第63話 追憶1 暗闇の中の光

「右前方から敵多数。暗くてよく分かりませんが、2個中隊規模かと思われます」


 双眼鏡と暗視スコープを手に持って、恰幅のいい男が、羽虫の羽ばたきのようなかろうじて聞こえる声で話しかける。

 口元には見事な髭を蓄えて、温和な笑顔を湛える。

 身を屈めてヘルメットを被り、緑と黒の迷彩服を着ている。


 灯りは全くなく漆黒の闇が辺りを覆い、鬱蒼と茂る森の中、月の薄明りだけが、俺達を照らす。

 流れる風に煽られて木々が発する葉音、それに敵が進軍してくる雑音以外、何も聞こえない。


「どうします? 我々の任務とは、直接関係はないですけどねえ?」


 やせっぽちで眼鏡を掛けたネズミ男のような奴が、面倒くさそうにほのめかす。


 どうしたものかな……

 ぼんやりと思案していると、すぐ脇にいたもう一人の男が、口を開いた。


「やり過ごしましょう。我々任務は、北上して敵前線司令部を破壊することと、指揮官の殺害です。ここで一戦すると、我々の存在がばれてしまいます。そうすると、作戦行動に支障が出ます」


 もっともな意見だ、だが。


「今、わが軍の本体が、敵補給基地に向けて進行中だ。ここで奴らの行動を許せば、友軍が横腹か背中を突かれることになる。そこが負ければ、我々の撤退も、おぼつかなくなるな」


「そーですねえ。でもそれくらい、あいつらで何とかしてもらったらいいのでは? こっちはいつも、奴らの尻ぬぐいばっかりしているのだし」


 と、ネズミ男が、ご自慢の刃渡り20センチほどの、軍用ナイフに見入りながら喋る。

 にやにやと嫌らしく、ナイフの光沢に、目を奪われて陶酔している感じだ。


「そうだな。けれど俺は、お前らが危険な目に遭うのが忍びない。眼前の敵がいるなら、それを排除しないと、安心して先に進めないだろう。それに本体の奴らが、あの別動隊を駆逐できるとも思えない。だから……」


 一呼吸置いてから、俺は周りにいる連中に、手短に指示を出した。


「ハシムの隊は右、ヨハンは中央だ。夜陰に凪れて、片っ端から敵を殲滅しろ。その後に北上して、任務を遂行する」


 俺の言葉に、双眼鏡を携えたハシムと、ネズミ男ヨハンが、やれやれといった顔で、首を縦に振る。


「副官、相手は二個中隊、ざっと400人ですぜ。それを我々100人足らずで、殲滅ですかい?」


 夜間での予期しない遭遇である。

 正確な敵の数など分らない。

 けれど、やるしかない。


「そうだ。敵を殲滅して、友軍の作戦行動を支援する、ついで前進して、本来の任務を遂行するのだ」


「相変わらず、無茶を言いますねえ、けど副官なら、そう言うと思ってましたよ」


 ハシムが双眼鏡をしまいながら、サイレンサー付きの銃を、顔面の横に翳した。


「はい、りょーかいです。じゃあ、持ち場に戻りますねえ」


 ヨハンが後ろ頭で両腕を組んで、この場からフラフラと去って行った。


「シュリ、私はどうしたらいいの?」


 少し離れた場所からこちらに歩を進めて、優しく声を発する小柄な少女。

 俺達と同じ、くすんだ色合いの迷彩服を着て、肩には旧式の自動小銃を掛けている。

 暗闇の中でも彼女だけは、光りを放っているのではないかと思う。

 青白く浮かぶ白い肌、それに、隆々たる質感を蓄えた黄金の髪。

 その子供っぽい笑顔にしばし時間を奪われてから、はっと我に返って、言葉を発した。


「アイラは左を頼むよ。俺とファーレンは中央の後ろで散開して、打ち漏らしをやるから。けど、出来るだけ命は奪わないように。戦闘能力か、闘う意志が無くなれば、それで十分なんだ」


