第72話 追憶10 消えゆく未来

「作戦は以上だ!」


 俺の前に居並ぶ総勢114人の前で、そう言い放つ。

 部下全員に対して、間近に迫ったハチの巣要塞攻略の作戦概要を伝えたのだ。

 話を聞いていたヨハンが、おずおずと片手を上げて、発言する。


「つまり、俺達は真っ先に敵陣に突っ込んで、敵と味方の両方から砲火を受ける訳ですか?」


「そうだ。敵の陣地を一時叩いても、回復されれば今までと同じだ。我々がそれを制圧して、本軍の突撃攻撃を支援するんだ。これはここだけではなく、北管区と中央管区でも、同じ歩調をとる」


 この場がしんと静まり返る。

 数々の戦歴と実力、経験を持つ猛者達でも、言葉が出ない。


 捨て駒、といった表現が正しいかもしれない。

 未だかつて、ここまでの危険を強いる命令は、下したことがない。

 けれど、最後の関門、政府軍最大かつ最強の防御を誇るハチの巣要塞を抜いてルキアに入るには、相応の覚悟と犠牲が必要なのだ。


 命令を下す立場として、最もつらいことの一つに、苦楽を共にした部下に、死ねと言うことがある。

 今が正に、その時かもしれない。


「アポカリス第二部隊の指揮官は自分、以下部隊指揮班と3つの小隊に分かれ、それぞれの小隊指揮官はヨハン、カシム、アイラとする。出立は明後日だ。それまでは各員、思い思いに過ごすように」


 解散してから基地内の自室に戻り、濃いめの酒を呷る。

 今更ながらになるけれど、部隊の隊員一人一人の顔が、思い浮かんでくる。

 だらしなくて女好きな者、故郷の家族に仕送りをしている者、会えない恋人をずっと想って戦っている者……

 一人一人は違いけれど、多分至高の思いは一つ。

 この国の平和のため、大事に想う人の未来のため、この戦いを最後にするんだ。


 するとドアを叩く音がして、そこにはアイラの姿があった。


「よう。何しに来たんだ?」


「思い思いに過ごせばいいんでしょ。だから、来たよ」


「いいのか、ここで? 家族とかもいるだろう?」


「家族とは、この戦いが終ったら、ゆっくり会いに行くから。今はここがいい」


 そう言葉にするアイラを抱きしめて、口づけを交わした。

 愛おしくて、力いっぱい抱きしめて、彼女の存在を確かめた。

 彼女もそれに応えてくれて、細い指の先に、ぐっと力を込めた。


 ……本音を言えば、彼女をこんな危険な戦いには、巻き込みたくない。

 今の俺の権限を使えばそれも可能だけれど、多分彼女はそれを望まない。

 そんな事をすればきっと、俺と距離を置いて、去って行ってしまうだろう。

 ともに夢みた世界を実現して、同じ未来を過ごしたい。

 その想いは、きっと彼女だって同じなんだ。


 この戦いが終ったら、きっとこんな時間が、ずっと続くんだ。

 そう、心の中で、願って病まなかった。




 ◇◇◇


 明後日、友軍の準備砲撃とそれに呼応する敵軍からの応射で、砲声が鳴りやまない空の下、硝煙の匂いにまみれながら、俺達は敵陣の中を進む。

 破壊されたトーチカや機関銃陣地には、生々しく砕かれた敵兵士の死体が転がっていて、血と肉が焼ける匂いが鼻を突く。


 更に先へ進むと、敵とも味方とも分らない砲撃やミサイルの攻撃に会い、更に敵からの回復攻撃にも晒される。

 進むほどに混迷の度を深め、一人また一人と、仲間を失っていく。


 それでも何とか前進を続けていると、軍事通信用の無線が鳴る。


「中央本軍、敵の応射を受けて、身動きが取れません。側面からの助攻をお願いしたい」


 そんな内容だった。


「無茶です副官。ここだって、いつ敵の反撃を受けるか分からないんです。これ以上戦力を割く訳には」


 最側近のファーレンが、即座に反対する。


「全く、どこまでお守りすりゃいいんだよ、あいつら。放っときましょうよ?」


 今この場にいるヨハン、カシムも、同じように消極的な反応だ。

 だが、アイラだけは違った。

 

「どうせ行く気なんでしょ、シュリ? ここは私達だけで何とかするから、大丈夫よ」


「すまない。この作戦の鍵は、中央本軍が正面突破できるかどうかにかかっている。俺は中央に行くから、何人かだけついて来てくれ。できるだけ攪乱して、終わり次第すぐ戻る。その間の指揮は、ファーレン中尉に任せるよ」


