ハイライト・メンソール
そろそろ休憩するか、と思ってデスクの脇に置いてある煙草に手を伸ばす。箱を持った瞬間に、嫌な予感がした。妙に軽い箱の中を覗いてみると、そこには一本の煙草も入っていない。ちくしょう、空だ。ストックはなかったかと、引き出しを開けてみるもライターしか入っていない。
仕方がない、買いに行くか。嫌だ嫌だと駄々をこねる心を押し殺して、部屋着を脱ぐ。暖房をつけていても感じる肌寒さにせっかくの決意を台無しにされそうになりながら、適当な服を着て外に出た。
外は余計に寒い。暖房が無いのだから当然だが、この寒さは肌を切り裂くようでどうにも慣れそうにない。温かくなると変質者が出るというけれど、変質者もこの寒さの中に露出する気概というものは持ち合わせていないらしい。いや、そんな気概無い方がいいのだけれど。
コンビニに入り、レジ奥に目を凝らす。しまった、メガネを忘れて来てしまって番号が見えないな。いつも同じものを買っているというのに、番号を覚えられない自分に腹が立っていると、たまにしか見かけないかわいい女性店員さんがニッコリと笑って僕を見た。
「いつものですか?」
「ああ、はい」
「ちょっとまっててくださいねー」
表には出ていないらしく、彼女が煙草の棚の下の引き出しを開けている。その後、一瞬固まってまた僕の目の前まで戻ってきた。
「すみません、切らしてるみたいで」
「そうですか。ああ、じゃあ……」
適当にレジ奥の棚を見る。いつも節約のためと思って少し安い煙草を買っていたけれど、年々値上がりする煙草に同じことを思っている人は多いんだろう。みんな安い煙草を求めているのなら、仕方がない。ここは百円程度高めのもので手を打とう。
そういえば、長い間、あれを吸っていないな。
緑色のパッケージに白い文字で名前が書かれているソフトケースが目に入り、僕はその番号を目を凝らして見た。判別するのに数秒かかってしまったけれど、店員さんに番号を伝える。
「こちらでお間違いありませんか?」
「はい、大丈夫です」
ハイライトのメンソール。思えば、僕が初めて吸った煙草もコイツだった。彼女が手際よくレジを済ませ、僕はデビットカードで支払いを済ませる。淡々としたやり取りに心地よさを覚えながらハイライトのメンソールをポケットに仕舞い、外に出た。
久しぶりに見るコイツの顔は、なんだか昔と変わってしまって、物悲しい。昔はもっと、全面緑色だった気がするのに、いつの間にやら白い部分が増えてしまった。肺がんのリスクがどうの、未成年喫煙がどうのと、どんどんお節介焼きになる煙草のパッケージに、言いしれない無情さを覚える。
無情であり、無常だ。変わらないでいてほしいのに、どいつもこいつも変わっていくのが心憎い。
外に出た瞬間に肌を突き刺してきた風にため息をつきながら、吸えそうな場所を探す。
しかし、コンビニの前には灰皿は無いし、喫煙所も喫煙できる喫茶店もここいらにはないことを思い出して、大人しく家に帰った。
「コンビニの前くらい、置いておいてくれてもいいのに」
デスクの上に煙草と鍵を置き、座る。すぐ横にある窓を開いて、肌を突き刺す風と肌を優しく包み込むエアコンの微風に挟まれながら、ソフトケースの封をペリペリと開けた。この瞬間は、常に僕の心を癒やしてくれる。外見が変わっても関係ない。変わらないこともあるのだと、言い聞かせてくれるようだ。
封を開けた瞬間に香ってくるメンソールのツンとした清涼感と、少し甘い煙草葉の香り。
はじめて吸ったときは、この二つの香りがあまり好きじゃなかったっけ。
思い出すのは、あの人のことだ。大好きだった年上のお姉さん。心が弱くて、だけどかっこよくて、僕は彼女の生き様に惚れていた。どんな辛いときも、常に楽しく生きようと藻掻いていた彼女に、今の僕は頭が上がらない。恥じない生き方をしようと誓ったはずなのに、どうもうまくいっていないような気がする。
ハイライトのメンソールを見ると、なんだかそんな理想と現実の乖離をまざまざと見せつけられるようで、避けていたんだっけ。
「ま、死んじまったら楽しく生きるもクソもねえけど……」
それでも、やっぱり僕は彼女のように生きていたい。どれだけ辛くても、現実が厳しくても、自分が楽しいと思えることに愚直に。そうすれば、地獄で待つあの人に少しは顔向けできるだろう。天国にいるとは思えないのが、あの人の罪深いところかもしれないな。
一本、ハイライトのメンソールを口に咥える。ああ、これこれ。この咥えたときに鼻に感じるちょっとした涼しさだ。懐かしいなあ。
火をつけて吸い込むと、彼女がすぐそばにいるような錯覚に陥る。彼女の家に行くと、いつもコイツの匂いがしていた。ちょっと甘くて、だけど苦くて、ほんのり涼しいような独特な匂い。吸っている本人にはいい香りだけど、紫煙を嗅いでみるとそうでもないのも懐かしい。
結局、嫌いになれなかったな、コイツもあの人も。
「それどころか……ハハッ、うまさがわかるようになっちまったよ」
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