恋なんかしないと思ってたのに
仕事の帰り道、ポケットに入れっぱなしにしていたスマホが震えた。寒い十二月の深夜、夜勤帰りに徒歩一時間かけて帰る俺の身体の震えなのか、スマホのものなのか一瞬わからなかったが、どうやらスマホらしい。ポケットから取り出して通知を見ると、SNSのDM通知だった。表示されているのは、俺の好きな人の名前。さち、という可愛らしい平仮名二文字だった。
今から通話しないか、という内容だ。俺は今、暇で暇で仕方がない。俺は二つ返事で「ありがとう、今いけるよ」と返した。すると、さちは「よかった!」と笑顔の絵文字付きで返信してきた。どう返すか迷っていると、目の前に通話ボタンが表示される。SNSの通話機能の着信画面だ。俺は深呼吸をして、乾燥した空気に咽そうになるのを必死に堪えて、内心苦笑いしながら応答ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもしー! ソラくん!」
明るくも、ふわふわとした優しげな声がマイク搭載イヤホンから聞こえてくる。俺は腕時計を見やすいように、盤面が内側に来るように調整した後、スマホをポケットに入れた。心なしか、外気が少しだけ温かくなったかのようだ。
「今何してたのー?」
「仕事帰りだよ」
「おー、一時間かかるんだっけ?」
「そうそう、行きはバスがあるからいいんだけどね」
そのバスは職場が出している送迎バスではなく、普通の路線バスだからこんな夜中の二時過ぎには当然ない。ここらの田舎ではタクシーも走っていないし、タクシーの迎車依頼をアプリから出すとしても、金がかかりすぎる。自転車もなく、二輪や四輪の免許もない俺はこうして歩くしかないのだ。
「大変だねー」
「まあね、でも歩くのは好きだから」
「こうしてお話もできるしね」
「あはは、たしかに」
時計をチラリと見る。うん、まだ大丈夫だ。そんなに時間は経っていない。
俺は普段立ち寄る二十四時間スーパーを素通りして、坂道を上る。呼吸の音がうるさくないように、ゆっくりと。
「ソラくんいつもありがとうね」
「ん? いやこちらこそだよ」
「おおー、鑑だね」
「そりゃあね、一年以上だからなあ」
「最初のほうから一緒にいてくれるもんね」
そういうことを言われると、妙にむず痒くなって、胸が痛む。チクリとするというよりも、ぎゅーっと切なく締め付けられるような感覚だ。腕時計なんて、見たくないと思ってしまう。閑散としたこの道も、真夜中の寂寞感も、どれも見たくない。
「ソラくん本当にいつもありがとうね、大好きだよ」
「いやいや、こちらこそ」
「おー、軽くいなしますねえ」
「でないと鑑じゃいられないでしょ?」
「あっはは、それもそうかも」
電話口での声は、快活に聞こえる。いつも聴いている声だけど、いつもとはどこか違うほんの少しの甘さも感じるような明るい声に、俺の耳は狂いそうになる。冷たい風に当たって耳が痛いとか、鼻が痛いとか、そんなことは気にならなくなるくらいに。
腕時計を見る。
ああ、残念だ……。
「あ、もう十分経ったね」
「えーまだ話そうよー」
「いやいや、ルールでしょ?」
「私が良いって言ってるのにー?」
「他に示しがつかないし」
電話口で、さちちゃんが不満そうに息を漏らしている。俺は「また今度ね」と言って、半ば強引に通話を切った。十分間だけ、月に一度の通話。俺が一方的に恋しているだけで、だけど単なる一人のファンでいようとしている愚かな俺の、毎月の楽しみが終わった。
寒空にため息をついて、夜空を見上げる。
無数の星たちが、静かに瞬いていた。
「あーあ……」
去年の今頃は、恋なんか、しないと思ってたのに。
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