第57話 落日の過去

「えっと……どちら様でしょうか?」


 女性三人に囲まれてどうして良いのか見当がつかず、とりあえず初対面のはずの女性に声を掛けた。


「あれ? 神谷さん、藤堂さんとお知り合いなの?」


 霧島さんからも彼女に対して、質問が飛ぶ。


「やっぱり、珠李君……?」


 じっと俺を見つめる瞳には、切実な陰が宿っている。

 歯の奥で言葉を噛み締めているように、神谷さんと呼ばれた女性は、問いを繰り返す。


 神谷―― あれ?

 どこかで聞いたことがある名前だなと、ふと思う。


「ああ、俺は藤堂珠李だけど?」


「……五年前に浦吉中学にいた、藤堂珠李君、だよね?」


 その中学校名には聞き覚えがある。

 俺も通っていた学校のはずだ。


「ああ、多分」

 

 神谷さんがその場でふら付いて倒れかかり、咄嗟に霧島さんが体を支えた。


「神谷さん、一体どうしちゃったの?」


 心配げに顔を覗き込む霧島さん。


「そんな……今まで、一体どこに行っていたの……?」


 震える声を絞り出す神谷さんに、俺も違和感を感じ出す。


「そういう君は、一体誰なんだ?」


 そう問掛けた俺に、彼女は悲し気な視線をくれた。


「覚えてないの、私のこと? でも、無理ないかな。五年ぶりだし、私は髪型とか変わったし」


「え……? 俺と君って、知り合いだったのか?」


 そう返しながら、胸の中に柔らかな光のようなものが去来する。

 どこか懐かしく、暖かな……


「私は神谷弥生。昔、ずっと一緒だったでしょ? 小学校から中学校まで。珠李君が、あんなことになるまでは」


「……あんなこと……?」


 神谷さんは、小さく縦に首を振ると、目にいっぱい涙を溢れさせた。


「ずっと一緒にいたのにね…… 急に私の前からいなくなって、またいきなり姿を見せるなんて……」


「ちょっと……神谷さん!?」


 膝から崩れそうになる彼女を、すぐ横から霧島さんが抱きかかえて、声を荒げる。


「どうしちゃったのよ、一体!?」


「……ひどいよ……珠李君……今まで何にも連絡くれないで、こんなにいきなりだなんて…… もう死んじゃってるのかなって、思っていたから……」


 ―― 死んじゃってる…… 俺が?

 意図していなかったワードが、俺の頭の中で反響する。


 声を上げて泣き出す神谷さんとそれを抱きかかえる霧島さん。

 そんな彼女らを目にして、神代先生も動揺を隠さず、重い口を動かした。


「死んじゃってるって……あの……よく分からないけど、もしかして、藤堂君の昔の記憶に、何か関係があるのかしら?」


「私達幼馴染で、ずっと一緒に過ごしていたんです……そうよね、珠李君?」


 神谷さんの呟きで、ようやく過去の断片が、色味を帯びた。

 確かに俺には小学校の時から一緒だった、幼馴染がいたんだ。

 小学校、中学校と一緒で、学校の行き帰りもよく一緒だった。

 お互いの家にも、行き来していたかな。


「そうか、何となく思い出したよ、弥生。髪型とか雰囲気が変わってて、全然気づかなかったよ」


「うん……うん……」


 子供のように泣きじゃくりながら、か細い声を絞り出す弥生。


「久しぶりだな、元気にしてたか?」


 陽気に言葉を飛ばす俺に、思い切り含みのある視線を返してくる。


「……大変だったよ……珠李君がいなくなって、いっぱい泣いて。それでも頑張って、大好きだった服の勉強をして。それで、バイトで入った土屋先生のオフォスでお世話になって。今があるんだから……」


「じゃあ今は、働いているのか?」


「今は大学生よ。バイトをしながら、先生に色々と教えてもらっているから」


「今日のデザインのいくつかは、神谷さんのデザインだものね」


 霧島さんがそう言うと、神谷さんは首を横に振った。


「ううん。土屋先生のアドバイスのお陰だから。私一人だったら、何もできてないから……」


 そう謙虚に応える弥生は、キッと俺の方に向き直って、語気を強めた。


「私のことより、珠李君は何をしていたのよ!?」


「えっと……」


 覚えていない。

 彼女と最後に会ったのは確か、中学三年生。もうじき春を迎える季節に、一緒に並んで帰った通学路だったかな。


「ごめん、よく覚えていないんだ」


「あんなに、大きな事故があったのに?」


 これも思いがけないワードだ。

 事故? 一体どんな?


「もしかして、俺は事故に遭ったのか?」


 神谷さんが目を擦りながら、言葉を続ける。


「本当に覚えていないの? 飛行機事故に遭ったのよ、あなた。アフリカで」


「……俺が、アフリカで……飛行機事故?」


 あまりの展開に頭がついて行かないけれど、心の中は意外と冷静だ。

 自分に起こったという記憶も無く、どこか俯瞰して見ているせいだろうか。


「そうだよ。五年前、珠李君はお母さんと一緒にアフリカに行ったのよ。そこでお母さんとは別々の飛行機に乗ることになって、それで珠李君の乗った飛行機が、墜落したの」


 その場いる全員が、水を打ったような静けさに包まれる。

 周りの喧騒が、別世界にあるように遠く感じる。


「それから、お母さんだけが日本へ帰って来て。事故の乗客は全員絶望だって、ニュースで流れて……」


「全員絶望……てことは、俺はその事故で、死んだってことになっているのか?」


「その時はそうなっていたわよ。でも珠李君のお母さんは、息子はきっと生きているって、言い続けてた。だって、死体も遺品も、何も現地から届かなかったんだから。 ……ねえ、珠李君、一体、どこで何してたの?」


 懇願とも恨みとも歓喜とも取れるような、沢山の感情を含んだ揺れる瞳を、一直線に向けて来る弥生。


 俺が今応えられるのは、やっぱり……


「それが、覚えていないんだよ。この五年ほど……そうだ、ちょうど、弥生と最後に会った後くらいから、記憶が無いんだ。何故だか分らないけど、俺は数か月前まで、アフリカのルイジェリアって国にいたんだ。それから、日本に帰って来たんだよ」


「そうなのね……ルイジュエリアって確か……飛行機が落ちた場所よ」


 茫漠としていた空白の記憶の一端が開示されたのだろう。

 けれど、自分の頭の中では、まだ像が浮かばない。

 そこはまだ、忘却の彼方にあるのだ。


「あの…… ここだと何だから、場所を移さない?」


 突然の風に吹かれて戸惑っているような神代先生の提案に、他の全員が、首を縦に振った。




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(作者よりご挨拶です)


 本作をお読み頂きまして、誠にありがとうございます。

 近所の公園で桜を見ていて、ふと思い立って書かせて頂いています。


 カクヨムに参加させて頂いたのは冬の寒い時期でしたが、季節が巡って花が咲く頃となりました。

 その間、多くの方に当方の拙作をご拝読頂き、またたくさんの素晴らしい作者様方の作品に巡り合うことができ、大変充実した日々を過ごさせて頂いております。


 この場をお借り致しまして、あらためて御礼を申し上げます。

 引き続きどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


 皆様方におかれましても、ごゆるりと春の一日を過ごされますように。

(花粉症の方には、辛い季節かも分かりませんが)





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