第74話 先生と同級生

 暗くなった公園の片隅、他に人影はない。

 そこで、木陰から姿を現した神代先生が、仁王立ちになってグレッグと俺に目を配る。

 普段の優しい表情の面影はない。

 必死に何かを言いたげな、悲壮感を貼りつけたような顔。


 気付かなかった。

 普通ではありえない。

 目の前のグレッグと対峙するのがやっとで、彼女の存在に気が行かなかった。

 それ程の相手なのだ、この軍人は。


「神代先生……美玲さん……」


「珠李君! そんなの、絶対に駄目!」


 神代先生が俺に近づこうと足を踏み出すと、グレッグは意味ありげな笑いを浮かべた。


「お前……女運はいいみたいだな。そこは俺もあやかりたいよ。ま、ちょっと時間をやるよ」


 そう言い放つと、彼はスタスタとこの場から姿を消した。


 神代先生が、俺の両腕をぐっとつかんで、真っすぐに俺の顔を見上げる。

 その瞳は、不安とか怒りとか色んなものを映していて、震えているように見える。


「ごめんなさい…… ちょっと気になって、途中であなたのお家へ引き返したの。そしたら、あの人と一緒にいるのを見て。それで何だか胸騒ぎがして……」


「そうですか…… すみません。そういうことになりそうです」


「珠李君…… 日本に帰りたくて、ここに来たんでしょう? また戻っちゃていいの?」


「あの…… 戻るっていっても、ずっとって訳じゃないと思いますから。ルイジェリアの様子が落ち着いたら、また……」


「それって、いつなの? 本当に戻ってくるの? ねえ!?」


 やはり神代先生は必死だ。

 その瞳は、濡れて滲んでいる。


「美玲さん…… 俺、やっと全部思い出したんです。昔のこと。俺はやっぱり一度、向こうに帰らないといけません」


「……どうして?」


「やり残したことがあるんです。かつて俺には同胞達がいました。みんな掛け替えのない連中で、幾多の死線を一緒に潜ってきました。みんな、鬼のような強さと、人を労わる思いやりがあった連中です。そいつらの夢が今、あと一歩で実現しつつあるんです。俺はそれを、叶えてやりたいと思います」


「……その人たちは、向こうにいるの……?」


「はい、多分。全員、どこかの土の中で、ゆっくりと眠っていると思います」


 神代先生は驚いた表情を見せて、続く言葉が出て来ない。


「今も、そいつらの声が、頭の中に響きます。眠っていると、夢にも出てきます。もしかすると、唯一人生き残った俺のことを、恨んでいるのかもしれません。仕方がありません。俺はあいつらを、守れなかった。だからせめて、あいつらが見たかった景色を実現して、墓の前に花の一つでも、備えてやりたいと思うんです」


「……珠李……君……」


「それにこれは、俺にとっての問題でもあるんです。俺自身も、あの国に平和が訪れることを願って、地獄のような戦場を、必死で戦ってきました。それが実現しないと、俺自身の戦争も終わらないんです」


 神代先生は、言葉を返せない。

 ただ黙って、両の眼から、綺麗に光る涙を流している。


「それに……俺には昔、恋人がいたんです。金色の髪の、綺麗な子でした。彼女もまた、俺の命令を守って戦って、死にました。あの国の平和は、そんな彼女の夢でもあるんです。そんな彼女のお墓だって、どこにあるのか、俺はまだ知らないんです……」


 喋りながら、俺の頬にも雫がつつっと流れていく。


「みんな、気のいい連中でした。戦っていない時は、普通の若者で。何度も何度も、戦いが終わった後の未来を、語り会いました。全部を終わらせて奴らと向き合わない限り、俺の中の戦いも終わらないんです」


 昔の仲間の笑顔が頭の中に蘇ってきて、胸が燃えるように熱くなる。


「いつになるのか、約束はできません。でも、全部が終ったら、必ず帰ってきますから」


 神代先生は俯いて、肩を震わせている。

 両の拳を胸の前でぐっと握り、唇を噛み締めて。


「……そんなことがあったのね、珠李君…… だったら私、これ以上は何も言えない……」


「ごめんなさい、美玲さん」


「でも…… 絶対に、帰って来て。私、待ってるから……」


「はい、必ず」


 二人で涙を流しながらその場にいると、グレッグが両手を頭の後ろに組んで、ひょうひょうと戻ってきた。


「話はついたのか?」


「はい、出発は、明後日で」


「分かった。じゃあその日の夜、車で迎えに行くよ。今日は彼女を送って行ってやりな」


 そう言い残して、グレッグは夜の闇の中へ消えて行った。


 それから俺はタクシーを呼んで、神代先生を家まで送って行った。

 部屋に入らないかと誘われたけれど、今日は断った。

 ルイジェリアへ渡航するための準備もあるし、それに、俺の頭の中の整理も必要だ。


 自宅に戻ってからは少し落ち着いて。

 ―― 豊芝さんと夢佳には、一言伝えておいた方がいいな。

 

 そう気付いて。

 

 明日、ゆるりと話せるといいかな。

 そう思ってまず夢佳に誘いのメッセージを送ってみると、


『ごめん! 明日は外せない用事があるんだ』


 そうか、なら仕方がないな。


『分かった。明後日からしばらく日本を離れることになったから、何かあったら外務省の豊芝さんって女性に訊いてくれ』


 そう送ると、彼女から速攻で電話がかかってきた。


「ねえ、日本を離れるって、どういうこと?」


 ビデオ通話の向こう側で、すっぴん状態の夢佳が、狼狽えている。


「ちょっと、ルイジェリアに行ってこようかと思って」


「は? それって観光か何かなの? 外務省に訊けって、どういうこと?」


「今日、昔の上官に会ってね。向こうの国の仕事を手伝ってくれって頼まれたんだ。だから、ちょっと行ってくる」


「ちょっと行ってくるって…… まさか、また戦争……?」


「いや、そうじゃない。国内の政情が不安定だから、落ち着くまで、交渉とか何かを手伝えってことなのさ。相手の方に、昔の俺を知っている奴が多いらしくてね」


「ねえ…… それ、危なくないの? いつ帰ってくるの? 本当に帰って来るのよね?」


 夢佳も、神代先生と同じような心配を言葉にする。


「ごめん。いつになるのかは、分からないんだ。でも、きっと帰って来るから」


 そう告げると、夢佳は画面の向こうで、大粒の涙を零し始めた。


「珠李…… 私、今からそっちに行っちゃだめかな……? ただ、傍にいさせてくれるだけでいいから。このままお別れするのは、嫌だ……」


「いや、別に、今生の別れって訳でもないし…… 多分……」


「お願い!」


 切実に懇願するような表情を向けられて。


 ―― 断り切れないな。

 それに俺も、夢佳には世話になった。

 こんな変な奴と、最初に友達になってくれたのは、彼女だった。

 それに、余りある好意を、いつも贈ってくれたのも。


「いいよ」


 そう応えて、この部屋の住所を教えた。


 ほどなくして、タクシーで到着した夢佳を迎え入れて。

 忘れていた記憶を、彼女に全部伝えた。 


 そして、明け方を超えて太陽が高く昇るまで、ただ寄り添って一緒にいたんだ。




-----------------

(作者よりご挨拶です)


ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。


やっと珠李が記憶を取り戻しました。

その上で、彼がどうなっていくのか。


本作は残り2話で、一旦の区切りかなと考えております。

もう少々お付き合い頂ければ幸いです。

どうぞよろしくお願い申し上げます。





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