極道の娘といえど、しょせんは十六歳の高校生。

 豊田舞にとって、争い事などというのは無縁の世界である。

 ともすれば、ヤクザにとって欠かせぬ稼業である迷宮探索ですら、どこか遠い世界で行われている出来事のように感じられているのだ。

 だが、今、自分を路地裏に引きずり込んだ手の力強さは、紛れもない現実であり……。


「――きゃっ!」


 乱暴に地面へ叩きつけられた舞は、目出し帽を被った三人ばかりの男から見下ろされることとなったのである。


「あっちは片付きました」


「威勢だけはいいやつだったぜ」


 しかも、すぐに路地裏の入り口から、新手の男たちが姿を現したのだ。

 いや、これを新手というのは、正確ではない。

 よく見れば、彼らは最初に姿を現した男たちであった。


 だとすれば、その前に立ちはだかったはずの銀次は……。

 しかも、彼らは片付いたと言っているではないか。


「はっ……。

 はっ……」


 歯の根が合わないとは、まさにこのこと。

 舞は、地面にしゃがみ込みながら、荒く息を吐き出すことしかできない。


「さて……どうするよ?」


「こんだけ可愛い子だと、ひと思いにやっちまうのは、もったいねえよなあ?」


 男たちが、目出し帽越しでもそれと分かる下卑た眼差しを向けてくる。


「……っ!」


 涙目となりながらも、歯を食いしばって睨みつけることができたのは、亡き両親の魂を受け継いだからに違いない。

 だが、舞が見せるそのような態度は、かえって男たちの欲情を駆り立てたようだ。


「へへ……」


「くっく……」


 何ともいえぬ気味の悪い声で、男たちが笑った。

 それを制したのは、おそらくリーダー格なのだろう男である。


「馬鹿なことを言ってるんじゃねえ。

 ……手早く、片付けるぞ」


 そいつの視線に、薄気味悪い欲望は存在しない。

 ただ……ぞっとするくらいに冷たい。

 そして、この男のみは、他と違い折り畳み式のナイフを手にしているのだ。


 普段、包丁を手にしている時は何とも思わないが……。

 こうして自分に向けられると、刃物というものの何と恐ろしいことだろう。

 刃の輝きが、心臓を萎縮させるのが感じられた。


「じゃあな。

 恨むんなら、自分の生まれを恨むんだな」


 あまりに理不尽なことを言いながら、男がナイフを振り上げる。

 しかし、それが振り下ろされることはない。

 それよりも早く……どこかから投げられた植木鉢が、男の頭に直撃したからであった。


「――ぐおっ!?」


 並の人間なら、死ぬか気絶するかはしてもおかしくない一撃。

 それで、男がたたらを踏むに留まったのは、おそらく正体が極道だからなのだろう。


「――うおりゃあっ!」


 だが、その後に喰らったドロップキックは、植木鉢の投てきなど問題にならないくらいの威力であり……。

 二度、三度と路面を跳ね飛んだリーダー格の男は、そのまま倒れて動かなくなる。


「――舞さん!

