第56話 ファッションショー
夏真っ盛り。
日差しは強く熱く、外に足を踏み出せば、蝉しぐれがいずこからか耳に届く季節。
けれど、地上12階で防音と冷房が利いた部屋は、良くも悪くも季節感が無い。
ずっと快適ではあるけれど。
高校の夏休みって、宿題があるんだな。
何となく分かってはいたけれど、その量の多さに辟易とする。
どれからやればいいんだ……
途方に暮れながら問題集やプリントと向き合っているうちに、何日かが通り過ぎて行き。
今日は午後から、霧島希美からチケットをもらったファッションショーがある。
神代先生と一緒に行く約束だけれど、午前中は学校の用事があるらしく、午後から会場近くの駅で待ち合わせだ。
ふとスマホに目をやると、林間学校以来会っていない夢佳から、メッセージが届いていた。
『映画いこうよ』
急だな。
『今日な無理だ。予定がある』
『じゃあ明日、昼でも夜でもいいよ』
明日、か……
今日のファッションショーから後の予定は、とくに決めていない。
けど、そのあともずっと先生と一緒…… の展開も、あるかもしれないよな。
そうすると、もしかして明日だって……?
『すまん、明日また、連絡するわ』
『びえん(涙)』
『それより夢佳、宿題やってるか?』
『ううん、全然』
『じゃあ、たまには一緒にやろう。その方がはかどるかもしれないし』
『うん!(笑)(笑)(笑)』
頭がよくないのがそろってもどうかなとは思うけど、見せ合いっ子でもすると、少しは進むかもしれないしな。
それから、また本の山と向き合って時間を過ごしてから、待ち合わせの時間よりも幾分早く家を出て、蕎麦屋で腹ごしらえをしてから、約束の場所に向かった。
人いきれでむっとしている駅の構内で待っていると、背中にぽんっと何か触れた。
振り向くとそこに神代先生が立っていて、
「お待たせ、珠李君」
「あ、美玲さん……」
「ん? どうかした?」
つい見とれてしまった。
パッションブルーの上下のドレススーツ、いつもよりも大人っぽくてエレガントだ。
普段の学校では付けない赤いピアスが、耳の下で揺らめいている。
「いや、あまりにも綺麗なので、つい見入っちゃいました。やっぱり美玲さんは最高です」
「またもう……珠李君ったら……」
いつもの感じで、恥ずかしそうに上目使いで目線を向けてくる。
「美玲さん、その服、もしかして?」
「そうよ。『ミカコ・ツチヤ』の服よ。たまにしか着ないんだけど、今日はね」
華美過ぎない光沢を持った生地の色や、ゆったり滑らかなシルエット、気品を宿しながらも、型にはまらないカジュアルっぽさも併せ持つ、独特のデザインだ。
人が群れ集う中を一緒に歩いて向かったイベントホールには、既に大勢で賑わっていた。
みんな少し洒落っぽくしていて、中には正装に身を包んで、挨拶回りをしている人もいる。
こんな普段着で来ているのって、俺だけだな……
疎外感を感じてちょっと凹みながら、受付でチケットを提示して、中へ入った。
会場の真ん中には白いランウェイが走っていて、その脇をぐるっとゲスト用の椅子が囲む。
前の方は関係者席らしく、「一般の方はこちらへ――」と、案内係の声が飛ぶ。
ランウェイ先端に近い前から五列目を確保、まあまあの席だろう。
一般販売の無い招待制のためか、比較的年配で上品な感じの人とか、ちょっとあか抜けた業界っぽい人、住む世界が違うのではないかと見紛うような美形の人達が多い。
そんな中でちらほらと、俺達のような一般ピープルの姿も混ざっている。
そうはいっても神代先生は普通に向こう側にいてもおかしくないような容姿なので、つまり俺だけが突出して悪目立ちしている。
あまり目立たないように席に腰を下ろして待っていると、会場の席が全部埋まっていく。
スタート時間になると、司会っぽい女性と、少しデップリした下半身を高級そうな黒のズボンで隠した若い男が、ランウェイに現れた。
女性は会場に向かって挨拶をした後、隣の男の方を見やった。
「それでは、今日のイベントの主宰である鬼龍院ホールディングス株式会社の常務取締役、
そう紹介された男は、茶色の髪の毛をさっとかき上げてから、肉付きのいい頬を緩めた。
「皆さま、今日は『ミカコ・ツチヤ』のファッションイベントにお越し下さり、ありがとうございます。本日ご紹介するのは、今年秋に向けての新作でして――」
スピーチが終ると万来の拍手の中で二人は去って行き、爽やかな音楽が鳴り響く。
軽快な語り口のDJが言葉が流れる中、色とりどりの衣装に身を包んだモデル達が、颯爽とランウェイを闊歩する。
あ、霧島さんだ。
赤と黒のチェックを主体にしたカジュアルファッションを身に纏って、ハイニーソックスに包まれた美脚を跳ねさせながら、ランウェイの端でウィンクしてポーズを決める。
あ……
しまった、忘れていたとここで気づく。
霧島希美と篠崎未来が同じ顔の双子だと、まだ神代先生に伝えていなかった。
恐る恐る先生の方に目を転じると……
何事もなかったかのように目を輝かせているので、多分気づいていないようだ。
趣向を凝らした演出は一時間ほど続き、最後にメインデザイナーの女性と、アシスタントと思われる若い数人が、ランウェイに上がった。
割れんばかりの拍手の中で、揚々と手を振る面々。
少し静かになって、デザイナーの挨拶が始まった。
そのすぐ後ろに、大きな黒目をもつショートヘアの女性がいて。
綺麗な人だなと思いながら目を向けていると、不意に目線が交錯した。
―― 何だ?
ランウェイ上の彼女の様子がおかしい。
それまで花が咲くような笑顔を会場に向けていたけれど、俺から目線を外さずに、氷の彫像のように表情が固まっていくのだ。
心なしか、か細い肩が震えてるようにも見える。
俺、そんなに目つき悪かったかな……?
そんな不安感にも駆られながら、デザイナーが最後の一礼をするまで見届けた。
「ありがとう、珠李君。すごく良かったわ」
今だ興奮と熱気が冷めやらない会場で、椅子に座ったまま、神代先生が口を開いた。
「そうですか、なら良かったです。美玲さんが着ても似合いそうなの、沢山ありましたね」
「え……そうかしら?」
「はい。いい女が、さらにレベルアップしますよ」
「……し、珠李君……もう、恥ずかしいわ……」
そんないつもの会話を交わしていると、
「あ、あの、すみません……」
いつの間にか目の前に女性が立っていて、申し訳なさげに声を掛けてきた。
先ほどランウェイの上にいて、俺と目が合った女性だ。
「はい?」
「藤堂、珠李…………君じゃ、ないですか……?」
そう言葉にした彼女の顔には、不安と慈愛とが混然としたような、複雑な表情が貼りついていた。
「藤堂さん、来てくれたのね? ありがとう!!」
ちょっと離れた場所から、そんな嬉々とした声も飛んでくる。
その先にいるのは今をときめく人気アイドルの霧島希美。
すぐ隣の席では、状況が理解できていない神代先生が、ぽかんと口を開けている。
う~ん、何だろう?
この状況……?
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