第68話 追憶6 独房での会話

「待ってくれ!」


 アイラが独房の鍵穴に手を掛けようとするのを、俺は咄嗟に止めた。


「シュリ、時間が無いの」


 彼女は優し気に笑みながらも、その目は笑っておらず、微かに揺れている。


「これって……外の見張りに、聞かれたりバレたりするとまずいだろ?」


「……大丈夫。上手に話してから、今は何処かに行ってもらっているから」


 何をどうしたらそうなるのか分からないけれど、この時にアイラが話した見張りは、名前がカシムだという事を、この後直ぐに知ることになる。


「駄目だアイラ。そんな事をすると、君がどんな目に遭わされるか分らないだろ」


「……私は、多分大丈夫だから……」


 俺を心配させないためか、精一杯の笑顔をくれるアイラ。

 けれど、ぐっと握り締めた手が、小刻みに震えている。

 きっと内心では、不安でいっぱいなのだろう。


 彼女は、見ず知らずの俺を、仲間の反対を押し切って助けて、ずっと手当をしてくれた恩人だ。

 そんな人を、危険な目には、遭わせられない。


「それよりアイラ、俺に、君のことを聞かせてくれないか?」


「……私の、こと……?」


「ああ。君が何故、あの酒場で歌を謳っているのか。なぜ、ここにいて軍服を着ているのか。そして、何故、俺のことを、良くしてくれたのか?」


「そんな……本当に、時間が無いのよ、シュリ……」


「いいから。俺は、その方がいい」


 精一杯の笑顔を作って彼女に送ると、逡巡の間を経てから、彼女はゆっくりと語り出した。


「私は貧しい家の子で、4人兄弟で一番上なの」


 彼女の家だけじゃなく、この国の普通の家庭は、貧困に喘いでいる。

 そんな中でも、彼女の両親は身を粉にして働いて、彼女に学を付けてくれた。

 

 そうした学びの中で、彼女はこの国が抱える、沢山の矛盾や理不尽に、気づいたのだという。

 一部の者だけが富を独占して、一向に縮まらない貧困格差、貧民層に向けられる言われなき差別の目、それらを容認して変わろうとしない社内制度。

 このままだと、彼女の弟や妹はとうてい、幸せな未来を歩むことはできない。

 そんな感情が心の中の大事な部分を占めたのだという。


「それと、もう一つ理由があるの」


「どんな?」


「弟が、政府軍の連中に拷問されて、殺されたの。言われないスパイ容疑でね。それもあって、私は今、反政府軍の兵士をしているの。いつか、妹達が幸せに暮らせる国ができるためにね」


 普段の温和な彼女からは、想像もできない程、重たい過去と決意だ。

 そんな彼女をそこまでさせた理由が、そこにあったということなのだろう。


「あのフェリエの村はね、私達のカムフラージュのための場所でもあるの。私は昔から歌が好きだったから、酒場で歌わせてもらっているのだけど」


「なあ、アイラ。何で、俺のことを、助けてくれたんだ?」


「……それは……あなたがどこか、死んだ弟に、似ていたからかもね」


 そこまで話して、アイラはほっと息をついて、口元を緩めた。


「さ、もういいでしょう? 早くここから――」


 そう言いかけた矢先に、バンッ! と小屋のドアが開いた。

 そこには、やせっぽちで、ネズミのように前歯が突き出した男が立っていた。


「カ……カシム……」


「アイラ……お前、ここで、一体何を……?」


 静寂の夜の闇の中で、驚きの表情を送りあう二人。

 

 そんな中、カシムと呼ばれた男が瞬時にはっとなって、後ろに眼をやった。


「まずい、アイラ。それをよこせ!」


 小声だけれど、有無を言わせない覇気を含んだ言葉を発して、その男はアイラの手から、鍵束をもぎ取った。


「何だお前ら、ここで何をしている!?」


 小屋の中に懐中電灯の光が舞い、詰問の言葉が飛んでくる。


「何だそれは、独房の鍵じゃあないのか?」


「はっ、中尉殿。その通りであります。この男が余りにも無礼極まりないので。我が軍のことを侮辱したり、アイラ伍長にいやらしい言葉を投げたり。あまりに腹が立ったので、制裁を加えてやろうかと、思った次第であります!」


 ネズミ顔のカシムはそう言い切って、直立不動の体制をとった。


「貴様……気持ちは分るが、許可もなく……いや、まあいいか。その男は、どうせ明日には銃殺だ。この際、大目に見てやろう」


 中尉殿と呼ばれた男は、慈悲の欠片も無い冷たい視線を、俺達の間に巡らせた。


「はっ! ありがとうございます!」


 懐中電灯を持った中尉殿は、そのままこの場から去って行った。


「カシム……」


「……全く……これで、貸し一つだぞ、アイラ」


 ネズミ顔のカシムは微かに笑いながらそう言葉にして、独房の鍵を持って外へ出て行った。


「ごめんなさい……逃げられなくなっちゃった……」


 アイラはしゅんと肩を落として、力なく呟いた。


「いや、いいんだよ。アイラが危ない目に遭ってまで逃げたいとは、俺は思わないよ」


「でも……このままじゃ、シュリは……」


「そうだな……」


 万事急須かもしれないけれど、このまま黙って、殺されたくはない。


 それに、アイラと話している内に、俺の中で、言葉にはしづらい高揚感が、沸き上がっている。


 ―― もう少し、彼女と一緒にいたい。

 俺のためにここまでしてくれた彼女のために、何かがしたい、


 そんな感情だろうか。

 正義の味方気取りか? いや、それは少し違う。


「明日、大佐と話をしてみるよ。うまくいくかどうかは、分らないけど」


「私は……シュリが死んじゃうの、嫌だ……」


「俺だって嫌だから、やれるだけのことは、やってみるよ」


「……うん。分かった」


「なあ、アイラ。よかったら、君の歌を、聴かせてくれないか?」


「え? 私の歌?」


「うん。聴いておきたいんだ」


 もしかすると、もう聴けなくなるかもしれない、澄んだ優しい歌声。

 それを胸の中に、刻み付けておきたかった。


「分かった」


 それから彼女は、夜が更けていくのを忘れたかのように、たくさんの歌を、殺風景で小さな独房の中で、俺だけのために歌ってくれたんだ。



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