リューちゃん

「もう、落ち着きましたか?」


「う、うん……大丈夫。

 ごめんね。

 恥ずかしいとこ見せちゃって」


 あれからしばらく、舞さんはおれに抱きついて、わあわあと泣きじゃくっていたが……。

 ようやく落ち着いたのか、今は身を離し、赤面しながら涙をぬぐっていた。


「あんな怖い目にあったんですから、当然のことです。

 それより、きちんと守ることができなくて、申し訳ありまでんでした……!」


 膝を下り、舞さんに向かって頭を下げる。

 本当に、どうにかなったから、よかったものの……。

 もし、彼女に何かあったなら、おれはあの世で、アニキたちにどう詫びればよかったのだろうか。


「それにしても、今の力は一体……」


 戦いの興奮が冷めると、気になってくるのはそのことだ。


「なんか、筋肉が膨らんでやがる……。

 力もみなぎってるし、別人に生まれ変わった……。

 いや、今までが死んでたような気分だ」


 腕も足も、何となく興奮して脱ぐことで露わとなった上半身も……。

 全てが、これまでとは――別人。

 まるで、パーソナルトレーニングジムの広告写真か何かのような、そんな変わりぶりである。


 いや、マッチョな男に憧れていたから、嬉しくはある。

 嬉しくはあるのだが……。

 自分の体が急にこんなことになったのだから、困惑と怖さが増した。

 というか、大丈夫なんだろうか? これ?

 おれ、次の瞬間には吐血して死んだりしないよな?


「ギンさん、気づいてないの?」


 混乱しながら自分の体を見回すおれに、舞さんがそう言ってくる。

 その顔は、どこか晴れ晴れとしていて、まるで……そう。

 彼女が高校の入試に受かった、あの時みたいだ。


「気づくって、何にです?」


「あー……。

 まあ、自分じゃ分からないよね。

 ちょっと待ってて」


 スマホを手にした舞さんが、おれの後ろへと回り込む。

 そして、パシャリパシャリと、何枚かの写真を撮っていた。


「あの、なんで自撮りもしているんですか?」


「いーの、いーの。

 これは、記念写真なんだから」


 首だけで振り向くと、スマホに向けてピースした舞さんがそう答える。

 ひとしきり写真を撮って、満足したのか……。


「はい、これ見て」


 舞さんが、スマホの画面を見せてくれた。


「これは……」


 おれは、映されたものを見て、驚愕したのする。

 ピースする舞さんの背後に映っているもの……。

 それは、おれの仙墨だ。

 だが、あの色も何も無い痩せた鯉は、どこに行ってしまったのか……。

 代わって、宝玉を手にする白銀の龍が……。

 白銀の龍が……。

 龍が……。


 えっと……なんだろうこれ。

 なんか、舞さんに合わせてピースしていた。

 しかも、普通のピースサインではない。

 手を逆さにして繰り出すそれ――いわゆるギャルピだ。


「すごいよね。ギンさんの新しい仙墨。

 お祖父ちゃんのと同じで、自分の意思があるみたいだよ」


「どうも……そうらしいですね。

 仙墨の中でも、特に力のあるものは自分の意思で動きますが……にしても、ノリがいいな。

 ……え?

 ちょっと待って下さい。

 これ、おれの仙墨が変化したってことですか?

 あのしょぼい鯉が、こんな銀ピカの龍に……。

 ――あ、痛たたたっ!」


 何か背中に鋭い痛みが走ったので痛がると、舞さんがおれの後ろへ回り込む。


「あ、なんか怒ってる。

 多分だけど、『しょぼいとは何事だ!』って、言いたいんじゃないかな?」


 感情表現旺盛だな、おい……。

 しかし、そうなると、本当にあの鯉が龍になったのか……。


「わ、悪かったからやめてくれ!

 ああ! 嬉しいよ!

 迷宮でどんなに化け物を倒したって、筋トレとかしてみたって、今の今まで全然育たなかった仙墨が、こうも立派になったんだからさ!」


 懇願するように叫ぶ。

 それで、ようやく痛みは収まった。

 ……ところでだけど、どうやって痛くしたりしてるんだろう?


