第66話 追憶4 出逢い

 俺とアイラとの出逢いは、5年ほど前に遡る。


 気付くと、見慣れない部屋の木目の天井をぼんやり見上げていた。

 頭が割れるように痛い。

 目が上手く開かず、体を動かそうとするとそこかしこで激痛が沸き起こり、寝返りもままならない。

 両の手には包帯がぐるぐる巻きにされている。


 どこだ、ここは? なぜここに?

 考えても、何も思い出せない。

 起き上がることも声を上げることもできないままで、思案に暮れる。


 狭い室内を首だけを動かして見回していると、静かにドアが開いた。

 そこから入って来たのは女の子。

 両手で布のような物を抱えて、金色でふさふさの髪の毛を揺らしながら、カツカツと中に入って来る。


 年は同じくらいだろうか。 

 俺と目が合うと、瑠璃色の大きな目を見開いて、口の端をぐっと揚げ、白い歯を見せた。


「良かった、気づいたのね!」


 俺の脇で腰を低くして、嬉々とした表情で話しかけてくる。

 が、言葉が分からない。


 じっと黙っていると、彼女は少し考えてから、違う言葉を発した。

 どうやら英語のようで、何となくだけど意味が分かる。

 こちらも、かたことの英単語で言葉を返す。


「……ここは……?」


「フェリエって街よ。あなた、3日間、ずっと寝ていたのよ」


「どうして、ここに……?」


「私が連れてきたのよ。森の中で倒れていたから」


「森の、中……?」


「……覚えていないの?」


 心配そうな目を向けて、静かに優しく問いかけてくる。

 思い出せない、何があったんだ。

 俺はなぜここに…… 

 自分の名前以外、分らない。


 俺に配慮してか、彼女はゆっくりと、はっきりした発音で語りかける。


「あなた、傷だらけ倒れていたの。落ちた飛行機の近くでね」


「飛行機……落ちた……?」


「ええ。その飛行機に乗っていたか、墜落に巻き込まれたんじゃないかしら」


 ……なんのことを言っているんだ、一体?

 空っぽの頭の中をいくら探してみても、何も見つからない。


「すまない……何も思い出せないんだ」


「そう……名前も分からない?」


「名前は……藤堂珠李。シュリ・トウドウ……」


「私はアイラ。アイラ・シュトラよ。よろしくね」


 これが、俺とアイラとの出逢いだった。


 アイラはその後も、俺の身の回りの世話を、かいがいしくしてくれた。

 包帯を変えたり、着替えさせてくれたり、食事を運んできてくれたり。

 上手く歩けなかったので、トイレの手前まで、肩を貸してくれたりもした。

 どうやら俺は、古い酒場の二階にいるらしかった。


 夜になると、階下が騒がしくなる。

 音楽が流れてきて、綺麗な歌声が燦燦と流れてくる。

 俺はベッドの上で横になって、ぼんやりと耳を傾けていた。


 それから二週間程経つと、一人で寝起きできるようになった。

 散歩のために外へ出ると、通りの向こうから、大柄な男が歩いて来た。

 俺と目が合うと、驚いたようなそぶりで、顔をしかめた。


「お前……あの時、倒れていた奴か?」


「え……あ、はい。多分」


 アイラからは、仲間と一緒に森の中を散策していて、俺を見つけたと聞いた。

 だから、この人は、その中の一人なんじゃないかと思った。


「そうか、回復したんだな。彼女…… アイラには感謝するんだな。彼女がお前を連れて帰るって言い張らなかったら、お前はその場で置き去りで、死んでいたんだ」


 聞き取りにくい英語だったけれど、多分そんなことを話している。 

 そう冷やかに言葉を落として去って行った男は、後にハシムという名前であることを知る。


 体が順調に回復してきたので、世話になったお礼を兼ねて、酒場での手伝いを申し出た。

 モネという名前の小太りの女の人は、それを快く受け入れてくれた。


 そこで、アイラの歌声を、初めて聞いたんだ。


 ―― あなたは今どこにいますか

  

 ―― 私はもうじき旅立ちます


 どこか物悲しい旋律が、秀麗な歌声で紡がれて、耳に流れ込んでくる。

 彼女はこの酒場での、人気の歌い手さんなのだ。

 その酒場は毎夜満員で、陽気な声で満ち溢れていた。


 それから更に1週間程が過ぎたころ、俺は一人で外に出た。

 自分が今どこにいるのか、それが知りたかった。

 アイラやヨハンからは、ルイジェリアという国の中にある、小さな町だということを聞いた。

 けど、ここからどうやったらどこに行けるのかとかは、細かなことはまたおいおいねと、教えてくれない。

 

 町を抜け出して、街道沿いを散歩気分で歩く。

 陽気の良さにつられて、つい遠出をしてしまった。

 

 不意に、不穏な空気が俺を包む。


『グルルルル……』


 動物の唸り声? 近づいてくる。

 脇の茂みから、犬か狼に似た動物が何体も現れて、俺を取り囲んだ。


 そうだここ、アフリカの真ん中だった……

 飛びかかられて、必死でそれを払いのけながら、逃げまどう。

 動物に追われていつしか街道からは離れて、原野や森の中を走り回った。

 木の上に昇ってどうにかやり過ごして。


 あれ? ここはどこだろう?

 気付けば、鬱蒼とした森の中。

 方向も分からないまま、当てもなく、草木を掻き分けて歩き回る。


 まずい、また遭難するかも……

 そんな危機感を抱き、喉の渇きに耐えながら、二昼夜かけて脚を進めた。

 それでも、目の前に現れるのは、雑然とした草木だけ。

 

 だめだ…… ここで死ぬのか……

 そう思いかけた刹那、遠く目の前に、小屋のようなものが見えた。


 ―― 助かったかも。

 残り少ない体力を振り絞り、夢中でそちらへ急ぐと、小屋の中から男が現れた。

 迷彩服を着て、銃のようなものをこちらに向けて、何やら大声を上げている。


 ―― よく分らないけど、撃たれたらシャレにならない。

 そう直感して、両手を挙げて、大声でなけなしの英語力を発揮した。


「怪しい者じゃありません。道に迷いました。助けて下さい!」


「……来い!」


 男に後ろから冷たいものを突き付けられながら、森の中を行く。

 すると、いくつもの小屋や建物が点在する場所に出た。


 その中のひと際大きな建物の前に連れていかれ、その男は門番らしき兵士に向かって言った。


「あやしい者をとらえました。処置について、指揮官殿にお伺いしたい」


 そう言葉をかけられた兵士は、冷徹な眼を気怠そうに俺に向けて、ふっと鼻で笑った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る