第65話 追憶3 町の歌姫

 森の中の基地で普通の服に着替えてから、車に揺られて、人が行き交う街道に出る。

 そこを進むと森が開けて、土づくりの小さな家々が建ち並ぶ場所に出た。


 そこはフェリエという小さな町。

 とはいえ活気はあって、町の真ん中には泉の広場があって、通りには露店や商店が立ち並ぶ。


 ところどころに、爆破によって破壊されたとおぼしき建物の残骸が放置されているけれど、道行く人々の顔には笑顔もあって、この国の中では比較的落ち着いた場所だ。


 駐車場で車を降り、ハシム、ヨハン、ファーレンとは別れて、アイラと二人で町を行く。

 すると二階建の、この町にしては大きな建物が見えてきて、表のドアには『ミュゼア』と英文で書かれた看板が掲げられている。


 中に入ると、太目の女の人と女の子が二人、床掃除や戸棚の皿の整理をしていた。


「だだいま。モネ叔母さん」


 アイラが元気よく声をかけると、モネと呼ばれた肥沃な体格の女性は、丸い顔に皺を作った。


「ああ、アイラお帰り。おや、シュリも。元気で何よりだね」


「ただいまモネさん。荷物を置いたら、店の準備を手伝いますね」


「ありがとう、いつも助かるよ」


 そこは酒場。

 質素な木のテーブルと椅子がいくつか並び、カウンターの奥には皿やグラスが、綺麗に並べられている。

 奥まった場所には一段高くなった場所があって、歌を歌うための機械が置かれている。


 アイラと一緒に階段を上がって、「じゃあ、また後でね」と声をかけ合って、互いの部屋に入った。


 四畳半ほどで、ベッドとタンス以外は何もない小さな部屋の窓からは、表通りの雑踏を見下ろせる。


 荷物を床に下してから、階下へ直行して、店の開店前の準備を手伝う。

 男手は俺一人なので、重たい食材やら酒瓶やらの搬入作業や、高い場所の清掃とかを主に請け負う。


 太陽が西の空に傾いてきたあたりで、モネ叔母さんがドアにOPENの札を掲げる。

 すると、ちらほらと、客が集まってきた。


「女将い、オムレツとビールを頼むわ!」


「俺はウォッカと、チーズだ!」


 目下内戦の最中ではあるし、決して裕福な町とは言えないけれど、この酒場は老若男女を問わず、憩いの場になっている。


 暗がりが通りを埋める時間になると、店の中は更に活況を呈していく。

 テーブルもカウンターも満席で立ち飲みも目立ってきた頃、


 コツコツと階段から音がして、真っ白い素足が降りてくる。

 それまで賑やかだった酒場が一瞬しんとなり、直後で歓声が湧きたつ。


「いよお、待ってました、アイラちゃん!」


「今日も可愛ねえ、最高だよ!」


「きゃ~、アイラちゃん、素敵い!!」


 黄色のドレスに身を包んで、長い金髪を後ろで組み上げて、唇には鮮やかな紅をさしたアイラが姿を見せると、酒場の中の活気は一気に跳ねあがる。


「みんな、今日もありがとう! 精一杯歌わせてもらうね!」


 アイラはステージに上がると、脇にあった機械からマイクを手に取る。

 店の女の子が機械を操作すると、軽やかな音が流れて、それにアイラが声を乗せる。

 いわゆる、カラオケの古いものだろう。


 いつ聞いても、透明な風のように、澄みわたった綺麗な声だ。

 昔と、なにも変わらない。


 曲に合わせて、観客は立って応援したり、談笑しながら曲に耳を傾けたり、静かに聞き入ったり。


 何曲かの後、物静かでどこか悲し気な旋律が流れてきた。

 

 ―― この曲か。

 俺がアイラと出会って、最初に聞いた曲だ。


 酒場全体が静寂に包まれる中、彼女は赤い唇の間から、透き通る声で音を奏でた。


 ―― あなたは今どこにいますか

  

 ―― 私はもうじき旅立ちます

 

 ―― 崩れそうだった私を

    見つけてくれたあなた


 ―― 幸せな日々を一緒に

    過ごしてくれたあなた

 

 ―― たくさんの思い出をありがとう

 

 ―― 神様どうか、私に翼をください

 

 ―― 小さくていいから

 

 ―― 言い尽くせない想いだけ鳥に

    なって、蒼穹の空を舞えるように

 

 ―― ずっとあなたの傍にいて

    守っていたいから


 じっと聞きいる者、目尻をハンカチで押さえる者、表情を変えずに黙ってグラスと語る者……


 この国は貧しい。

 遠くに出稼ぎに行ったまま会えない家族、兵士となって戻ってこない恋人や友人……

 大切な人に会いたくても会えない、そんなことが珍しくない。

 インフラが未整備でもあり携帯電話も普及していない。

 そんな会えない誰かを想って、いつしかこの辺りで謳われるようになった歌だという。


 歌が終ると、しんとした酒場から1つ、2つと拍手が湧き、いつしかそれは大きな喝采となって、ステージに立つアイラを包んだ。


 彼女はこの酒場、いや、この町の歌姫なのだ。

 町にいる時には一日二回、ここで彼女のステージが催される


 軍務にもついている彼女は、ずっとここにはいない。

 だから彼女が戻って来た時には、すぐにそれが広まって、大勢の聴衆が集う。


 ステージが終ると、彼女も客に交じって談笑し、一緒に杯を酌み交わす。

 気さくで屈託のない笑顔が、その場にいる誰をも癒す。

 まるで、民衆の中に舞い降りた天使のようだ。


 夜が更けて客の姿がまばらになった頃、裏で食器の片づけをしている俺の元に、アイラがやって来た。

 2つのステージをやりきった後のためか、少し疲れた目をしている。


「お疲れ様、シュリ」


「アイラの方こそ。今日は疲れたんじゃないのか? 軍務から帰って、いきなり歌と給仕だろ?」


「平気よ。ルキア行きの相談をしないとね」


「そうだな。けど、それは明日にしないか? 今日は久しぶりに、自分の部屋のベッドで、横になるのもいいだろう」


「……だったらさ、この後少し話さない? ずっと二人きりになれなかったし」


「ああ、いいよ」


「良かった。じゃあお酒くすねて、シュリのお部屋行くね?」


 アイラは長い睫毛の下の瑠璃色の瞳を輝かせて、頬を緩めて白い歯を見せた。



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