第70話 追憶8 アポカリス

 休息が与えられた日の翌日、作戦に参加する兵士達が、広場に参集した。

 俺はそこで初めて、この部隊の名前を知ることになる。


「いいか、我々アポカリスの今回の任務は、東北正面の敵の殲滅である。それに呼応して、友軍の作戦が中央から展開される。一兵たりとも、友軍に近づけるな! 容赦はいらん、皆殺しにしろ。逆に取り逃がしは、己が死をもって償うものと覚悟せよ!」


 迷彩姿の兵士が200人ほどはいるだろうか。

 戦いの前だというのに、一部の兵士を除き、ほとんどが顔を弛緩させている。

 なんだか、もう慣れっこだとでもいうように。


「全ては国家人民の未来のため! 己が命を惜しむ前に名を惜しめ! 諸君らの血と肉と骨は我が祖国の礎となり、永久とこしえに語り継がれるであろう!!」


 シャイアンはその正面に立って、豪放に訓示した。


 その後俺達新兵は部隊に編入され、俺の配属部隊の中には懐かしいアイラもいた。

 俺の姿を見つけるとアイラはすぐに駆け寄って来て、少女の笑顔を浮かべた。


「凄いわ、シュリ。残ったのね」


「ああ、何とかね」


「心配してたのよ。ゴメンね、訓練中の新兵とは、連絡が取れない規則だったから。この作戦が終ったら、たくさん話そうね?」


「うん、そうしよう」


 初めて実戦に臨む緊張感が、アイラとの会話で、少しだけ解けた気がした。

 けれどそんな雰囲気は、三日後には見事に消し飛んでしまうことになる。


 この作戦では、史上例がないほど、アポカリスが苦戦を強いられたのだ。

 我々の情報の裏をかかれて、目標とした場所には、想定の数倍もの敵兵力が雲霞のごとく集まっていた。

 しかもその中には、敵である政府軍の精鋭特殊部隊も、含まれていたのだった。


 多くの敵に囲まれながら、精鋭対精鋭の死闘が繰り広げられ、それは血の凄惨を極めた。

 ある者は喉を切り裂かれ、ある者は頭を銃弾で打ち抜かれ、またある者は瀕死の重傷を負った後に、その場で全身を切り刻まれた。

 同じ部隊の兵士が、一人、また一人と、突然血を吹いて倒れたり、草むらの中に姿を消していく。

 敵が襲ってくる気配もないままに、どこかからか、攻撃に晒される。

 敵は我々を待ち構え、幾重ものトラップも用意し、行く手を遮る。


「シャイアン司令官がやられたらしい!」


 唐突なその噂に、100人程にまで減った部隊全体に、動揺が広がった。

 幸いにもまだ被害が少ない俺達の小隊もそれは同様だったけれど、命令が無い以上、その場を離れる訳にはいかない。


 俺はアイラを守りたい一心で、意識して彼女の傍にいた。

 彼女は彼女で、俺をかばうように、旧式の自動小銃を前方に向けて構えて、常に俺の少し前を歩いた。


 やがて夜の闇が訪れて、視界が利かなくなった。

 進軍を中止して、その場で姿勢を低くして過ごす。

 敵に見つかるため光は一切使えず、声も出せない。


 この闇の中でも、どこかに敵はいる。

 五感に神経を集中させて、注意深く辺りに気を配る。


 ――?

