第61話 お姉さんと弟

「何か飲む?」


「じゃあビールで」


 こんな普段の掛け合いも、どことなく静かで、冷めた空気を感じる。

 気になって、ビールや料理が運ばれきてから、こちらから問いを投げ掛けた。


「豊芝さん、今日の御用は?」


「それよりも、珠李君の方は? そっちから連絡が来るなんて、珍しいから」


 そう言ってくれるのなら――

 御言葉に甘えて、こちらからの頼み事を口にした。

 『GOKUMON』の情報が、手に入らないかというお願いだ。


 事情を一通り話すと、豊芝さんは、雲った表情を更に暗くさせた。


「珠李君、それを知って、何をするつもりなの?」


「話し合いに行くんですよ。もう俺の友達には手を出すなって」


「話し合いって……そんなの、危なすぎるでしょう?」


 確かにそうだろう。

 けど何となくだけど、自分なら何とか、できそうな気がするんだ。

 言葉に真剣さを乗せて、豊芝さんに再び投げ掛けた。


「豊芝さん、何故だか分らないけど、俺はあんまり怖くないんです。変な自信があるっていうか。それに俺多分、喧嘩は相当強いんです。最近何回かあって、あっさり勝ちましたから。でも、その理由がよく分らないんです。やっぱり、俺の過去に関係しているんじゃないかと……」


「……珠李君……」


 困ったような表情で、口元を真一文字に結ぶ豊芝さん。


「ごめんなさい。私から話してあげられることは、多くはないの。それに貴方には、危ないことは、して欲しくないわ」


 そこまで話をしてから、


「でも……そっか、うん……」


 彼女は一人で、何かを考えて、口ごもっている。


「珠李君。こちちらからもお願いがあるの。それに必要は範囲でなら、応えるわ」


「お願い、ですか。一体どんな?」


「ルイジェリア政府やその関係者からコンタクトがあっても、何も話さないで欲しいの」


 何かを決意したような、きりりと張りつめた顔で、そう伝えてきた。

 事情は分からないけれど、何かがあったのだとは、容易に察しがついた。


「ルイジェリアの件で、何か動きがあるかもしれないってことですか?」


「もしかすると、だけどね」


「もし話をしてしまうと、どうなるんですか?」


「……この国に、いられなくなるかも」


 ただ事ではないのかなとは感じていたけれど、この言葉は鉛の銃弾のように、俺の頭を撃った。


「どういう事ですか、一体?」


「……覚えていないだろうけど、あなたの昔の知り合いがこの国に来たの。もしかすると、あなたに会うためかもしれないわ。だとすると、ルイジェリアに戻って欲しいとか、そんな話になるのかもしれないの」


「昔の、知り合い……」


 豊芝さんの口ぶりから、理解できた。

 やはり俺は、その国にいたのだ。

 しかも、今は記憶の外にいる知り合いが、そこにいる。


「その人、誰なんですか?」


 豊芝さんは唇を噛みながら、絞り出すように言葉をつなげる。


「それはね、あまり言いたくないの。でもね…… あなたが強さを持っているのだとしたら、それはきっと、ルイジェリアでの経験によるものね。でもそれは、今はあまり使って欲しくないの。折角日本に戻ったんだから、平和に暮らして欲しい……」


 何度も自分に投げた問いの答えが、一つ見えた気がした。

 俺はアフリカの国で、恐らくは名前も分からない者達と一緒に、過ごしていたんだ。それも、恐らくは……


「豊芝さん、俺は、軍にいたのではないかと思うんです」


「……珠李君……お願い、それ以上は言わないで。とにかく、大人しくしていて欲しいの」


「でないと、ルイジェリアに送還されるかもってことですかね?」


「……」


「豊芝さん、俺、5年前に飛行機事故に遭ったそうですね? アフリカで」


「……どうして、それ……?」


 意表を突かれたことと、内容の深刻さに、豊芝さんの表情が、氷のように冷たくなっていく。


「俺の幼馴染が、話してくれました。多分俺は、その辺りからアフリカにずっといて、何かしらの理由で、そこの記憶が無いんです。でも、俺が日本大使館前にいた時の服装は、明らかに軍装です。だからそう考えると、辻褄が合うんですよ」


「……珠李君……」


 応えはない。

 けれど、それで何となく理解できた。

 昔のことははっきりとは分からない。

 けれど、何か理由があって、豊芝さんは俺とここにいるんだ。

 でないと、彼女のような人が、俺をかまう理由がないんだ。


「珠李君、大きな事故だったって聞いてるわ。当時の調査では、乗客乗員、全員が亡くなったって。でもね、貴方に出会ってから調べたのだけれど、貴方のお母さんは、貴方の死亡届を出していなかったわ。きっと、貴方がどこかで生きているって、信じていたのね。よく生きていてくれたと思うわ」


 そう言いながら豊芝さんは、俺に横顔を向けて、軽く自分の眼がしらを押さえた。


「豊芝さん、色々とありがとうございます。こんな俺のことを面倒みてくれて。きっと豊芝さんも、外務省の上の人達から、何か言われているのでしょうけど。でも俺は、豊芝さんのこと大好きです」


「珠李君……そんな、何を改まって……」


 慌てた素振りで、俺に目線を真っすぐに向けてくる。


「俺がここにいて何かすると、豊芝さんに迷惑がかかるんだとしたら、申し訳ないです。だから、これからは俺の責任で動きます。出来るだけ、豊芝さんに迷惑かからないように」


「珠李君! 私は、迷惑だなんて思ってないのよ。だから落ち着いて。ね?」


「ありがとう。でもこれは、俺の問題だ。GOKUMONとは話をしてみるし、誰か尋ねてきても、話を聞いて、きっちり断るよ」


「珠李君……お願いだから、何かあったら、すぐに知らせてね? 私は、あなたの味方だから!」


「はい、そうします。じゃあ、食べましょうか!?」


 いつもの元気がない豊芝さんに笑みを向けて、熱が冷めた料理の皿に手をかざした。


 そこから酒が進むと、彼女はようやくいつもの明るさを、幾分か取り戻した。


「なんか珠李君、学校楽しそうね? 先生と仲良さげだし、ガールフレンドもいるっぽいし」


「神代先生には、よくしてもらってますよ。この前は一緒に、お休みの日にご飯とか付き合ってもらったし」


「え…… それって、先生とデートしてるってこと?」


「いや、そんなのじゃないですよ。けど、一番話はしてるかな」


「珠李君は、同じ年くらいの女性の方が、タイプなの?」


 ……何だか、いつもの感じに戻ってきたなと、苦笑しながら。


「そうでもないですよ。夢佳……鬼龍院グループのお嬢様らしいけど、結構仲良くしてるし」


「鬼龍院……て、あのおっきな会社?」


「はい」


「ふーん。珠李君、隅に置けないのね。どっちが好きとかないの?」


「豊芝さん、飲み過ぎですよ」


「だって、気になるじゃない? お姉さんとしては」


 確かに豊芝さんは、俺とってはお姉さんのようなものかもしれない。

 事情は分らないけれど、知り合ってからずっと、俺のことを気に掛けてくれているのだ。


「どっちも好きですよ。どっちも綺麗だし、俺のことを良くしてくれるし。それに……」


「それに?」


「何か、思い出せそうな気がするんですよ。二人といたら」


 そんな俺の言葉に、豊芝さんは含みあり気に頬を緩めて、くっと杯を煽って。

 大切な誰かに送るような優しい目を、ずっと送り続けてくれた。




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