 そう早口で伝えると、それ以上の反論はなく、みんな真っ黒に汚れた顔で、にっこりと笑った。


「シュリ少佐、ルキアに入ったら、浴びる程酒を飲みましょう」


「俺は、いい女でも探すかなあ」


「少佐、全ては祖国のため、そして、我らの未来のために」


 そして、最後にアイラは、


「シュリ、気を付けてね。きっと大丈夫」


 そう言って、いつもの柔らかで愛おしい笑顔を見せてくれた。


 この笑顔を守るために、何がなんでもこの戦いに勝って、生き残るんだ。

 そんな思いが、俺の中にこみ上げた。


「ああ。行ってくる」


 みんなと別れて、砲弾が行き交い土煙が舞う地獄の戦場を移動すると、累々と兵士の死体が横たわる先に、交戦中の友軍の姿があった。

 前と横から挟み撃ちにされて、一歩も前に進めない状況のようだ。


「側面の敵の背後から攻撃を仕掛けて陽動をかける。続け」


 いかにアポカリスの精鋭とはいえ、少人数。

 しかも身を隠す場所もないこの場所では、大きな戦果は期待できない。

 攪乱して、友軍の奮起を即すのだ。


 敵の背後から襲い掛かり、その場の指揮官と数十人の敵を瞬時に戦闘不能にする。

 すると、敵の前線の一画が崩れて、そこから友軍の反撃が始まった。


「よし、これでいい。引き上げだ!」


 そう命じた刹那、軍用無線からけたたましい音が発せられた。


「こちらファーレン、シュリ隊長、どうぞ!」


「こちらシュリ、どうしたファーレン?」


「目下、敵特殊部隊と交戦中。多くの仲間がやられ、アイラ少尉が拉致されました。これより救出に向かいます」


 ―― 何?


 敵もさるもので、アポカリスの前面に、虎の子の特殊部隊を押し上げてきたのだ。

 それはむしろ望む所で、その分友軍の損害を減らすことができるのだけれど。


 しかし、アイラが拉致されるとは――


 まずい、下手に飛び込むと、より多くの犠牲が出る。

 アイラの事は心配だけれど、今は全軍での作戦を優先すべきだし、アイラ自身もそう望むだろう。

 早く戻って、アイラ救出は俺が――

 そう伝えようとしても、無線機からの反応は無い。


 猛烈な胸騒ぎを必死に押し殺して、固い土の荒野を行く。


 どうにか戻った先には、敵味方入り乱れて負傷兵や死体が点在する、茫漠とした戦場。

 息のある部下の一人に駆け寄り、状況を確認する。


「……ヨハン、カシム、ファーレンの三人は…… アイラ少尉を追って前に…… 俺達の女神に……副官の女に……なにしやがるって……」


「なに……?」


 遅かった。

 一緒にいる部下達に負傷者の救護を命じて、前に急ぐ。


 先に進むにつれて、状況は凄惨を極めた。

 敵軍兵士の累々とした死骸や瀕死の負傷者で、地面が埋めつくされている、まさに地獄絵図。


 そして、その先に――


「ファーレン!!」


 地面に横たわるその男を見つけて、俺は大声を上げて駆け寄った。

 もう、助からないだろうと、一目で分かる。

 全身を朱に染め、口からはごぼごぼと血を噴き出し、焦点が合わない目をしている。


「ふ……副官……」


「大丈夫だ!! 今救護班を呼ぶから、喋るな!!」


「も……申し訳ありません……アイラを……守れませんでした……」


 それだけ言葉にすると、ファーレンは首をがくっと横に倒して、全身の力が抜けた。


 目頭が熱くなり、胸の中にこみ上げる、悲しみと憎悪の激情に押し潰されそうになりながら、ファーレンの頬に手をやった。


 アイラは……どこだ……?


 ふらふらと前に進むと、すぐ近くに、金色の長髪を蓄えた女の子が、仰向けで倒れていた。

 衣服の至るところが裂けた半裸の姿で、赤く染まった白い下着が露出している。


「……アイラ……」


 彼女の頭を膝の上に乗せて言葉をかけると、薄く目が開いて、そこから光る物が流れ落ちた。


「……ああ……シュリ…… 来てくれたのね……」


 弱弱しい声、全身から噴き出す血潮……

 俺も、涙を堪えることができなかった。



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