 微かに、耳に伝わる違和感。

 アイラがいる、少し向こうの方から。


 一瞬、何かが光るのと、風の揺らぎを感じて。

 声には出さずに俺はアイラを突き飛ばして、その向こうへ疾駆した。


『ガス!』


「ぐあああ……」


 一瞬の交錯があって、肉と何かがぶつかる鈍い音と、苦痛を伴ったうめき声が上がった。


「シュリ!」


 アイラが立ち上がって、俺の方へと駆け寄った。


 俺は地面に両膝を付いて、肩に軍用ナイフが刺さってのたうちまわる兵士を見やっていた。

 それは、俺が無我夢中で突き立てたナイフだ。


 それを目にしたアイラはその兵士に飛びかかり、彼女のナイフを相手の胸の辺りに、深々と突き刺した。


 俺は震えが止まらなかった。

 目の前でたった今、人が死んだんだ。

 しかもそれは、アイラのか細い手によって。


 そんな俺をアイラは両手でしっかりと抱きしめて、耳元で小さく、


「ありがとう、守ってくれて」


 と囁いた。


「こんなとこ、あなたには見せたくなかったけれど……」


 そんな言葉を口にしながら、彼女は涙を流して、俺の軍服を濡らした。

 そんな彼女を抱き返して、これが戦場なんだと、できるだけ冷静であろうとした。

 でなければ、次はアイラや自分が、向こう側になって地面に転がることになるのだ。


 これが、俺が人を傷つけた、最初の経験となった。


 夜が明けて戦況が明らかとなり、アポカリスには全軍撤退の指示がでた。

 指揮官が死に、その他死者41名、負傷者56名。


 敵にはその数倍の損害は与えているものの、実質には全滅ともいえる大敗だった。

 これが、俺の初陣となったんだ。


 それからも俺はアイラや他の仲間等と各地を転戦して、幾度も血と泥の海の中を這い、地獄の業火に焼き尽くされそうになりながらも何とか生き残り、入隊から3年を超える頃には、仲間も増えていた。


「お前、敵はさっさと殺さねえと、危ねえぞ?」


「いや、俺は殺したくない。敵味方とはいえ、元々は同じこの国の人間なんだろ? 戦えなくするだけで充分だ」


 ネズミ男カシムの質問に、俺は自分の思いを乗せて返した。


「まあそのあたり、甘ちゃんのお前らしいけどな」


 カシムの隣に座る大柄のヨハンが、にこやかに言葉をつなげてから、急に変な質問をしてくる。


「ところでお前、アイラと仲がいいみたいだけど、もうやったのか?」


「は? 何だそれ? 何をやるっていうんだ?」


「男と女がやるって言ったら、一つだろうが?」


 これは多分、いわゆる『エッチ』のことを言ってるんだろうな。


「いや、俺とアイラは、そんなんじゃないよ」


 そう応えると、今度はネズミ男カシムが噛みついた。


「もったいないねえ。あのなお前、俺達は、明日のお日様が拝めるかどうかも、分からん身分なんだぞ? やれることは直ぐにやっとかないと、後悔するぞ? あーあ、俺が代わりにやれればなあ……」


 何を卑猥なことをと訝しく思っていると、俺のすぐ横にいたもう一人の男、白面でイケメンのファーレンが口を開いた。


「もう、告白くらいはしたんですか?」


「は? 何を言ってんだよ。そんなのないよ」


「それはいけませんねえ。言葉にしないと、伝わらないこともありますからね。そうだ、そんな貴方には、人と仲良くなれるいい方法を教えましょう」


「え? そんな方法、あるのか?」


「簡単ですよ。『大好きです』って、伝えればいいんです」


「何だよそれ? そのまんまじゃないか?」


 そんな俺の反論に、ファーレンはチッチと口を鳴らしながら、指を立てる。


「好意を表わされて、嫌な気になる人はいませんよ? 交渉事でも、恋愛でも。『大好き』は、魔法の言葉ですから。だから、いつでも使えばいいんです」


「おお、そう言えばお前、町の女の子に人気だよな? それも、その方法によるのか?」


 ネズミ男カシムがそう食いつくと、ファーレンはけんもほろろに突き放す。


「あれは、何もしていませんよ。向こうが勝手に、寄ってくるだけで」


 それって結局、ファーレンのような色男がやるから、意味があるんじゃないのか?


 でも、アイラともう少し仲良くなれるのなら、試してみる価値はあるかもな。


 その夜、町に帰った俺は、いつもの通り酒場で手伝いをした。

 アイラも客達に歌を披露してから、ほっと一息をつく。


「お疲れ様、シュリ」


「いや、それはアイラの方こそ。疲れていない?」


「少し…… でも、私の歌を聴いてくれる人には、少しでも元気になって欲しいから、大丈夫」


 苛烈な軍務と酒場の仕事で、疲れていない訳はない。

 けど彼女は、そんなことは、ほとんど口にしないんだ。


「頑張り屋だな、アイラは。俺はそんなアイラのこと大好きだけど、たまに心配になるんだ。だから俺にだけは、しんどい時にはそう言ってくれよ」


「え……ええ、ありがとう……どうしたの急に、シュリ?」


「いや別に。大好きなアイラのことが、ちょっと心配になったんだよ」


「あの、シュリ……そういうのは、もっと、静かなとこで言ってもらえた方が、嬉しいんだけど……」


「そうか……? なら、そうするよ」


「……でも、ありがとう……」


 頬をぽっと赤らめながら、恥ずかしそうな仕草を見せるアイラに、俺の心も躍った。


 そんな日からしばらく経ってから、俺はアポカリスの現指揮官である、グレッグ大佐から呼び出しを受けた。


 彼の前で慇懃に敬礼をして、


「シュリ・トウドウ少尉、ただいま参りました!」


「よく来た、シュリ。今日から君を、アポカリス副官、少佐に任命する」


 は? よく聞こえなかったんだけど……?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る