襲撃
時刻は十七時。
山下さんには十時から十八時まででお願いしているので、彼女が帰るまでには、まだ一時間ほどある。
その間、オヤジは再び山下さんに任せ……。
舞さんに付き添い、夕飯の買い物へ出かけるのが、いつもの日常だった。
「ごめんね。ギンさん。
お祖父ちゃんが……」
「そう謝らないで下さい。
仕方のないことなんですから。
物を盗られたと妄想したりとか、認知症の患者にはよくあることだそうですから」
二月らしい冬の私服へ着替えた舞さんに、そう答える。
そう、これは本当に仕方のないことなのだ。
認知症を患った本人も、悪意があるわけじゃなく……。
何が何やら、分からなくなっているだけなのだから……。
おれの、実の父親だって……。
「ねえ、今日……何を食べよっか?」
話題を変えたいということだろう。
今よりもずっと昔……。
それこそ、中学生だったガキの時代へ意識を飛ばそうとしていたおれに、舞さんが努めて明るい声で言った。
「舞さんは、何を食べたいんですか?」
「もう。
今のは、ギンさんが食べたいものを言う流れだよ?」
「おれは、そんな……」
「いいから、言って」
「そうですねえ……」
街の中をスーパーに向かって歩みながら、考える。
食べたいもの……。
食べたいもの、か……。
「なら、煮っころがしが食べたいですかね。
こう、ナルトとかが入ってて……」
口をついて出たのは、そんな言葉だった。
「あ……」
舞さんが、少し驚いたような顔をし……。
おれは、失言に気づく。
煮っころがしというのは、アネさんの……。
「……お母さんの、得意料理だったもんね」
「……すいません」
物寂しい顔をする彼女に、頭を下げる。
せっかく、気分を変えようとしてくれたのに、全部台無しにしてしまった。
「信じられないよ。
あれから、もう二年なんて」
もう、こうなっては、どうにもならないからだろう。
舞さんが、そんなことを口にする。
「お父さんも、お母さんも、よその組に殺されちゃって……。
人って、こんなにあっけなくいなくなるんだなって、そう思った」
「………………」
何も言えず、ただ付き添って歩く。
――極道の世界では、よくあること。
――アニキもネエさんも、そういう覚悟はしていたはずだ。
そんな、ありきたりな言葉で癒えるほど、舞さんの傷は浅くあるまい。
「それから、お祖父ちゃんもすっかり弱ってああなっちゃって……。
今となっては、屋敷に通ってくれるのもギンさんだけ」
「……カシラたちも、必死なんです。
オヤジやアニキたちが残したものを、守ろうとしてくれてる」
「でも、ギンさんはお祖父ちゃんを守ってくれるんだよね?
昼間はヘルパーさんに頼んでるけど、その後は、朝までお祖父ちゃんのお世話をしてくれてる」
隣から見上げるようにしてくる舞さんの姿へ、少しだけ照れ臭くなる。
だから、おれは頬をかきながらこう言ったのだ。
「おれにできることは、そのくらいなもんですから。
舞さんには、学校のお勉強に集中して頂かないと。
本当なら、掃除だけでなく、料理や洗濯だっておれがやるべきです」
こう見えて、一通りの家事は部屋住まい時代に叩き込まれている。
だから、その気になれば、オヤジの世話をする傍ら、屋敷の家事を引き受けることも不可能ではなかった。
「だーめ。
お料理は、私の趣味なのです」
そんなおれの提案を、舞さんはあっさりと一蹴する。
いや、それだけではなく、意地悪な笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「それに、洗濯を引き受けるって……?
分かってる?
私はもう子供じゃなくて、十六歳の女の子なんだよ?」
「これは、失礼しました……」
言われてみれば、ほとんどセクハラみたいな発言だった。
そりゃそうだよな。実の肉親でも、この年頃は洗濯物を一緒にして欲しくないと言ったりするらしいし。
まして、洗濯物を預けるなど、何をか言わんや、だ。
まあ、十六歳なんて、子供でしかないとも思うが……それは言わないでおこう。
「もう、本当に分かってるんだか……」
舞さんが、そう言って不服そうにしたその時である。
「舞さん」
「きゃっ……」
おれは彼女の手を取り、そっと前へ歩み出た。
そして、彼女を背中に隠したのである。
何故なら……。
「……てめえら、何者だ?」
まるで、おれたちを待ち受けるかのように……。
目出し帽をした男が三人ばかり、曲がり角から姿を現したからだ。
「ギンさん……?」
「舞さん、下がっていて下さい」
困惑する舞さんへ、背中越しに言い放つ。
男たちは、ただ目出し帽で顔を隠しているだけではない。
それぞれ背負ったゴルフバッグから、やはりゴルフ用のドライバー等を取り出していた。
目出し帽を除けば、なるほど、これもゴルフ帰りか何かの装い……。
直前まで、無害な人間のふりをして、待ち伏せていたということか。
これでも、迷宮に潜った期間だけは長いこのおれだ。
危機を前にすれば、頭の回転も早くなる。
ただ、悲しいかな。
回転の早くなった頭が、こう告げていた。
――勝ち目はない。
……と。
顔は隠している。
目出し帽以外の格好は、カタギのそれだ。
だが、間違いなくこいつらは、どこぞの代紋を背負っていた。
そして、服で隠された背には、少なくとも、色のない鯉よりはマシな仙墨が浮き上がっているはずなのだ。
「舞さん。
――逃げて下さい。
振り返らず、真っ直ぐに走り続けるんだ」
覚悟を決めて、彼女にそう呼びかける。
間違いなく、こいつらの行動は計画的……。
ならば、狙いはおれごとき三下ではなく、舞さんとしか思えない。
「でも……」
「でもも何もありません。
――行って下さい!」
あえて、きつい声音で言い聞かせた。
それで、全てを察してくれたのだろう。
「――死なないで」
舞さんが、そう言って来た道を走り出す。
死なないで、か……。
あなたを守って死ぬなら、それは誉れってもんなんです。
「さあ、てめえら……。
ここは通行止めだ」
夕方時ということもあってか、周囲に人影はない。
おそらく、おれは助からないだろう。
それでも、せめて格好つけて言いながら構えたが……。
「――きゃあっ!?」
「――何っ!?」
背後からの悲鳴に、がく然とする。
振り返れば、やはり目出し帽で顔を隠した男の手で、舞さんが路地裏へ引きずり込まれる瞬間であった。
――やられた!
こいつら、挟み打ちにしていやがったのだ。
そして、振り返ってしまったおれは、前を塞ぐ連中からすれば隙だらけの状態……。
――ガッ!
と、鈍い音が響く。
それは、どうも後頭部の内側から発されたもののようで……。
同時に世界が反転したような感覚に襲われ、おれは路上へ倒れ伏していた。
「ぐ……がぐ……」
口から漏れるのは、そんな訳の分からないうめき声……。
手足を動かそうとしても、どうにもならない。
止めを刺す価値もないと判断したということか……。
襲撃者たちが、倒れるおれの横をすり抜けていく。
行き先は、舞さんが連れ込まれた先……。
「う……くそ……」
おれは、何て――役立たず!
迷宮探索でろくに働けないばかりか、舞さんを逃すことすらできないなんて……!
――力だ!
――力が欲しい!
今日、この日で命が終わっても構わない。
立ち去っていくあいつらに勝ち、舞さんを助け出すための力が必要だった。
――キイイイィィン!
頭の奥も奥で、耳鳴りが響く。
同時に、背中から……火山が噴火するかのような感覚が沸き起こったのである。
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