第71話 追憶9 手放したくない
「ねえどうしたの? ぼーっとしちゃって?」
フェリエの酒場の二階の俺の部屋で、アイラが俺に話しかけた。
今二人は、簡素なベッドの上に並んで座り、酒場から拝借した酒の味を堪能している。
「ああ、ちょっと、昔のことを思い出していたんだよ」
「昔のこと?」
「ああ。お前と知り合った頃のこととか、色々と駆けずり回ってた頃のことさ。最初に会ったのは、この部屋だったな」
「そうね……もう、随分前になるわね。5年ほどかしら」
遠い目で中空を見据えながら、アイラが穏やかに懐かしむ。
「ルキアへの出発は3日後、各軍の代表と会うのは一週間後よね。色々と手配しないとね」
「そうだな。一般の旅行者にでも化けるとして、洋服とレンタカーくらい必要かな」
「そうね。なら一緒に、洋服屋に見に行かない?」
「お前、何だか嬉しそうだな」
頬を弛緩させて瞳に光を宿すアイラにそうつっこむと、彼女は肩をすくめた。
「だって……今まで、仕事と軍務ばっかりで、二人でそんなの、したことなかったからさ。ちょっとは浮かれたっていいじゃない?」
「……ま、そうだな。よし、明日一緒に洋服を見に行って、車は軍に申請しようか。あとはお互い、旅行の準備だな」
「ねえシュリ、こんなこと言うと怒られるかもしれないけれど、私は今回の任務、楽しみなんだ。だってあなたと一緒にルキアの街に行けるなんて、考えてなかったからさ」
「そうだな。けど、今回の作戦が成功して戦いが終れば、そんなのはいつでもできるようになるさ」
「……そうね。そうしないとね」
コクンと頷く彼女のおでこに唇と付けると、彼女は頬を赤くして、体を俺に預けてきた。
今度の戦いで終わりだ、きっと平和になる。
そうしたら、俺はアイラに……
いつも想っていることを、心の中で、また繰り返した。
三日後、俺とアイラは、フェリエの町から少し離れた場所まで移動し、そこで白い自家用車を受けとり、旅行者風を装って、ルキアを目指した。
丸二日間運転して、偽造した身分証で夫婦だと称して検問をくぐり、ルキア市街に入った。
予約しておいた星付きのホテルの正面玄関前で車を止めてチェックインし、高層階にある部屋から市街を見下ろした。
この辺りにはまだ戦果が及んでおらず平穏で、不揃いの大小の建物が、周りを埋め尽くしていた。
「なんか、シュリと二人でこうしているのって、夢みたいだなあ……」
窓越しに街に目を向けながら、アイラが普通の少女と同じような感慨にふける。
これまでは激務と死闘の日々、たくさんの仲間も失ってきた。
任務の延長線にあるとはいえ、こんなに豪華で穏やかな時間を過ごしたことは、今まで一度もないのだ。
「ねえ、今日は予定は無いけど、どうする?」
「アイラは、どうしたいんだ?」
「私は……シュリと一緒に、どこかへ行きたいな……」
可愛らしくそう言葉にする彼女を抱きしめて、俺もそれに同意する。
「そうだな。せっかくだから、街を観光しようか」
その日は、怪しまれないように最低限の変装をして、街の中の公園や美術館、ショッピングモール等を回って、夜は目に付いたレストランで食事をした。
アイラは真っ白いドレスを纏っていて、道行く人達が何度も振り返るほど、美しくて眩しかった。
俺もその姿に目を奪われて、ガン見し過ぎて何度も、彼女の顔を赤く染めてしまった。
夜更けに部屋に戻ると、彼女は恥ずかしそうに、意外なことを口にした。
「ねえシュリ……一緒に、お風呂に入らない?」
「え……アイラ、何を……?」
「先に入ってるから、後から来て……」
胸の鼓動が一気に高まって、顔が燃えるように熱くなる。
アイラとはこれまでずっと一緒にいたけれど、その肌を目にしたことはなかった。
それが、今日この場所で……?
彼女が浴室に消えてから、戸惑いと高揚が、俺の中でせめぎ合う。
けれど、今の彼女の想いを、無駄にはしたくない。
それに、俺自身だって……
いいんだよな……?
服を脱いで浴室の扉を開けると、水が滴った白くて丸い背中と、それを覆うような黄金の髪に、いきなり目を奪われた。
息をすることを忘れて見とれていると、彼女はゆっくりと、俺の方に体を向けた。
白くて芳醇な丸みを帯びた胸、滑らかな曲線を描いて引き締まった腰、ほどよい肉付きを帯びた透き通るような素足、そして……
生まれたままの姿のアイラが、頬を桃色に火照らせて、瑠璃色の瞳をじっと俺の方に向けた。
「ねえシュリ、どうかな、私……?」
水が流れる音の合間に、彼女の切なげな声が漏れ出てくる。
「……綺麗だよ、アイラ……」
他には、何も浮かばない。
綺麗で、愛おしい。
こんな彼女を、ずっと守っていきたい。
それこそが、今の俺の全て。俺の生きる意味だ。
「シュリ……大好き!」
素肌のままで抱き付いてきた彼女をそのまま受け止めて、小さくて赤い唇に、自分の唇を重ねた。
それからお互いの体を洗いあって、俺は彼女を抱き上げて、ベッドの上まで運んだ。
彼女は潤んだ瑠璃色の瞳に俺を映し、愛おしげに頬を緩める。
両方の手のひらを俺の頬に当てて、
「お願い、シュリ……」
そこから先は、よく覚えていない。
ただ、彼女の肌が柔らかくて温かく、俺が動くたびに彼女の唇からもれる泣きそうな声が、俺の思考を麻痺させて、甘い時間へと誘ってくれた。
「……ああ……シュリ……!」
夢中で男と女になった俺達二人は、愛し合い、感じ合い、もっと求め合った。
俺は愛おしい彼女の温もりに埋もれ、得も言われぬ快楽に身を沈め、自我を忘れる時間を一緒に過ごした。
いつしか恥じらいも忘れた熱い夜が明けて、窓に架かったカーテンの隙間から、陽光が差し込んでくる。
もう少し夢の中にいたいなと思って微睡んでいると、鼻を摘ままれるような感覚を味わった。
薄く目を開けると、すぐそこにアイラの真っ白な顔があって、
俺の鼻をちょん、とつまんでいた。
「……何だよ?」
「えへへ。お早う、シュリ」
微かに差し込む陽光を後ろから受けて、彼女の笑顔が光りの中に浮かぶ。
ずっとこの笑顔、守りたいな。
無邪気に笑いながら、俺の首筋に吐息をかけてくるアイラに触れながら、そう思った。
間違いないな。
俺は本当に、俺の全身全霊をもって、絶対に手放したくないほど、彼女のことが大好きなんだ。
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