第59話 2つの激震
《以下、豊芝夏美の視点》
もう八時か、今日も疲れたな……
次月から訪問するアフリカ諸国でのアジェンダ案を作成し終えて、ひと息ついた。
このフロアは忙しい。
この時間にも拘わらず、煌々と光が灯っていて、あちらこちらで職員が走り回っている。
不夜城、と揶揄する職員もいるけれど、その通りかもしれない。
外務省に入省してから二年目、やっと仕事にも慣れつつあるけれど、思ったよりハードワークの連続。
日本にいる時のたまの休みの日に、スーパー銭湯でどっぷりと湯に漬かるのが、今の楽しみだ。
恋愛…… も興味はあるけど、今は仕事優先かなあ……
「豊芝君、ちょっといいか?」
上司からの呼び出しだ。
こんな時間から1ON1の打ち合わせは止めて欲しけれど、上司命令には逆らえない。
大部屋のフロアから一線を画された個室に足を踏み入れると、よれよれのスーツに身を包んだ上司が、窓辺に立って外の光景に目をやっていた。
いくつもの輝きが彩る夜の街、この部屋はそれを一望できるのだ。
「御用でしょうか?」
「ああ、まあ座ってくれ」
仕事用のデスクの前に鎮座する応接セット、そのソファに腰を下ろすと、上司はゆっくりと、目の前の席に歩を進めた。
「我々にとっては、良くない知らせだ」
そう言葉にしながらも、口元は不敵な笑みを浮かべている。
この人はいつもそうだ。
リスクや危機を、楽しんでいるんじゃないかと、思う時さえある。
「何かありましたか?」
「今日、ルイジェリアからの、入国者があった」
「……それが、どうかしましたか? 入国者なんて、沢山いると思いますけど」
「その人物が問題なのだよ。グレッグ・アンデルソン大佐……いや、今は准将か。知っているね?」
「……はい、もちろん。現ルイジェリア暫定政府の統合軍、そこの参謀府の次長ですよね?」
「そうだ。そして、旧反政府軍特殊部隊アポカリスの元指揮官だ」
「それが、何の問題があると?」
「……とぼけているのかね、豊芝夏美君?」
そう訝しみながらも、彼の口元は、冷たく歪んでいる。
……図星だ。
上司の言わんとすることは、何となく分かる。
けれど私には、あまり考えたくない内容だ。
「なんの目的での来日か、分らんかね?」
「それは……分かりかねますが」
「君の知っての通りアポカリスは、去る内戦時において、政府軍に最も多大な被害を与えたとされる精鋭特殊部隊だ。さらに言えば、かつてはテロを繰り返し、世界的にも非難を浴びた、悪名高い組織でもある」
「でも、ここ数年では、そういった過激なことは、やってないはずでしょう?」
「まあ、そうだな。だが、一度そういう道に踏み込んだ連中だ、なかなか過去のカルマは無くならんし、これから何をしでかすかも分らん怖さがある。我が国の国民にとっても、国家の安全保障上においても、それは無視できない」
「それは分りますが……」
口元だけを歪めながら、氷のようなひややかで冷徹な目を向けて来る上司に、どうしても怯んでしまう。
海千山千の管理職と、入省したての若手とでは、やはり経験も思惑も、漂わせる迫力も違うのだ。
「藤堂珠李、だったかな。彼に変化はないか?」
「いえ、特にはありません」
「そうか。我々としては、グレッグ・アンデルソンと彼とが接触することは、好ましくは思っておらんのだよ」
「彼は……藤堂君は、普通に暮らしています。今更何をそんな……」
「彼一人のことならな。だが、グレッグ・アンデルソンが彼を抱き込むようなことでもあれば、静観はしておれんのだよ。こういう時のために、彼の帰国の条件として、君を監視に付けたんだ。これは君の申し出たことだったよな?」
「……はい……」
「これから、彼の監視を強めて、何かあれば逐一報告するんだ。それから、公安や自衛隊情報部にもこの話は回っているから、あまり大ごとになると、奴らの方でも手を回すかもしれん。それは、我々では止めようが無いからな」
「我々の手の中で、収まるようにしろと……?」
「そうは言わん。我々にとっては、彼がどうなろうが知ったことでは無い。だが、この国の中で不穏な動きに加担するようなことは看過できんし、そのような危険性のある人物は、国外に退去してもらった方がよいのだよ」
「そんな……また、ルイジェリアに送り返すと?」
「無い可能性ではないな。だが、元々彼の入国には消極だった我々に、君が反対してこうなったのだ。今の判断はいつでも覆せる、それは分っているよな?」
「……はい……でも、彼も日本国民なのですから、それを守ることも、大事なのではないですか?」
「君が彼を、弟のように可愛がっていることは知っている。だが、これは高度な政治判断も必要なものだ。国家と国民の安全にとってな」
言い返せない。
恐らくこの話は上司単独のものではなく、もっと上の方や、他の組織にも行き渡っていることなのだろう。
私ができることは、珠李君がグレッグ・アンデルソンと接触しないようにすること?
でもそんなこと、どうやったら……?
「全く、厄介な爆弾が転がり込んだものだ。何とかしたいが、ルイジェリア暫定政府との関係維持のために、手荒なこともできん……しかし……」
上司が表情を少し緩めて、静かな口調で語る。
「藤堂珠李、か。写真で見たり話を聞いている限り、普通の青年なのだがな。幾万の敵を屠り、反政府軍を勝勢に導いたアポカリスの副官だったとは、今だに信じられんよ」
「それは、私もそう思います」
「しかも…… 現政権樹立の英雄、二つ名が『慈悲の赤、マーシーズ・レッド』…… 一体どんな戦歴を歩んで来たのか知らんが、このまま彼の記憶が戻らないまま、平穏に過ぎて行ってくれることを願うよ。もっとも、彼が全てを思い出して、ルイジェリアに戻るとか言い出したら、それこそ両国政府にとっては、望ましいのじないかね?」
「それは、彼が本当にそう望むならそうですが。でも、そうは思えないんです 彼はあの時、本当に日本への帰国を望んでいましたから!」
「ふっ、主観的だし、茶番だな。要件は以上だ」
「はい……」
深々と一礼してから、自分のデスクに戻って、帰り支度を始めた。
今日は仕事が手に着かない。
さっと帰って、珠李君に連絡を入れてみよう。
私なんかがどこまで力になれるのか、分からないけど……
◇◇◇
《以下、藤堂珠李の視点》
弥生との会食は、楽しかった。
彼女は意外と酒も強く、昔の思い出話やら、高校や大学での生活やら、沢山の話をしてくれた。
「珠李君は、あの人……神代、さんだっけ? 付き合ってたりしてないの?」
「してないよ、多分……」
「多分って……微妙な言い方ね」
そう言って、悪戯心があり気な目を向けてくる。
そう、あんなことはあったけど、多分……
「そういうお前はどうなんだよ? 誰かいい人、いるのか?」
「いや、今はいないよ。それより、大学と土屋先生のとこの仕事が、面白いかな」
そう話す彼女の表情は眩しくて、多分充実した毎日なのだろうなと想像するのに、十分だった。
弥生とはまた会おうねと約束してから、終電の前にさよならをした。
夜風に当たりながらスマホに目をやると、いくつもの着信やメッセージが届いていて、それはほとんどが未来からのものだった。
『珠李、ちょっと話せる?』
『手が空いたら連絡して』
『ねえ、何してるの?』
『お姉ちゃんが襲われたの』
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