 怪我はありませんか!?」


 植木鉢を投げた人物……。

 それだけでなく、続いてドロップキックを放つことで、男たちの前に立ちはだかった人物……。

 夏目銀次が、背中越しにそう言い放った。


「ギンさん……なの?」


 だが、慣れ親しんだその姿を見て、舞は困惑の声を上げてしまう。

 それほどまでに、銀次の姿はこれまでとかけ離れていたのである。


 痩せ細っていたはずの体は、肉食獣めいた無駄のない筋肉で覆われており、ジャージが弾けそうだ。

 何より、内から放つ威圧感が――別人。

 まるで、そう……。

 生きていた頃の父を見ているかのようなのであった。


「てめえら……。

 よくも舞さんを怖がらせやがったな!」


 後頭部からは、血が流れているようだったが……。

 それを意に介さず、銀次が吠える。

 そして、ジャージの上着と、その下に着ているシャツを脱ぎ捨てたのであった。


「……これ、は」


 露わとなった銀次の背中に、思わず息を呑む。

 恥じているからなのか、滅多に見る機会はなかったが……。

 そこに浮き上がっているのが、色も何も無い痩せ細った鯉の絵図であることを、舞は知っている。

 だが、今そこに浮かんでいるもの……。

 それは……。


「……龍」


 そう――白銀の鱗を持つ龍だったのだ。

 それにしても、この仙墨が持つ躍動感といったら、どうか。

 右手に宝玉を手にした白銀の龍が、今にも襲いかかってきそうであった。


 侠客の格というものは、背負った仙墨の迫力によって計れるもの……。

 ならば、今の銀次は……。


「……かかってきやがれ」


 銀次の前身から、湯気のようにオーラが湧き出す。

 これは、任侠として一定以上の実力を持つ者にしかできない芸当であり、やはり、彼の力が別次元の領域へ達したことを表している。

 オーラの色もまた――白銀。

 仙墨の龍が、意思を持つかのように瞳を輝かせた。


「――うおらあっ!」


 目出し帽を被った男の一人が、手にしたゴルフ用のドライバーで銀次に殴りかかる。

 その一撃は、舞ごとき一般人に視認できる速さではなかったが……。


「――らあっ!」


 銀次はこれを正確に見抜いており、ドライバーが自身に命中するよりも早く、深く腰の沈んだ掌底をくれていたのであった。


 ――ズン。


 銀次の足が、敷かれたアスファルトを突き破り、破損させる。

 何という――威力。

 この踏み込みで放たれた掌底を、まともに腹へ受けたのだからたまらないだろう。

 襲いかかった男は、他の仲間を巻き込みながら路地裏へ倒れ込み、動かなくなった。


「お、おい……」


「こいつ……やべえぞ!」


 巻き込まれた男たちが、立ち上がりながら互いの顔を見交わす。

 もはや、完全に形勢は逆転しており……。

 ここから、どう逃れるかを算段しているのは明らかだ。


「……逃がさねえ」


 だが、襲撃者たちに向け、銀次が決然と言い放つ。


「てめえらを捕まえて、全部白状させてやる……。

 誰が、舞さんを襲わせたのか、な」


 そのまま、男たちに向けて銀次が歩もうとした、その時だ。


「――む!?」


 銀次が、ぴくりと上を見上げる。

 そして、大きくそこを飛びのいたのであった。


 ――タン!


 それと同時に、一人の男が降り立つ。

 こちらもまた、顔を隠しているが……。

 しかし、そのために装着しているのは、目出し帽ではなく、般若の面である。

 また、ゴルフ帰りを偽装するかのような他の襲撃者と異なり、ブランド物だろうスーツで身を固めていた。


 その手に握っているのは、大振りなナイフ……。

 新たな襲撃者は、周囲の建物からこの場へ降り立つと同時に、その刃を振り下ろしていたのだ。

 もし、銀次がこれに気づいてかわしていなければ、彼の頭へ凶刃は深々と突き刺さっていたに違いない。


「てめえ……」


「………………」


 オーラをまとい身構えた銀次と、般若の男が視線を交わす。

 それから繰り広げられたのは、激しい攻防だ。


 銀次が放った蹴りを、般若の男は素早いステップで回避し……。

 代わりに、鋭い刺突を返してくる。

 それを銀次は、素早い身のこなしでかわし、ボクシングのジャブめいた拳を繰り出すが、ナイフの腹で弾かれた。


 まさに――一進一退。

 同種の攻防が、二度、三度と繰り返される。


 そうなると、格闘技などを知らない舞でも、気づくことがあった。

 般若の男は、明らかに――力を隠している。

 と、いうよりは、最小限の動きで銀次の攻撃を捌くことに専念しており、ナイフでの反撃は、あくまで彼を牽制するために行っているのだ。


 何故、そのような戦い方をしているか……。

 それは、激戦に紛れて姿を消した襲撃者たちのことを思えば、明らかだった。


「タイムオーバーだ」


 やや大げさなステップで銀次から離れた般若が、軽い口調でそう告げる。

 もう、戦いを続ける気はないとうことだろう。

 ナイフも、上着の内側へと仕舞われた。


「タイムオーバーだと!?

 ふざけやがって!」


「まあ、そういきり立つなよ。

 じゃ、またな」


 逃さんとする銀次であるが、彼の拳は間に合わない。

 それより早く、般若の男は跳び上がり……。

 建物の壁同士で三角跳びを繰り返し、あっという間に路地裏から姿を消してしまったのだ。


「……忍者かよ」


 銀次はそう吐き捨てると、追撃を諦め……。

 そして、こちらを振り返る。


「舞さん……無事でよかった」


 まるで、人が変わったかのような実力を示した銀次……。

 襲撃者相手に見せた彼の姿は、普段の心優しいヤクザの姿とは、かけ離れたものであった。

 だが、オーラを霧散させながら浮かべた笑顔は、普段通りのものであり……。


「ギンさん……!

 怖かった……!」


 それに安心した舞は、思わず抱きついてしまったのである。

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