アニキ

「ご心配おかけして、本っ当に申し訳ありませんでした!」


 オヤジの屋敷へ戻るや否や、まず真っ先におれが行ったのは、舞さんたちへの土下座であった。

 特に、介護ヘルパーの山下さんには申し訳ない。

 ご家族もおられるというのに、おれのせいで、長々と残業させてしまったからな。


「まあ、まあ。

 喧嘩したそうですけど、大した怪我じゃなさそうでよかったわ。

 それじゃ、あたしはお暇しますね」


 そう言って、山下さんがいそいそと帰宅し……。

 茶の間へ残されたのは、おれと……ちゃぶ台を挟んで向き合うオヤジと舞さん。

 そして、何故かおれと一緒に頭を下げているカズの四人となる。


「もう、本当に心配したんだからね。

 昨日のことがあったから、今度はギンさんが襲われたのかもって」


 ぷんすかと怒った様子を見せつつ……。

 一抹の安堵を交えて、舞さんが答えた。


「お祖父ちゃんも、何か言ってやって」


「あー……。

 はじめまして。

 よく分からんが、人を心配させるのはよくねえぞ」


 おれのことが認識できない認知症の症状を見せながらも、オヤジがそのような言葉をくれる。

 彼の名誉を守るためとはいえ、だ。

 このように心配をかけさせてしまったのは、やはり浅慮であったという他にないだろう。

 あらためて、反省しなくては。


「ですが、ギンのアニキは、オヤジの名誉を守るために戦ったんです! 」


 当の本人であるおれが猛省しているというのに、何故かカズが力説を始めた。


「相手の連中、オヤジのことを悪く言いやがって……。

 そこへ、アニキは颯爽と立ち上がって、相手の連中をバッタバッタとなぎ倒したんです!

 オレも、遅ればせながら混ざったんですけど……。

 へへ、アニキみたいにはいかず、何発かいいの貰っちまいました」


 そう言うカズの顔は、打撲による腫れやすり傷が目立つ。

 怪我の手当てもあるから、おれ一人でいいと言ったところを、絶対について行くと言って譲らなかったのだ。

 というか、おれがアニキって……急にどうした?


「オレ、その背中を見て、気づいたんです!

 本物って、こういうのなんだな……て。

 これからは、オヤジを支えるアニキのことを、オレが支えるようにします!」


「いや、急にそんなこと言われても……」


 突然の決意表明にうろたえるおれであるが、それをよそに、舞さんはパアッと明るい笑顔を見せる。

 そして、手を打つとこう言ったのだ。


「すごい! ギンさんもついに弟分ができたんだ!

 これも、仙墨がリューちゃんに進化したおかげだね!」


「いや、弟分って、おれは認めたわけじゃ……」


「ええ!? 駄目なんですか!?」


 ショックを受けた様子のカズ。

 そんな彼に、おれはゆっくりと語る。


「大体、おれとお前は同じ末端の構成員じゃないか。

 アニキと慕ってくれたところで、小遣いのひとつも渡せないよ」


「立場とか小遣いとか、そんなの関係ありません。

 オレが、勝手にアニキのことを尊敬してるんですから!」


「そう言われてもなあ……」


「なあ、おい」


 押し問答を制したのは、意外な人物……。

 すなわち、呆けた様子でいたオヤジだ。


「アニキだのなんだのってのは、慕われる側が決めることじゃねえ。

 そこの小僧が言っている通り、勝手にそう呼んでまとわりつくだけだ。

 そうなった以上は、慕われるのに恥じないよう努力するしかねえ。

 それが、極道ってもんだ」


「オヤジ……」


「お祖父ちゃん……」


 久方ぶりに、正気の光を宿しての言葉……。

 それにおれは、何も言い返せない。


「……承知しました」


 ただ、深々とお辞儀してそう答えるのみである。

 偉大な侠客の教えを、無視できるこの俺ではなかった。


「へへ、じゃあ、決まりっすね!」


 一方、カズのみは調子よく鼻の下をかく。

 はは、手を焼かされそうだよ。


「そうだ!

 兄貴分になったギンさんに、プレゼントがあるの!」


 舞さんが、またも手を打ちながらそう言い出す。

 この様子を見ると、どうやら怒りはもう消えているようだが……。

 はて、プレゼント?

 嬉しいとか嬉しくないとかいう以前に、そんなの買う暇あっただろうか?


「ちょっと待ってて」


 そう言って、舞さんが一時姿を消す。

 そして、五分ほど経つと茶の間へ舞い戻ってきたのだが、その手にしていたのは……。


「それ、兄貴の……」


「うん、お父さんのスーツ。

 仕舞っているよりは、誰かが着た方がスーツも嬉しいかなって」


 舞さんが手にしていたのは、ハンガーへ吊るされてビニールがかけられた純白のスーツだった。


「これだけじゃないよ」


 スーツを渡した舞さんが、再び姿を消し……。

 今度は、ワインレッドのシャツや、ブランド物の腕時計を持って現れる。


「これで、お父さんお気に入りの服一式。

 ねえ、着てみてよ?」


「ですが……」


 逡巡して、渡されたスーツを見た。

 鉄平の兄貴が着ていたスーツ……。

 とてもじゃないが、今のおれにまとう格があるとは思えない。


「駄目え?」


 しかし、これは……反則だ。

 舞さんに、下から覗き見られるようにおねだりされては、断れるはずもないのである。


「……承知しました。

 隣の部屋、お借りします」


 そう言って、おれはしばし姿を消し……。

 着替えて、また茶の間へと舞い戻った。


「わあ……!

 思った通り、ぴったり!」


 舞さんが、きらきらとした眼差しでおれの姿を見る。


「アニキ! 男前です!」


 ついでに、カズも調子よくおれを褒め称えた。


「そう……かな」


 自分の姿を、まじまじと見る。

 兄貴が遺したスーツは、なるほど……直しも入れて無いというのに、ぴったりとおれの体に合った。

 心が研ぎ澄まされるような感覚になったのは、今まで安物のジャージで済ませてきたから、というだけではないだろう。

 これを着ている間……いや、そうじゃない時もか。

 おれは、一人のヤクザとして、恥ずかしくない働きをしなければならないのだ。


「舞さん……。

 オヤジ……。

 このスーツに恥じないよう、ますます組のために働きます」


 二人に向かって、頭を下げる。

 このようなものをおれに託してくれた、その心遣いが嬉しかった。

 と、オヤジが口を開いたのは、その時だ。


「そんなことよりよお……。

 おれは、腹が減っちまったよ」


 そのひと言で……。

 弛緩した空気が、室内に流れ出す。


「そうだね。

 お夕飯にしよっか。

 残り物の野菜と冷凍のこま肉があるから、簡単に野菜炒めにしよう。

 カズさんも、食べるよね?」


「是非! ご一緒させて下さい!」


 立ち上がる舞さんに、またも調子よくカズが答える。


「カズ。

 それなら、舞さんのお手伝いだ。

 おれは、オヤジの面倒を見る」


 そんな彼に、おれは兄貴分として最初の教えを授けたのだった。

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