「腕組みしながらうんうんってうなずいてる。

 『分かればよろしい』って、言いたいみたい」


「おれの背中を間借りしてるのに、やたらと態度がでかいな……。

 ――あ痛たたたっ!

 分かったからやめてくれ!」


 なんだろう。

 ど根性〇エルの主人公って、こんな感じの気分なんだろうか? あっちと違って、こちらは背中だけど。

 まさかとは思うが、ご飯を食べさせるよう要求してきたりはしないだろうな?


「ふふふっ……」


 おれと仙墨とのやり取りを見て、舞さんが口元を抑える。まあ、逆の立場なら、おれだって笑う。


「とにかく、今日はギンさんとリューちゃんに助けられちゃったね」


「リュー……。

 こいつの名前ですか?」


 おれの背――リューを見つめる舞さんへ、背中越しに尋ねた。


「うん。

 仙墨へ名前をつけるなんて聞いたことないけど、でも、これだけ感情表現豊かなんだもの。

 ちゃんと名前をつけてあげなきゃ、かわいそうじゃない?」


「まあ、舞さんがそう仰るなら……。

 おい、お前はそれで満足なのか?」


「嬉しいみたいだよ。

 サムズアップしてるし」


 サムズアップ……。

 見た目はあんなに凶悪な龍なのに、妙に親しみやすいやつだ。

 というか、ノリが軽い。


「ようし!

 それじゃあ、今日はお祝いしないとね!」


 パチンと手を合わせ、舞さんが宣言する。


「お祝いって……今からですか?」


「そうよ。

 いいお肉買って、すき焼きにしましょ。

 よく分からないけど、ギンさんの仙墨が進化……そう、進化よね。

 進化してリューちゃんになったんだから、豪勢にやらないと!」


「ですが、襲われたばかりですし……」


「だからこそ、だよ。

 返り討ちにあったばかりなんだから、また襲いかかってこようとは思わないでしょ?

 それに、こっちにはギンさんとリューちゃんがいるし。

 ……ほら、リューちゃんが任せとけって胸を叩いてる」


 そうか、胸を叩いているのか……。

 急に力を得て調子に乗るのはいいが、程々にして頂きたいところであった。

 結局、般若の面を被ったあの男……。

 おそらく、襲撃者たちの親玉だろうあいつは、取り逃がしてしまっているのである。


 いや、それだけじゃない。

 時間稼ぎに徹していたというのもあるだろうが、奴は明らかに本気じゃなかった。


 もし、奴もその気になり、オーラをまとっていたなら……。

 にわかに力を得たばかりのおれで、勝てたかどうかは判断がつかない。


 でもまあ、あまりネガティブに考えても仕方がないといえば、仕方がないのか。

 逆にいうと、冷静に彼我の力量を計れるくらいの力が、今のおれには宿ったのだ。

 つい先ほどまでのおれなら、それをすることすら不可能だったのだから。


「そう……ですね。

 お祝いして頂けるというのなら、光栄です」


「なら、決まりだね!

 お祖父ちゃんも、その背中を見せたら元気になるんじゃないかな!」


「はは……!

 そうだといいんですが」


 もし、そうなら最高である。

 おれは、いそいそと脱ぎ捨てたジャージを羽織り直した。


「えー! 着ちゃうの?」


「さすがに、半裸では出歩けませんので」


 いかに舞さんが残念がろうと、断固として服は着る。

 そして、二人でスーパーへの道を再び歩み始めた。


「そういえば、頭の傷は大丈夫なの?」


「こんなもん、すき焼き食べれば治りますよ」


 道中、当たり前のように答えられたのが、少しばかり嬉しい。

 そうだ……。

 おれは、こんな傷など問題とならない力を、手に入れたのだ。


 残念ながら、この背中を見せても、オヤジが正気に戻るようなことはなかったが……。

 すき焼きは、おれの介護を受けながら実に美味しそうに食べていたし、おれにとっても、本当に美味しい晩ご飯だった。

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