「分かってるわよ、いつも通りね? マーシーズ・レッド」


「ああ、それで頼むよ」


 この国は今、敵である政府軍と、自分がいる反政府軍とがあって、国を二分しての内戦の最中だ。

 軍人のみならず、普通の女子供を含めて毎日、痛ましい犠牲者が出ている。


 早く終わらせないといけない、こんなことは。

 いつもそう思っている。


 それに、敵軍であっても、同じこの国の人間なんだ。

 この血みどろの内戦が終わったら、この国を支える人材になるのだろう。

 だから、むやみに死んで欲しくない。


 そんな思いがあって、部下達には、「自分と友軍の命が危ない時以外は、相手を殺すな」


 と命じてある。


 極限の戦場においては、これは難しい注文だ。

 やらなければやられる、それが鉄則であって、兵士が現場で闘う理由でもある。

 そのためには、敵はあっさりと屠った方が、よほど楽なのである。

 中途半端に生かしておくと、反撃をされる可能性があるし、捕虜として連行すれば、国際条約の則った処遇をしないといけない。


 これは、必ずしも、反政府軍内部では良くは思われていない。

 捕虜収容所が満杯になるし、食費その他も、馬鹿にならないのだ。


 けれどそれは今だけ。

 これからの将来、若い人材は絶対に大事になる。

 そう思って、部下たちには命令している。

 無論、俺自信は、人を直接殺したことはない。


 そんな中俺はいつしか、慈悲の赤、マーシーズ・レッドと、周りから呼ばれるようになっていった。

 全身を返り血で朱に染めながらも、決して敵の命は奪わない、そんな噂が駆け巡ったのだろう。


「自軍、敵と接触します」


 側近のファーレンが、冷静に状況を伝えてくれる。


 俺は耳がいい。

 遠く離れた場所での死闘の様子が、耳に流れてくる。


 数が少ないとはいえ、こちらは精鋭だ。

 ルイジェリア反政府軍特殊部隊アポカリス、である。

 政府軍に対して最も多くの損害を与え、一騎当千と謳われる部隊。


 パパパ……と乾いた銃声が静寂の中でこだまし、肉と肉がぶつかり、何かが醜く裂ける音がする。


「……な……お前らどこから……」


「まさか……アポカリス……」


「いやだ、死にたくない……」


 前線から、兵士たちの怯えた言葉が届いてくる。

 けれど、命令の手は緩めない。

 一刻も早く、こんな戦争は、終わらせないといけないんだ。

 その想いを胸に抱きとめて、じっと戦況を見守る。


 寸刻が経過して、


「だいたい、やれたみたいですね。何人か、逃げ出したようですが」


 ファーレンの言葉を受けて、追加で言い放つ。


「捕らえるか、戦闘不能にしろ。これより、敵前線司令部を奇襲する」


「は……はい!」


 この夜、前哨戦の戦闘を終えて、本来の目的であった、敵前線司令部に雪崩れ込んだ。

 敵指揮官は拘束、他の幕僚や兵士達も、縄で括った。


 この日の戦闘で死者は3名、負傷者多数。

 全て相手方の損害である。


 こちらは軽傷の兵士が2名のみ。

 圧倒的勝利といっていいだろう。


 特に感慨も湧かずに、大勢の捕虜を後軍の方に引き渡して、隊の駐屯地を目指す。


「お疲れ様、シュリ」


 金髪の少女アイラが、労いの言葉をかけてくれる。


「姉さん、俺達も、頑張ったんですけど……」


 軍服に返り血を浴びたハシムとヨハンが、甘えた猫のようにおねだりをする。


「はいはい。じゃあ、頭くらいは、撫でてあげるわよ」


 アイラに頭を撫でられて、ハシムもヨハンも、昇天してしまったように、白目をむいている。


 今日の任務は終わりか。

 自軍に犠牲者が出なくてよかったな……


 そんなことを思いながら、まだ日が昇らない星空の下、ほっと一息をついた。



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