン!」


「おお!」


 おれが新たに背負った仙墨――リュー。

 こいつが、どれほどの力を持っているのかは、まだ知らない。

 しかし、今がそれを発揮するべき時であることは、疑う余地もない。


 ――キイイイィィン!


 頭の奥底から、耳鳴りが響き……。

 同時に、この背がマグマのような熱を帯びる。

 だが、あえてそこまでで踏み留まり、オーラを出すまでには至らない。

 深部の探索は、長期戦だ。

 いちいち全力を出して、消耗する愚は避けなければならなかった。

 また、そこまでの全力を出さずとも、対処できる相手であると、おれの本能……あるいは、背中のリューが悟っていたのだ。


「――――――ッ!」


 老爺の頭部を宿したケモノジジイであるが、口から発される声は獣のそれである。

 雄叫びを放ちながら繰り出してくるのは、最大の武器である巨大な毒の尾……。

 そこに備わった毒針を、突き刺そうとしてくるのだ。


「――ふっ!」


 おれはそれを、落ち着いた呼吸で見切り、最小限の動きで回避した。

 このような攻撃は、ヨネクイ相手の戦いで慣れている。

 いや、かつては仙墨の力が足りておらず、ろくに見切ることもできていなかったのだが……。

 力が備わった今となっては、経験が経験として活きてくれているのであった。


 そのヨネクイは、三本の尾で拾った木の枝を槍のように用いてくる魔物だ。

 つまり、目の前にいるケモノジジイは、一撃の殺傷力こそ高まっているものの、攻撃の手数という点で劣るということ……。

 今のおれにとって、恐れる必要のある相手では――ない。


「うおりゃあ!」


 回避した尾を潜り抜けるようにして接近し、老爺めいた顔面に拳を叩き込む。

 頭蓋を陥没させ、致命傷を与えた手応えが拳を痺れさせた。


 ――いける。


 確かに、おれの力は通用している。


「新手がきたぞ!」


 勝利の余韻に、浸っている暇はない。

 仲間の一人が叫んだのと、同時……。

 周囲の樹木から、複数のケモノジジイが姿を現わしてきたのだ。


 ――使ってみるか。


 ここでおれは、初めて新たな得物の使用を決断する。

 腰から引き抜いたのは――ドス。

 ただし、一般的な鉄を用いたそれではない。

 カシラが用いている長ドスと同じく、迷宮鋼と呼ばれる素材を鍛え上げた刃物であった。


 迷宮鋼は、『洞』の迷宮で産出される金属であり……。

 その粘りと硬度は、玉鋼など比較にならない。

 今回の探索に際し、カシラが用意してくれた新装備だ。


「さあ、こい……」


 つぶやきながら、三匹ばかりのケモノジジイと対峙する。

 数が増えたところで、最大の武器は変わらないということだろう。

 三匹が三匹とも繰り出してきたのは、やはり、尾による刺突だ。


「――しっ!」


 真っ直ぐに、ただおれを突き刺そうとする攻撃……。

 数が三つに増えたところで、見切ることはわけがない。

 ただし、今度はただ回避するだけではない。

 いずれか一匹を仕留めようとする際、残る二匹に突き刺されてしまっては、たまらないからだ。

 だから、今度おれが行うのは――カウンター。

 三つの尾に対し、それぞれ先端部を切り裂くべくドスを振るったのである。


 ――サン!


 返ってきたのは、驚くほどに軽い手応え。

 まるで、画用紙をカッターナイフで切り裂いた時のように……。

 あっさりと、ケモノジジイの尾が両断されていた。


「……すげえ」


 その切れ味に、思わずつぶやいてしまう。

 これが、迷宮鋼を用いた刃の切れ味……。

 今まで使っていた自作の釘バットなど、これに比べれば子供のおもちゃだ。


 感心しながらも、立て続けに残る二匹の尾を切り落とす。

 それでも、闘争心は衰えないということだろう。

 ケモノジジイたちは、残る獅子の爪をもって襲いかかってきたが、さらにリーチの短くなった攻撃など、恐るるに足らない。

 おれはそれらの攻撃を、冷静に回避しつつ……。

 返す刃で、なますのように切り刻んでいった。


「あ、アニキ!」


 振り向けば、カズの声。

 彼は、消防士が用いるような斧を手に、一匹のケモノジジイと対峙している。

 だが、どうにも尾による攻撃を見切り切れないようで、リーチのギリギリ外側から引いた腰で斧を構えるのみだ。


 なんだか、どこかで見たような光景だな……。

 苦笑いを浮かべながら――跳躍する。

 ひと息で距離を詰めるおれに気づいたか、ケモノジジイの尾がまたも振るわれた。


 逃げ場のない空中……。

 ならば、受け止めればいいだけのこと!


「――おりゃあ!」


 先端の毒針へ触れないよう注意しながら、右手で尾を受け止める。

 そして、地面へ降り立つと同時に、左手のドスを振るった。

 相手の尾は、それで切断され……。

 ケモノジジイは、飛べない翼と人間の頭部を備えた貧弱な獅子と化す。


「アニキ!」


「カズ! 一緒に仕留めるぞ!」


 かつて、おれ自身が誰かにかけてもらいたかった言葉……。

 それを、今、弟分に投げかける。


「……はい!」


 カズは、力強い返事で答え……。

 おれの援護こそあったものの、見事にケモノジジイを仕留めたのだった。

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